このページでは、松平氏(清和源氏・義国流)の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
松平氏の略系図
1 親氏→松平親氏・泰親の系図
3 信光→松平信光の系図
4 親忠→松平親忠~信忠の系図
7 清康→松平清康・広忠の系図
松平親氏・泰親の系図
松平親氏(ちかうじ)
松平氏の祖とされる。諸国を巡り、三河に住んだという。
祖父 親季・父 有親→得川義季~世良田有親の系図
子 酒井広親・孫 家忠→酒井広親~重忠の系図
孫 氏忠→酒井氏忠~忠次の系図
松平泰親(やすちか)
岩津城を築いたという。
子 信広→松平信広の系図
子 信光→松平信光の系図
孫 親忠→松平親忠~信忠の系図
孫 与副→松平与副~親忠の系図
孫 忠景→松平忠景~忠実の系図
曾孫 正次/親綱【?-1618】
曾孫の子 松平正綱→松平正綱の系図
松平信光の系図
松平信光(のぶみつ)【?-1488】
伊勢貞親の被官。安祥城などを攻略した。40人以上の子女がいたとされる。
祖父 親氏・父 泰親→松平親氏・泰親の系図
子 守家→松平守家の系図
子 親忠・孫 長親→松平親忠~信忠の系図
孫 乗元→松平乗元~真乗の系図
子 昌竜/光直
子 与副・孫 貞副→松平与副~親忠の系図
子 光重→松平光重の系図
子 光英→松平光英の系図
子 忠景・孫 元心→松平忠景~忠実の系図
孫 忠定→松平忠定・好景の系図
子 親則→松平親則の系図
子 光親→松平光親の系図
子の夫 戸田宗光→戸田実光~康光・政重~信定の系図
松平親忠~信忠の系図
松平親忠(ちかただ)【?-1501】
安城松平家の祖。大樹寺を創建した。
祖父 泰親→松平親氏・泰親の系図
父 信光→松平信光の系図
子 親長(ちかなが)【?-1546】
孫の夫 松平忠定→松平忠定・好景の系図
曾孫 定政→松平定政~重次・忠勝・政勝の系図
子 乗元・孫 乗正→松平乗元~真乗の系図
子 超誉【?-1486】
子 親光→松平親光の系図
子 長家(ながいえ)【?-1540】
織田信秀に攻められて討ち死にした。
子 張忠(はるただ)【?-1544】
孫 康忠(やすただ)【?-1540】
長家とともに討ち死にした。
子 乗清→松平乗清の系図
松平長親(ながちか)/忠次(ただつぐ)【1473-1544】
安城城主。
子 親盛→松平親盛の系図
子 信定→松平信定の系図
子 義春(よしはる)【?-1556】
三河国日近で討ち死にした。
子の妻 松井忠直の娘
子の妻の父 松井忠直→松井忠直・松平康親の系図
孫 家忠(いえただ)【?-1581】
母は『松井家譜(武蔵川越)』による。
孫の妻 松平伊忠の娘
孫の妻の父 松平伊忠→松平伊忠・家忠の系図
孫の夫 本多広孝→本多正吉~忠利の系図
子 利長・孫 信一→松平利長~信吉の系図
松平信忠(のぶただ)
安城城主。若くして家督を清康に譲った。
妻 水野清忠の娘
妻の父 水野清忠→小河重房~水野清忠の系図
子 清康・孫 広忠→松平清康・広忠の系図
子 信孝→松平信孝の系図
子 康孝(やすたか)/清忠【?-1537】
子 久子→松平乗元~真乗の系図・鈴木重直の系図
子 東姫【?-1570】
子 瀬戸大房→吉良満義~持広の系図
松平清康・広忠の系図
松平清康(きよやす)【1511-1535】〔養子:松平久子(→松平乗元~真乗の系図)〕
尾張守山城を攻めた際に、家臣の阿部弥七郎に殺された。
祖父 長親・父 信忠→松平親忠~信忠の系図
祖父 水野清忠→小河重房~水野清忠の系図
妻 華陽院【1492-1560】
実は青木一宗(→青木高方の系図)の娘。今川義元の人質になっていた徳川家康の養育にあたった。
妻の父 大河内元綱→大河内満澄~忠用の系図
夫 水野忠政→水野忠政の系図
夫 川口宗定→川口宗定の系図
子 信康【1523-1540】
子 碓井姫→松平政忠の系図・酒井氏忠~忠次の系図
孫 酒井家次→酒井家次の系図
子 成誉【?-1575】
子の夫 吉良義安→吉良義安~義弥の系図
松平広忠(ひろただ)【1526-1549】
岡崎城を追われたが、後に回復した。織田信秀と対峙するなか殺された。
妻 於大の方【1528-1602】
水野忠政(→水野忠政の系図)の娘。
夫 久松俊勝→久松俊勝・定員の系図
子 徳川家康→徳川家康の系図
孫 松平忠吉・武田信吉・松平忠輝・孫 松平信康→松平信康・忠吉・武田信吉・松平忠輝の系図
孫 結城秀康→結城秀康・松平忠直の系図
孫 秀忠→徳川秀忠の系図
孫 義直→徳川義直の系図
孫 頼宣→徳川頼宣~頼職の系図
孫 頼房→徳川頼房の系図
妻 戸田真喜姫(まきひめ)【?-1571】
戸田康光(→戸田実光~康光・政重~信定の系図)の娘。
子 市場殿→吉良満義~持広の系図
妻 平原正次の娘
子 矢田姫→松平康忠の系図
子 親良〔養父:松平信乗〕→松平親良の系図
系図について
本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。
系図はおおよそ次の方針で作成しています。
- 系図に描画する人物の範囲について
上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。 - 人物の表示の区別について
系図では、次の通り背景色を区別しています。
(オレンジ)……天皇
(緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
(黄)……江戸時代の将軍・藩主
(水色)……その他男性
(ピンク)……その他女性 - 養子・猶子について
両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。 - 正室・側室等について
これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。 - 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。