このページでは、永井氏(桓武平氏・良兼流)・直清流の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
永井氏・直清流(摂津国高槻藩主)の略系図
1 直清→永井直清~直英の系図
7 直期→永井直期・直行の系図
9 直珍→永井直珍の系図
10 直進→永井直進~直諒の系図
永井直清~直英の系図
永井直清(なおきよ)【1591-1671】
山城国長岡藩主・摂津国高槻藩主。母は『寛政重修諸家譜』による。
祖父 重元・父 直勝→長田重元・永井直勝の系図
祖父 阿部正勝→阿部正俊~正次の系図
妻 高木正次の娘
妻の父 高木正次→高木正次の系図
永井直吉(なおよし)/直義【1617-1669】
母は『寛政重修諸家譜』による。
妻 高木正綱の娘
妻の父 高木正綱→高木正綱の系図
永井直時(なおとき)【1638-1680】
高槻藩主。
妻 永井尚征の娘
妻の父 永井尚征→永井尚征の系図
妻 宗義真の娘
実は三条公富(→三条実秀~公充の系図)の娘。
妻の父 宗義真→宗義真~義方の系図
子 直時の娘(2人)(『華族系譜』による。)
永井直種(なおたね)/尚仍(なおより)/直只(なおただ)/直賢(なおかた)/尚久/直質【1658-1695】
高槻藩主。実は永井尚征(→永井尚征の系図)の子。
妻 田村豊
田村宗良(→田村宗良の系図)の娘。
子 直英〔養父:永井直達〕
永井直達(なおたつ)/直泰(なおやす)【1689-1706】
高槻藩主。実は永井直円(→永井直円~直国の系図)の子。
永井直英(なおひで)【1695-1715】
高槻藩主。実は永井直種の子。
妻 間部詮勝の娘
実は間部詮貞(→間部詮貞の系図)の娘。
妻の父 間部詮勝→間部詮勝の系図
子 直期・孫 直行→永井直期・直行の系図
永井直期・直行の系図
永井直期(なおざね)【1703-1765】
高槻藩主。実は永井直円(→永井直円~直国の系図)の子。
祖父 直達・父 直英→永井直清~直英の系図
妻 南部政子
南部信恩(→南部信恩・利幹の系図)の娘。
子 直珍〔養父:永井直行〕→永井直珍の系図
子 牧野成融〔養父:牧野成如〕→牧野成融の系図
子 安藤寛長〔養父:安藤次由〕→安藤次由~次猷の系図
子 沖次郎・松五郎(『華族系譜』による。)
子の夫 阿野公縄→阿野公縄~実允の系図
子の夫 保科正富→保科正富~正益の系図
子の夫 飛鳥井雅重→飛鳥井雅香~雅望の系図
子の夫 高倉永秀→高倉永重~永秀の系図
子の夫 水野忠興→水野重上~忠実の系図
子の夫 永井直温→永井直温~直哉の系図
子の夫 伊沢方守→伊沢方守の系図
子の夫 沢田好静・長田玄蕃(『華族系譜』による。)
永井直行(なおゆき)【1730-1758】
高槻藩主。
妻 九鬼隆寛の娘
妻の父 九鬼隆寛→九鬼隆季~隆寛の系図
夫 浅野長寿→浅野長恒~長盈の系図
子 直珍→永井直珍の系図
孫 直進→永井直進~直諒の系図
永井直珍の系図
永井直珍(なおよし)【1742-1770】
高槻藩主。実は永井直期(→永井直期・直行の系図)の子。
祖父 直期・父 直行→永井直期・直行の系図
妻 本多康桓の娘
妻の父 本多康桓→本多康桓~康匡の系図
夫 牧野忠利→牧野忠利の系図
子 直進・孫 直与→永井直進~直諒の系図
子 本多忠昶〔養父:本多忠堅〕→本多忠周~忠曄の系図
子 鍶之助(『華族系譜』による。)
子の夫 本多正温→本多正珍~正憲の系図
子の夫 六郷政速→六郷政速の系図
永井直進~直諒の系図
永井直進(なおのぶ)【1761-1815】(以下、『華族系譜』による。)
高槻藩主。
祖父 直行→永井直期・直行の系図
父 直珍→永井直珍の系図
祖父 本多康桓→本多康桓~康匡の系図
妻 松平信礼の娘
妻の父 松平信礼→松平信復・信礼の系図
子の夫 藤堂高兌→藤堂高兌~高潔の系図
子 正修/直純/正義〔養父:堀田正名(→堀田正名の系図)〕
子 忠敬〔養父:伊奈忠盈〕
子 植村泰成〔養父:植村泰邦〕→植村忠朝~泰通・忠元~千吉の系図
子 忠翼〔養父:中川忠明〕
子 直和/直養〔養父:永井直隯〕
子 直進の娘
永井直方に嫁ぐ予定であった。
子 直進の娘〔養父:大岡直恭〕
子 直進の娘〔養父:太田惟和〕
子の夫 六郷政純→六郷政純の系図
子の夫 松平正路→松平正升~正質の系図
子の夫 畠山義宣→畠山義宣の系図
永井直与(なおとも)【1785-1846】
高槻藩主。
妻 松浦清の娘
妻の父 松浦清→松浦清~詮の系図
妻 太田資順の娘
妻の父 太田資順→太田資俊~資順の系図
子 直寛【1808-1835】
子の妻 間部詮允の娘
子の妻の父 間部詮允→間部詮允の系図
子 綾→阿部正瞭~正功の系図
永井直輝(なおてる)【1827-1874】
高槻藩主。
妻 前田銈
前田利之(→前田利之~利鬯の系図)の娘。
永井直矢(なおつら)【1842-1865】
高槻藩主。実は松平親良(→松平親良の系図)の子。
永井直諒(なおまさ)/直介【1849-1919】
高槻藩主。実は永井直次と本多忠升の娘(→本多忠永~忠貫の系図)の子。
妻 本多房
実は本多賢承(→本多助盈~助寵の系図)の娘。
妻の父 本多助実→本多助盈~助寵の系図
系図について
本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。
系図はおおよそ次の方針で作成しています。
- 系図に描画する人物の範囲について
上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。 - 人物の表示の区別について
系図では、次の通り背景色を区別しています。
(オレンジ)……天皇
(緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
(黄)……江戸時代の将軍・藩主
(水色)……その他男性
(ピンク)……その他女性 - 養子・猶子について
両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。 - 正室・側室等について
これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。 - 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。