このページでは、大河内氏(清和源氏・頼光流)の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
大河内氏の略系図
1 顕綱→大河内顕綱~貞綱の系図
1-A1 貞顕→大河内貞顕~正雄の系図
1-A2 正澄→大河内正澄~政儀の系図
1-A3 秀政・清政→大河内秀政~政寿・政純~政和・清政~政成の系図
6 光将→大河内光将~秀綱の系図
7-A 満澄→大河内満澄~忠用の系図
13 久綱→大河内久綱の系図
14 重綱→大河内重綱~久徴の系図
大河内顕綱~貞綱の系図
大河内顕綱(あきつな)【1179-?】
三河国額田郡大河内に住んだ。
祖父 頼政・父 兼綱→馬場頼政~宗仲の系図
子 貞顕・孫 氏綱→大河内貞顕~正雄の系図
大河内政顕(まさあき)【1201-1286】(以下、『系図纂要』による。)
大河内行重(ゆきしげ)
大河内宗綱(むねつな)
大河内貞綱(さだつな)【1309-1397】
子 光将・孫 国綱→大河内光将~秀綱の系図
子 慶阿(けいあ)【1357-1389】
子 貞綱の娘(2人)(『寛政重修諸家譜』による。)
大河内貞顕~正雄の系図
大河内貞顕(さだあき)(以下、『寛政重修諸家譜』による。)
祖父 兼綱→馬場頼政~宗仲の系図
父 顕綱→大河内顕綱~貞綱の系図
大河内氏綱(うじつな)
大河内氏長(うじなが)
大河内重氏(しげうじ)【?-1358】
実は飯尾通連の弟。
大河内貞重(さだしげ)/貞連(さだつら)
実は飯尾宏照の子。
子 満重(みつしげ)【?-1408】
孫 俊重(とししげ)【?-1402】
曾孫 政貞
父は大河内貞重とも。
大河内政貞(まささだ)
父は大河内俊重とも。
大河内政治(まさはる)
大河内政時(まさとき)
大河内正信(まさのぶ)/政信(まさのぶ)
大河内政利(まさとし)/正利(まさとし)
大河内政倫(まさとも)
大河内政高(まさたか)
大河内基高(もとたか)/基孝(もとたか)【1515-1612】
子 正澄・孫 政憲→大河内正澄~政儀の系図
大河内正綱(まさつな)/政綱(まさつな)【1544-1627】
妻 大久保忠員の娘
妻の父 大久保忠員→大久保忠員の系図
子 足立政定〔養父:足立遠定〕→足立政定の系図
大河内正勝(まさかつ)【1579-1640】
妻 石川重次の娘
妻の父 石川重次→石川康昌~重次・重勝~政徳・重俊~之信の系図
子の夫 柘植正直→柘植正直の系図
子の夫 矢部定成→矢部定成の系図
大河内正雄(まさお)/忠雄(ただかつ)【1624-1674】
実は大久保忠教(→大久保忠教の系図)の子。
妻 大河内正勝の娘
実は柘植正直(→柘植正直の系図)の娘。
子 秀政・清政・孫 政能・政純・政音→大河内秀政~政寿・政純~政和・清政~政成の系図
妻 鳥居佐柄子
鳥居忠政(→鳥居元忠・忠政の系図)の娘。
大河内秀政~政寿・政純~政和・清政~政成の系図
大河内秀政(ひでまさ)【1648-1725】
祖父 正勝・父 正雄→大河内貞顕~正雄の系図
妻 山高信澄の娘
妻の父 山高信澄→山高信澄の系図
子 政音〔養父:大河内清政〕
子の夫 織田長喬→織田長喬の系図
大河内政能(まさよし)【1671-1745】
妻 徳山重俊の娘
実は徳山重次(→徳山重次の系図)の娘。
妻の父 徳山重俊→徳山重俊の系図
夫 川勝氏令→川勝氏令の系図
子 政品〔養父:大河内政音〕
大河内政与(まさとも)【1713-1782】
妻 井戸弘前の娘
妻の父 井戸弘前→井戸弘前の系図
妻 筑紫通門の娘
妻の父 筑紫通門→筑紫通門の系図
夫 仙石政能→仙石政能の系図
子 三田守峯〔養父:三田守寿〕→三田守峯の系図
子 筧正意〔養父:筧正殊〕→筧正意の系図
大河内政寿(まさこと)【1758-?】
妻 林正富の娘
妻の父 林正富→林正富の系図
妻 小笠原信甫の娘
妻の父 小笠原信甫→小笠原長住~信編の系図
夫 大草高般→大草高般の系図
大河内政純(まさずみ)【1697-1745】
妻 夏目猶脩の娘
妻の父 夏目猶脩→夏目猶脩の系図
大河内政舜(まさきよ)【1729-1792】
妻 小田切昌民の娘
妻の父 小田切昌民→小田切昌民の系図
大河内政和(まさかず)【1764-?】
妻 小野忠喜の娘
妻の父 小野忠喜→小野忠喜の系図
夫 橋本忠充→橋本忠充の系図
大河内清政(きよまさ)【1658-1724】
妻 角南重世の娘
妻の父 角南重世→角南重世の系図
大河内政音(まさおと)【1684-1751】
実は大河内秀政の子。
妻 川井久重の娘
妻の父 川井久重→川井久重の系図
大河内政品(まさのり)【1732-1753】
実は大河内政能の子。
大河内政喬(まさたか)【1737-1763】
実は織田信尹(→織田信尹の系図)の子。
大河内政義(まさよし)【1747-1789】
実は織田信尹(→織田信尹の系図)の子。
大河内政良(まさかた)【1751-?】
実は織田信義(→織田信義の系図)の子。
妻 大河内政義の娘
実は織田信尹(→織田信尹の系図)の娘。
妻 大久保忠英の娘
妻の父 大久保忠英→大久保忠英の系図
大河内政成(まさなり)【1780-?】
妻 大久保忠官の娘
妻の父 大久保忠官→大久保忠官の系図
大河内正澄~政儀の系図
大河内正澄(まさずみ)/政澄(まさずみ)【1570-1625】
祖父 政高・父 基高→大河内貞顕~正雄の系図
子の夫 牛込俊重→牛込俊重の系図
大河内政憲(まさのり)【1603-1671】
妻 水野守重の娘
妻の父 水野守重→水野守重・春守・守次~守之の系図
妻 梶川忠助の娘
妻の父 梶川忠助→梶川忠助の系図
子の夫 戸田直良→戸田直長~直興の系図
大河内政真(まさざね)【1663-1728】
実は大河内重綱(→大河内重綱~久徴の系図)の子。
妻 近藤用由の娘
妻の父 近藤用由→近藤用由の系図
妻 小笠原長夷の娘
妻の父 小笠原長夷→小笠原元定~元陳の系図
大河内政経(まさつね)【1701-1785】
実は井上政蔽(→井上政蔽~正国の系図)の子。
子 善太郎
子の妻 藤懸永直の娘
子の妻の父 藤懸永直→藤懸永直の系図
孫 善太郎の娘〔養父:大河内政明〕
子 飯室昌茂〔養父:飯室昌幸〕→飯室昌茂の系図
子の夫 桜井勝強→桜井勝強の系図
大河内政明(まさあきら)【1733-?】
実は鳥居成昭(→鳥居成勝~成純の系図)の子。
子の夫 大橋親載→大橋親載の系図
子の夫 阿部勝賢→阿部勝賢の系図
子の夫 木村季郷→木村季郷の系図
大河内政儀(まさよし)【1756-?】
実は能勢一英(→能勢一英の系図)の子。
大河内光将~秀綱の系図
大河内光将(みつまさ)【1353-1418】
祖父 宗綱・父 貞綱→大河内顕綱~貞綱の系図
子 光将の娘(『寛政重修諸家譜』による。)
大河内国綱(くにつな)
子 満澄・孫 元綱→大河内満澄~忠用の系図
大河内光綱(みつつな)【1421-1469】
大河内真綱(さねつな)/直綱
大河内信政(のぶまさ)
大河内信貞(のぶさだ)/信真【1486-1558】
大河内秀綱(ひでつな)【1546-1618】
子 久綱→大河内久綱の系図
孫 重綱→大河内重綱~久徴の系図
子 松平正綱→松平正綱の系図
孫 信綱→松平信綱の系図
孫 正信→松平正信・正基~正賢の系図
孫 正朝→松平正朝~正卜の系図
子 宲綱(さねつな)【?-1632】
孫の夫 土屋利直→土屋利直・直樹の系図
孫の夫 甲斐庄正述→甲斐庄正述の系図
子の夫 秋元泰朝→秋元泰朝の系図
孫の夫 本多重良→本多重良~繁文の系図
大河内満澄~忠用の系図
大河内満澄/満住(以下、『寛政重修諸家譜』による。)
祖父 光将・父 国綱→大河内光将~秀綱の系図
大河内元綱/重元
子 華陽院→水野忠政の系図・松平清康・広忠の系図・川口宗定の系図
大河内重一
子 政局【?-1584】
大河内綱忠/重長
大河内忠正(ただまさ)【?-1600】
大河内正勝(まさかつ)【?-1605】
妻 小林重正の娘
妻の父 小林重正→小林重正の系図
夫 加藤景親→加藤景親の系図
大河内忠次(ただつぐ)【1596-1662】
大河内忠勝(ただかつ)【1650-1712】
大河内忠政(ただまさ)【1682-1753】
妻 木村元信の娘
妻の父 木村元信→木村元信の系図
子の夫 宮崎長義→宮崎長義の系図
子の夫 松平清門→松平清門の系図
子の夫 遠山兼忠→遠山兼忠の系図
子の夫 日根野弘周→日根野弘周の系図
大河内忠恒(ただつね)【1708-1768】
妻 酒依昌陽の娘
妻の父 酒依昌陽→酒依昌陽の系図
子の夫 彦坂定賢→彦坂定賢の系図
子の夫 宮崎正房→宮崎正房の系図
大河内忠栄(ただよし)【1744-?】
妻 奥村矩政の娘
妻の父 奥村矩政→奥村矩政の系図
妻 神田正之の娘
妻の父 神田正之→神田正之の系図
子の夫 春日行道→春日行道の系図
大河内忠用(ただちか)
妻 芝山正僚の娘
妻の父 芝山正僚→芝山正僚の系図
大河内久綱の系図
大河内久綱(ひさつな)【1570-1646】(以下、『寛政重修諸家譜』による。)
祖父 信貞・父 秀綱→大河内光将~秀綱の系図
妻 深井資正の娘
妻の父 深井資正/好秀
子 松平信綱〔養父:松平正綱〕→松平信綱の系図
子 重綱・孫 信久→大河内重綱~久徴の系図
子の夫 天野長信→天野長信の系図
子 信清
子の妻 秋池義勝の孫(『大河内家譜(三河豊橋)』による。)
子 松平忠勝〔養父:松平忠利〕→松平忠利~忠幸の系図
子の夫 内藤政次→内藤政次~正友・正直~正器の系図
子の夫 本多重良→本多重良~繁文の系図
孫 重勝→本多重勝~正照の系図
子の夫 本多助久→本多助久~助詮の系図
子の夫 野村為重→野村為重の系図
大河内重綱~久徴の系図
大河内重綱(しげつな)/久親(ひさちか)【1615-1671】
実は酒井親炮の子。
祖父 秀綱→大河内光将~秀綱の系図
父 久綱→大河内久綱の系図
妻 関氏盛の娘
妻の父 関氏盛→関氏盛の系図
子 関久盛〔養父:関長盛〕→関久盛の系図
子 松平信義〔養父:松平堅綱〕→松平堅綱~信孟の系図
子 政真〔養父:大河内政憲〕→大河内正澄~政儀の系図
大河内信久(のぶひさ)【1647-1696】
妻 黒田用綱の娘
妻の父 黒田用綱→黒田用綱の系図
子 関永張〔養父:関久盛〕→関永張の系図
子の夫 松平信連→松平堅綱~信孟の系図
子の夫 丹羽長道→丹羽長道の系図
子の夫 須田資生→須田資生の系図
大河内信相(のぶすけ)【1683-1713】
大河内久豊(ひさとよ)【1703-1741】
子 久豊の娘〔養父:多賀高但〕→多賀高但の系図
大河内豊貫(とよつら)【1727-1770】
妻 関永張の娘
妻の父 関永張→関永張の系図
子 三橋信事〔養父:三橋信正〕→三橋信事の系図
子の夫 松平房熟→松平正重・正長・信平~信博の系図
子の夫 杉浦勝充→杉浦勝充の系図
大河内久雄/信勝(のぶかつ)【1753-?】
妻 安藤定厚の娘
妻の父 安藤定厚→安藤定厚の系図
妻 木下利常の娘
妻の父 木下利常→木下利常の系図
大河内久徴(ひさあきら)
妻 石河政武の娘
妻の父 石河政武→石河政武の系図
系図について
本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。
系図はおおよそ次の方針で作成しています。
- 系図に描画する人物の範囲について
上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。 - 人物の表示の区別について
系図では、次の通り背景色を区別しています。
(オレンジ)……天皇
(緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
(黄)……江戸時代の将軍・藩主
(水色)……その他男性
(ピンク)……その他女性 - 養子・猶子について
両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。 - 正室・側室等について
これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。 - 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。