今川氏(清和源氏・義国流)の系図

系図のメモ帳
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 このページでは、今川氏(清和源氏・義国流)の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。

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今川氏の略系図

今川氏の略系図

1 国氏今川国氏・基氏の系図
3 範国今川範国~範政・貞世~貞延の系図
7 範忠今川範忠~義元の系図
11 氏真今川氏真~氏尭の系図
11-A1 高久品川高久~氏恒の系図
11-A2 高寛品川高寛~高標の系図

15 氏睦今川氏睦~範叙の系図

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今川国氏・基氏の系図

今川国氏・基氏の系図

  今川国氏(くにうじ)【1243-1282】
 実は最信(→足利義氏の系図)の子。今川氏の祖。父から今川荘を与えられた。

祖父 義氏足利義氏の系図
 長氏吉良長氏~貞義の系図

子の夫 公深(『寛政重修諸家譜』による。)→公深の系図
子の夫 石川那児耶(『系図纂要』による。)

 顕国(『系図纂要』による。)


  今川基氏(もとうじ)【1261-1323】
 頼基(よりもと)/頼国(よりくに)
 見世(『系図纂要』による。)

 範国 範氏貞世今川範国~範政・貞世~貞延の系図
 国満/範満(のりみつ)【?-1335】
 小手指原で北条時行と戦い、討ち死にした。
 法忻(ほうきん)【?-1368】(『系図纂要』による。)

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今川範国~範政・貞世~貞延の系図

今川範国~範政・貞世~貞延の系図

  今川範国(のりくに)【?-1384】
 遠江守護・駿河守護。今川氏による駿河国支配の基礎を築いた。

祖父 国氏 基氏今川国氏・基氏の系図

 氏頼(『系図纂要』による。)
 蒲原氏兼(うじかね)/直世
孫の夫 紀行義→紀行義の系図

 万里小路仲秋(なかあき)/国泰/頼泰〔養父:今川貞世〕
 貞世に従って九州に下り、貞世を補佐した。
 貞秋〔養子:万里小路直秋〕
 直秋〔養父:万里小路貞秋〕


  今川範氏(のりうじ)【1316-1365】


  今川泰範(やすのり)【1334-1409】
 兄氏家の早世により、還俗して家督を継いだ。
 八条朝顕の娘
妻の父 八条朝顕→八条朝顕の系図

 範信(『寛政重修諸家譜』による。)


  今川範政(のりまさ)【1364-1433】
 母は『寛政重修諸家譜』による。上杉禅秀の乱では、鎌倉公方足利持氏を援助した。歌人としても活躍した。
 上杉氏定の娘
妻の父 上杉氏定→上杉氏定の系図
 範豊
 母は『系図纂要』による。
 範忠 義忠今川範忠~義元の系図

 範満範慶(『系図纂要』による。)


  今川貞世(さだよ)【1326-?】
 九州探題として九州の支配に努めた。歌人としても知られたほか、『難太平記』を著した。
 揖斐頼雄の娘
妻の父 揖斐頼雄→揖斐頼雄の系図

 万里小路仲秋
 実は今川範国の子。


  今川貞臣(さだおみ)
 母は『系図纂要』による。
 角和貞行(『寛政重修諸家譜』による。)


  今川貞相(さだすけ)


  今川範将(のりまさ)【?-1464】
子の夫 足利義政(『寛政重修諸家譜』による。)→足利義教・義政の系図


  今川貞延(さだのぶ)【?-1474】
 一秀→一秀の系図

孫の夫 瀬名氏貞→瀬名氏貞の系図

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今川範忠~義元の系図

今川範忠~義元の系図

  今川範忠(のりただ)【1408-?】
 母は『系図纂要』による。駿河守護。関東の混乱の際には出兵し、足利成氏の討伐軍では大将に任じられた。

祖父 泰範 範政今川範国~範政・貞世~貞延の系図

 頼忠(『寛政重修諸家譜』による。)


  今川義忠(よしただ)【1436-1476】
 駿河守護。度々遠江に侵攻し、応仁の乱では東軍に属した。侵攻した遠江からの帰途、残党に襲われて殺された。
 北川殿【?-1529】
 北条行長(→北条行氏~氏綱の系図)の娘。

 氏政(『系図纂要』による。)
 心範(『寛政重修諸家譜』による。)
子の夫 正親町三条実望正親町三条実雅~実望の系図
 公兄正親町三条公兄~公仲の系図


  今川氏親(うじちか)【1471-1526】
 母は『寛政重修諸家譜』による。駿河守護。遠江に勢力を伸ばし、今川仮名目録を制定した。
 中御門宣胤の娘【?-1568】
妻の父 中御門宣胤中御門宣胤~宣政の系図
 氏輝(うじてる)【1513-1536】

 福島氏
 恵探(えたん)【?-1537】

 氏豊(以下、『系図纂要』による。)
 氏明【?-1582】
 氏豊の娘【?-1601】

子の夫 中御門宣忠(『系図纂要』による。)→中御門宣胤~宣政の系図
子の夫 北条氏康(『系図纂要』による。)→北条氏康の系図
子の夫 瀬名氏俊(『系図纂要』による。)→瀬名氏俊の系図
子の夫 関口親永(『寛政重修諸家譜』による。)→関口親永の系図


  今川義元(よしもと)【1519-1560】
 桶狭間の戦いで織田信長に攻められて討ち死にした。
 武田信虎の娘
妻の父 武田信虎武田信縄・信虎の系図
 氏真 範以今川氏真~氏尭の系図
 品川高久品川高久~氏恒の系図

 泉奘長得(『寛政重修諸家譜』による。)
子の夫 武田義信(『系図纂要』による。)→武田晴信・勝頼・海野信親~武田崇信の系図
子の夫 牟礼勝重(『寛政重修諸家譜』による。)→牟礼勝重の系図

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今川氏真~氏尭の系図

今川氏真~氏尭の系図

  今川氏真(うじざね)【1538-1614】
 桶狭間の戦いの後に家督を継いだものの、7年足らずで領国の駿河・遠江・三河を徳川氏・武田氏に奪われた。

祖父 氏親 義元今川範忠~義元の系図
祖父 武田信虎武田信縄・信虎の系図

 北条氏康の娘
妻の父 北条氏康北条氏康の系図
 品川高久 高如品川高久~氏恒の系図
 高寛品川高寛~高標の系図

 西尾安信(『系図纂要』による。)
 澄存(ちょうぞん)【?-1652】(『系図纂要』による。)

子の夫 吉良義定(『系図纂要』による。)→吉良義安~義弥の系図
 荒川定安荒川定安・定昭の系図


  今川範以(のりもち)【1570-1607】(以下、『寛政重修諸家譜』による。)
 吉良義安の娘
妻の父 吉良義安吉良義安~義弥の系図
 大炊御門経頼大炊御門宗実~頼国の系図
子の夫 大友義親→大友義親の系図
子の夫 吉良義弥吉良義安~義弥の系図


  今川直房(なおふさ)/範英(のりひで)【1594-1661】
 立花宗茂の娘
 実は矢島重成の娘。
妻の父 立花宗茂→立花宗茂の系図
 範明
 母は『系図纂要』による。
 伊与→大久保忠高の系図
子の夫 松平勝広→松平勝広の系図


  今川氏尭(うじなり)【1642-1673】
 実は岡山弥清(→吉良義安~義弥の系図)の子。
 土井利重の娘
妻の父 土井利重土井利隆の系図

 氏睦 範高今川氏睦~範叙の系図

品川高久~氏恒の系図

品川高久~氏恒の系図

  品川高久(たかひさ)【1576-1639】(以下、『寛政重修諸家譜』による。)

祖父 義元今川範忠~義元の系図
 氏真今川氏真~氏尭の系図
祖父 北条氏康北条氏康の系図

 高寛 高清品川高寛~高標の系図
子の夫 岡山弥清吉良義安~義弥の系図


  品川高如(たかゆき)【1612-1671】
 松平勝隆の娘
 実は松平重長(→松平重長の系図)の娘。
妻の父 松平勝隆→松平勝隆の系図
 松平重治〔養父:松平勝隆〕→松平重治の系図

 青木利長の娘
妻の父 青木利長→青木利長の系図


  品川伊氏(これうじ)【1669-1712】
 実は松平重治(→松平重治の系図)の子。
 蒔田定行の娘
妻の父 蒔田定行→蒔田定行の系図
 今川範高〔養父:今川氏睦〕→今川氏睦~範叙の系図
 今川範主〔養父:今川範高〕→今川氏睦~範叙の系図

子の夫 横瀬貞国→横瀬貞国の系図


  品川範増(のります)【1712-1713】


  品川信方(のぶかた)/重安(しげやす)【1684-1749】
 実は松平重治(→松平重治の系図)の子。


  品川氏如(うじゆき)【1732-1780】


  品川氏長(うじなが)【1764-1788】
 実は前田長敦(→前田長敦の系図)の子。


  品川氏維(うじすけ)
 実は竹中定弘(→竹中定弘の系図)の子。
 竹中定胤の娘
妻の父 竹中定胤→竹中定胤の系図


  品川高美(たかよし)【1768-1805】
 実は松平近朝(→松平近苗~近礼の系図)の子。


  品川言氏【?-1809】(以下、『系図纂要』による。)


  品川高尚【?-1813】


  品川氏繋
 金松丸【?-1835】


  品川氏恒/氏経

品川高寛~高標の系図

品川高寛~高標の系図

  品川高寛(たかひろ)【1616-1697】

祖父 氏真今川氏真~氏尭の系図
 高久品川高久~氏恒の系図

 今川氏睦〔養父:今川氏尭〕→今川氏睦~範叙の系図
 高寛の娘〔養父:遠山政亮〕→遠山政亮~内藤政業の系図
子の夫 一色定尚一色定堅~定志の系図


  品川高清(たかきよ)【1672-1706】
 松平親明の娘
 実は長沢明安の娘。
妻の父 松平親明→松平親明の系図


  品川高房(たかふさ)【1695-1757】
 実は原充活の子。

 貞次〔養父:増田庸貞〕
子の夫 福王信和→福王信和の系図
子の夫 藤懸永経→藤懸永経の系図


  品川高純(たかずみ)【1732-1789】
 新庄直良の娘
妻の父 新庄直良→新庄直良の系図
 天野意陳〔養父:天野良陳〕→天野意陳の系図

 高標〔養父:品川高政〕


  品川高政(たかまさ)【1759-?】
 近藤文成の娘
妻の父 近藤文成→近藤文成の系図


  品川高標(たかすえ)/房如(ふさゆき)
 実は品川高純の子。
 近藤文敬の娘
妻の父 近藤文敬→近藤文敬の系図

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今川氏睦~範叙の系図

今川氏睦~範叙の系図

  今川氏睦(うじみち)/範朝(のりとも)/氏勝(うじかつ)【1668-1699】
 実は品川高寛(→品川高寛~高標の系図)の子。

祖父 直房 氏尭今川氏真~氏尭の系図

 北条氏平の娘
妻の父 北条氏平北条氏平~氏征の系図


  今川範高(のりたか)【1694-1712】
 実は品川伊氏(→品川高久~氏恒の系図)の子。
 畠山義寧の娘
妻の父 畠山義寧→畠山義寧の系図
 松平乗真松平真次~盈乗の系図

子の夫 山岡景之→山岡景之の系図


  今川範主(のりぬし)【1698-1728】
 実は品川伊氏(→品川高久~氏恒の系図)の子。
 松平勝文〔養父:松平勝秀〕→松平勝文の系図
 義泰〔養父:今川範彦〕
子の夫 赤井林幸→赤井林幸の系図
子の夫 稲垣正庸→稲垣正庸の系図


  今川範彦(のりひこ)【1716-1749】
 秋月種輔の娘
妻の父 秋月種輔→秋月種輔の系図


  今川義泰(よしやす)【1728-1784】
 実は今川範主の子。
 喜連川茂氏の娘
妻の父 喜連川茂氏喜連川義親~茂氏の系図
 井上正延→井上正延の系図


  今川義彰(よしあき)/義幹(よしより)【1756-1818】
 小笠原政方の娘
妻の父 小笠原政方→小笠原政方の系図

 義彰の娘
 実は瀬名貞如(→瀬名貞如の系図)の娘。


  今川義用(よしもち)【?-1839】(以下、『系図纂要』による。)
 本庄道昌の娘
妻の父 本庄道昌→本庄道昌の系図


  今川義順【?-1841】
 松浦清の娘
妻の父 松浦清松浦清~詮の系図

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系図について

 本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
 あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。

 系図はおおよそ次の方針で作成しています。

  • 系図に描画する人物の範囲について
     上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
     下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。
  • 人物の表示の区別について
     系図では、次の通り背景色を区別しています。
     (オレンジ)……天皇
     (緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
     (黄)……江戸時代の将軍・藩主
     (水色)……その他男性
     (ピンク)……その他女性
  • 養子・猶子について
     両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
     養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
     一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
     なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。
  • 正室・側室等について
     これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。
  • 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
     『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。
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