白川家(花山源氏)の系図

系図のメモ帳
スポンサーリンク

 このページでは、白川家(花山源氏)の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。

スポンサーリンク

白川家(半家)の略系図

白川家の略系図

2 清仁親王清仁親王~源顕康の系図
5 顕広王顕広王・仲資王の系図
6-A 資宗王資宗王の系図

7 業資王業資王~顕邦王の系図
14 資忠王資忠王~雅業王の系図
18 雅朝王雅朝王~白川資訓の系図

スポンサーリンク

清仁親王~源顕康の系図

清仁親王~源顕康の系図

  清仁親王(きよひと)

祖父 冷泉天皇 花山天皇冷泉天皇・花山天皇の系図

 源延信(のぶさね)
子の妻 高階成順の娘
 歌人。
子の妻の父 高階成順高階峯緒~良臣の系図
 康資王〔養父:清仁親王〕

 信子女王藤原能長の系図
 兼文王(かねぶみ)
 父は源延信とも。
兼文孫 兼任
兼任の子の夫 二条兼基二条兼基・道平の系図


  康資王
 藤原隆方の娘
妻の父 藤原隆方藤原隆方の系図

 仁子女王堀河天皇の系図


  源顕康〔養父:源顕房(→源顕房の系図)〕
 藤原敦憲の娘
妻の父 藤原敦憲藤原憲房・敦輔の系図
 顕広王 仲資王顕広王・仲資王の系図

 藤原基忠の娘
妻の父 藤原基忠藤原長家・忠家の系図
 公顕(こうけん)【1110-1193】
 園城寺長吏。天台座主。鎌倉幕府にもたびたび招請された。

 藤原憲房の娘
妻の父 藤原憲房藤原憲房・敦輔の系図

スポンサーリンク

顕広王・仲資王の系図

顕広王・仲資王の系図

  顕広王(あきひろ)【1095-1180】
 顕広王以降、神祇伯を世襲した。日記は『顕広王記』。

祖父 康資王 顕康清仁親王~源顕康の系図
祖父 藤原敦憲藤原憲房・敦輔の系図

 大江宗秀の娘
 顕綱王/顕仲
 父は源顕康(→清仁親王~源顕康の系図)とも。
 猷尊
 父は仲資王とも。

 藤原能忠の娘
妻の父 藤原能忠藤原能長の系図

 顕経王
子の妻 小槻隆職の娘
子の妻の父 小槻隆職→小槻隆職の系図
曾孫 猷宗
 父は資宗王(→資宗王の系図)とも。

子の妻 小槻国宗の娘
子の妻の父 小槻国宗→小槻国宗の系図
曾孫の夫 月輪良基九条良経の系図


  仲資王(なかすけ)/顕順【1157-1222】
 正三位。日記は『仲資王記』。
 業資王 資光王業資王~顕邦王の系図
 資宗王資宗王の系図
 猷尊(ゆうそん)【1178-1252】
 父は顕綱王とも。

資宗王の系図

資宗王の系図

  資宗王【1191-?】〔養子:資光王・宗舜(→業資王~顕邦王の系図)〕
 従二位。

祖父 顕広王 仲資王顕広王・仲資王の系図

 藤原盛実の娘
妻の父 藤原盛実藤原顕盛の系図
 資基王【1226-1264】
 従二位。
子の妻 大友親秀の娘
子の妻の父 大友親秀→大友親秀の系図
 資緒王【1250-1305】
 従二位。
曾孫 資通王/康家/資茂【1273-1327】
 従二位。
資緒王孫 資継王/定仲【1299-1371】〔養子:資方王〕
 従二位。
資緒王孫 資方王【?-1398】〔養父:資継王〕
 従三位。

 康仲【1258-1306】
 従三位。

 資顕/博仲王【?-1302】
 従三位。
曾孫 顕親/登通

 藤原行光の娘
妻の父 藤原行光藤原行隆の系図

 康成/守資/淳資王

スポンサーリンク

業資王~顕邦王の系図

業資王~顕邦王の系図

  業資王(なりすけ)/康家【1184-1224】
 従三位。

祖父 顕広王 仲資王顕広王・仲資王の系図

 藤原行光の娘
妻の父 藤原行光藤原行隆の系図
 宗舜/覚信〔養父:資宗王(→資宗王の系図)〕


  資光王【?-1268】〔養父:資宗王(→資宗王の系図)〕
 藤原信実の娘
妻の父 藤原信実藤原信実の系図


  資邦王【?-1299】
 従二位。
 藤原宗氏の娘
妻の父 藤原宗氏藤原行隆の系図

 業邦
 父は業顕王とも。


  業顕王【1266-1320】
 従二位。


  資清王【1289-1330】
 正三位。
 葉室長隆の娘
妻の父 葉室長隆葉室長隆~頼継の系図

 業定王【?-1421】
 従二位。
業清王孫 定兼
 従二位。


  資英王【1309-1366】
 従二位。
 持明院保藤の娘
妻の父 持明院保藤持明院基保の系図

 顕英【?-1397】
 従三位。父は顕邦王とも。


  顕邦王【1339-1394】
 従二位。
 資忠王 雅兼王資忠王~雅業王の系図

スポンサーリンク

資忠王~雅業王の系図

資忠王~雅業王の系図

  資忠王(すけただ)【1372-1440】
 正二位。日記は『資忠王記』。

祖父 資英王 顕邦王業資王~顕邦王の系図

 豊子女王広橋兼郷~守光の系図


  雅兼王
 従二位。
 資益王(すけます)【1417-1484】
 正二位。日記は『資益王記』。
 資氏王【1456-1504】
 従三位。
孫の妻 兼寿の娘
孫の妻の父 兼寿→兼寿の系図
曾孫 雅業王〔養父:忠富王〕

曾孫 忠富王
 実は雅兼王の子。

子の夫 二条持通二条持通~晴良の系図


  忠富王(ただとみ)【1428-1510】〔養父:資氏王〕
 正二位。神祇官代の復興を計画したが実現しなかった。日記は『忠富王記』。
子の夫 康照→康照の系図


  雅業王【1488-1560】
 正二位。
 橘以緒の娘
妻の父 橘以緒→橘以緒の系図

 忠富王の娘
 兼親/孝顕

 雅朝王 顕成雅朝王~白川資訓の系図
子の夫 中山親綱(『系図纂要』による。)→中山親綱~英親の系図

スポンサーリンク

雅朝王~白川資訓の系図

雅朝王~白川資訓の系図

  雅朝王【1555-1631】(以下、『系図纂要』による。)
 参議。実は中院通右(→中院通氏~通右の系図)の子。

祖父 忠富王 雅業王資忠王~雅業王の系図


  白川顕成【1584-1621】
 顕成の娘(『白川家譜』による。)
子の夫 鷹司信房鷹司信房~教平の系図
 松平信平松平信平~信清の系図


  白川雅陳【1592-1663】
 従二位。実は高倉永孝(→高倉永孝~永俊の系図)の子。
 宥雅雅直 雅陳の娘(3人)(『白川家譜』による。)


  白川雅喬【1620-1688】
 正二位。
 四辻公理の娘
妻の父 四辻公理四辻季継~季輔の系図
 雅冬〔養父:白川雅光〕

 定英 雅喬の娘(『白川家譜』による。)
子の夫 園基勝園基福~基香の系図


  白川雅光/雅元【1660-1706】
 従二位。
 東園基賢の娘
妻の父 東園基賢東園基教~基雅の系図

 四辻季藤〔養父:四辻公尚〕→四辻公韶~公賀の系図


  白川雅冬/康起【1679-1734】
 正三位。実は白川雅喬の子。


  白川雅富/英方【1702-1759】
 従二位。実は梅渓通条(→梅渓季通~通条の系図)の子。
 資顕〔養父:白川雅辰〕
 佐子植松雅永~雅言の系図


  白川雅辰【1727-1747】


  白川資顕【1731-1785】
 正二位。実は白川雅富の子。
 黒田長貞の娘
妻の父 黒田長貞黒田長興~長貞の系図

 雅言【1752-1765】


  白川資延【1770-1824】
 正二位。
 松平頼昌の娘
妻の父 松平頼昌松平頼豊~頼恭の系図

子の夫 竹屋光有竹屋兼俊~光昭の系図


  白川雅寿【1807-1834】
 実は梅渓行通(→梅渓通仲~通治の系図)の子。


  白川資敬【1822-1851】
 実は下冷泉為起(→下冷泉為俊~為柔の系図)の子。
 千代麿 芳子資敬の娘(2人)(『白川家譜』による。)


  白川資訓【1841-1906】
 正三位。

スポンサーリンク

系図について

 本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
 あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。

 系図はおおよそ次の方針で作成しています。

  • 系図に描画する人物の範囲について
     上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
     下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。
  • 人物の表示の区別について
     系図では、次の通り背景色を区別しています。
     (オレンジ)……天皇
     (緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
     (黄)……江戸時代の将軍・藩主
     (水色)……その他男性
     (ピンク)……その他女性
  • 養子・猶子について
     両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
     養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
     一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
     なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。
  • 正室・側室等について
     これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。
  • 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
     『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。
タイトルとURLをコピーしました