黒田氏(宇多源氏・扶義流)・長興流の系図

系図のメモ帳
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 このページでは、黒田氏(宇多源氏・扶義流)・長興流の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。

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黒田氏・長興流(筑前国秋月藩主)の略系図

黒田氏・長興流の略系図

1 長興黒田長興~長貞の系図
5 長邦黒田長邦~長徳の系図

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黒田長興~長貞の系図

黒田長興~長貞の系図

  黒田長興(ながおき)/孝政(よしまさ)【1610-1665】
 筑前国秋月藩主。

祖父 孝高黒田宗満~孝高の系図
 長政黒田長政~光之・高政~長寛の系図
祖父 徳川家康徳川家康の系図

 佐竹義隆の娘
妻の父 佐竹義隆→佐竹義隆の系図
 犬万【1656-1663】
 母は『寛政重修諸家譜』による。
子の夫 藤堂高通→藤堂高通の系図
子の夫 小笠原長祐小笠原忠知~長重の系図
子の夫 小笠原真方小笠原真方~貞顕の系図

 長興の娘(『黒田家譜(筑前秋月)』による。)


  黒田長重(ながしげ)【1659-1710】
 秋月藩主。
 黒田与/富貴
 黒田光之(→黒田長政~光之・高政~長寛の系図)の娘。
 長重の娘
 母は『寛政重修諸家譜』による。


  黒田長軌(ながのり)【1686-1715】
 秋月藩主。
 佐竹義処の娘
妻の父 佐竹義処→佐竹義処の系図


  黒田長貞(ながさだ)/長治(ながはる)【1694-1754】
 秋月藩主。実は野村祐春の子。
 上杉豊
 上杉綱憲(→上杉綱憲の系図)の娘。
 長邦 長恵黒田長邦~長徳の系図
 長通長常
 母は『寛政重修諸家譜』による。
 酒井忠聴〔養父:酒井忠陸〕→酒井忠助~忠懿の系図
 長貞の娘
 母は『寛政重修諸家譜』による。加藤泰温に嫁ぐ予定であった。
子の夫 秋月種美→秋月種美の系図

子の夫 甘露寺規長甘露寺規長・篤長の系図
子の夫 唐橋在家唐橋在家~在光の系図
子の夫 白河資顕(『黒田家譜(筑前秋月)』による。)→雅朝王~白川資訓の系図
子の夫 堤栄長(『黒田家譜(筑前秋月)』による。)→中川貞長~堤功長の系図
子の夫 粟津元昭(『黒田家譜(筑前秋月)』による。)

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黒田長邦~長徳の系図

黒田長邦~長徳の系図

  黒田長邦(ながくに)【1722-1762】
 秋月藩主。

祖父 長軌 長貞黒田長興~長貞の系図
祖父 上杉綱憲→上杉綱憲の系図

 黒田松
 黒田継高(→黒田綱政~継高の系図)の娘。
子の夫 松平近貞松平近明~直巳の系図
子の夫 保科正率→保科正率の系図

 長邦の息子(『黒田家譜(筑前秋月)』による。)
子の夫 山崎義俊→山崎義俊の系図


  黒田長恵(ながよし)【1754-1774】
 秋月藩主。


  黒田長堅(ながかた)【1770-1784】
 秋月藩主。実は山崎義俊(→山崎義俊の系図)の子。藩校稽古亭を設立した。


  黒田長舒(ながのぶ)【1765-1807】
 秋月藩主。実は秋月種茂(→秋月種茂の系図)の子。
 松平忠啓の娘
妻の父 松平忠啓→松平忠啓の系図

 山内豊雍の娘
妻の父 山内豊雍→山内豊雍の系図

 利亮〔養父:木下恒三郎〕
 純成〔養父:郡常成〕(『黒田家譜(筑前秋月)』による。)
 長舒の息子(2人)・ 長舒の娘(『黒田家譜(筑前秋月)』による。)
子の夫 唐橋在経唐橋在家~在光の系図
子の夫 黒田利邑(『黒田家譜(筑前秋月)』による。)


  黒田長韶(ながつぐ)【1789-1840】
 秋月藩主。
 松平兼
 松平直恒(→松平明矩~直温の系図)の娘。

 長韶の息子(『黒田家譜(筑前秋月)』による。)
子の夫 平松時保平松時行~時厚の系図
子の夫 秋月種殷→秋月種殷の系図
子の夫 大田原広清→大田原広清の系図
子の夫 立花増豹黒田利武(『黒田家譜(筑前秋月)』による。)


  黒田長元(ながもと)【1812-1867】(以下、『黒田家譜(筑前秋月)』による。)
 秋月藩主。実は山内豊策(→山内豊策の系図)の子。
 山内豊福〔養父:山内豊賢〕→山内豊福の系図
 織田信民〔養父:織田信敬〕→織田信民の系図
 松平忠毅〔養父:松平忠国〕→松平忠毅の系図
 長徳〔養父:黒田長義〕
 源吉郎〔養父:箕浦尚庸〕
子の夫 久留島通靖→久留島通靖の系図
子の夫 錦織教久→錦織教久の系図


  黒田長義(ながよし)【1845-1862】
 秋月藩主。


  黒田長徳(ながのり)【1847-1892】(以下、『華族系譜』による。)
 秋月藩主。実は黒田長元の子。
 秋月鏸
 秋月種殷(→秋月種殷の系図)の娘。

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系図について

 本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
 あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。

 系図はおおよそ次の方針で作成しています。

  • 系図に描画する人物の範囲について
     上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
     下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。
  • 人物の表示の区別について
     系図では、次の通り背景色を区別しています。
     (オレンジ)……天皇
     (緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
     (黄)……江戸時代の将軍・藩主
     (水色)……その他男性
     (ピンク)……その他女性
  • 養子・猶子について
     両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
     養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
     一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
     なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。
  • 正室・側室等について
     これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。
  • 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
     『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。
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