このページでは、高辻家(菅原氏)の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
高辻家(半家)の略系図

1 是綱→菅原是綱~長守の系図
4 為長→高辻為長~長宣の系図
8 国長→高辻国長~長雅の系図
16 遂長→高辻遂長~長量の系図
20 総長→高辻総長~修長の系図
菅原是綱~長守の系図
菅原是綱(これつな)【1030-1107】
高辻家の祖。
祖父 孝標→菅原高視~孝標の系図
父 定義→菅原定義~在茂の系図
祖父 藤原相任→藤原相任~国重の系図
子 清隆(『高辻家譜』による。)
子 聖教/寛賢
子の夫 藤原俊信→藤原正家~顕業の系図
子の夫 藤原為宣→藤原隆方の系図
子の夫 藤原実義→藤原有綱~信重の系図
孫の夫 菅原時登→菅原時登の系図
菅原長守【1129-1203】
実は菅原在長(→菅原在良~公輔の系図)の子。
子 高辻為長・孫 長成→高辻為長~長宣の系図
孫 五条高長→五条高長~為清の系図
高辻為長~長宣の系図
高辻為長(ためなが)【1158-1246】
参議。土御門天皇や後堀河天皇の侍読を務めた。『貞観政要』の講義を得意とした。
祖父 宣忠・父 長守→菅原是綱~長守の系図
妻 弁暁の娘
子 五条高長・孫 長経→五条高長~為清の系図
妻 中原師茂の娘
妻の父 中原師茂→中原師茂の系図
子 長貞〔養子:五条高長(→五条高長~為清の系図)〕
曾孫 長員/長国/長憲【1273-1352】
従二位。
長貞孫 周長【?-1380】
従三位。
子 公良【1195-1260】〔養父:菅原公輔(→菅原在良~公輔の系図)、養子:菅原在公(→菅原在公~在永・公氏・公頼の系図)〕
正三位。
孫 公長【1225-1273】
曾孫 長輔【?-1290】
公良孫 忠長【1273-1331】
正三位。父は五条長経(→五条高長~為清の系図)とも。
公良孫 長嗣【?-1386】
参議。実は菅原行長の子。
長綱の妻 菅原在淳の娘
長妻の妻の父 菅原在淳→菅原在公~在永・公氏・公頼の系図
公良孫 豊長
従三位。
公良孫 長方【1363-1422】〔養父:菅原淳嗣〕
正三位。実は菅原豊長の子。
公良孫 長勝
父は菅原長嗣とも。
公良孫 長秋
『系図纂要』によれば、父は菅原行長。
公良孫 行長
『系図纂要』によれば、父は長珍。
公良孫 長嗣〔養父:菅原忠長〕
子 定教(『高辻家譜』による。)
子の夫 藤原宗親→藤原俊経・盛経の系図
子の夫 菅原在頼(『高辻家譜』による。)→菅原在高~良頼の系図
高辻長成【1205-1281】
参議。後深草天皇・亀山天皇の侍読を務めた。
子 氏長【1221-1278】
孫 長俊〔養子:高辻定長〕
曾孫 定長(以下、『久松家譜(下総多古)』による。)
実は高辻秋長の子。
氏長孫 久松道定→久松道定~定義の系図
氏長孫 定長〔養父:高辻長俊〕
子 長誉(『高辻家譜』による。)
子の夫 四条隆行→藤原隆衡の系図
孫 西大路隆政→西大路隆政~隆範の系図
高辻清長【1237-1303】
従二位。
妻 源仲遠の娘
妻の父 源仲遠→五辻仲兼・遠兼の系図
子の夫 五条長冬・五条為視→五条高長~為清の系図
高辻長宣【1271-1325】
正三位。
子 国長・孫 長衡→高辻国長~長雅の系図
子 為成【?-1364】
従三位。
高辻国長~長雅の系図
高辻国長【1294-1370】
従二位。
祖父 清長・父 長宣→高辻為長~長宣の系図
妻 東坊城茂長の娘
妻の父 東坊城茂長→東坊城茂長~長遠の系図
高辻長衡【1321-1389】
正三位。
高辻久長(ひさなが)【?-1414】
従三位。
高辻長広/長興/長則/長郷【?-1455】
参議。
高辻継長【1414-1475】
権大納言。後花園天皇・後土御門天皇の侍読を務めた。
高辻長直【1441-1522】
権大納言。
高辻章長【1469-1525】
権中納言。後柏原天皇の侍読を務めた。
妻 町広光の娘【?-1540】
妻の父 町広光→町資藤の系図
夫 邦輔親王→邦輔親王の系図
子 町資将〔養父:町広光〕→町資藤の系図
妻 日野勝光の娘
妻の父 日野勝光→日野勝光~晴光の系図
高辻長雅【1515-1580】〔養子:五条為経(→五条為賢~為経の系図)〕
権大納言。
子 遂長・孫 長純→高辻遂長~長量の系図
子 宏俊〔養父:広橋国光〕→広橋兼秀・国光の系図
高辻遂長~長量の系図
高辻遂長【1600-1642】(以下、『系図纂要』による。)
参議。実は五条為経(→五条為賢~為経の系図)の子。
祖父 章長・父 長雅→高辻国長~長雅の系図
妻 細川興元の娘
妻の父 細川興元→細川興元~興誠の系図
子の夫 姉小路実道→姉小路公景~実武の系図
高辻長純【1619-1648】
母は『高辻家譜』による。
高辻豊長【1625-1702】〔養子:宗賀(→五条為適~為房の系図)〕
権大納言。実は東坊城長維(→東坊城益長~長維の系図)の子。
子 按察使局→後西天皇の系図
子 豊長の息子(2人)・子 豊長の娘(『高辻家譜』による。)
高辻長量【1662-1695】
実は東坊城恒長(→東坊城恒長~夏長の系図)の子。
子 高辻総長・孫 冬長→高辻総長~修長の系図
子 前田長泰→前田長泰の系図
子 菅内侍→東山天皇の系図
子 長量の息子・子 長量の娘(『高辻家譜』による。)
子の夫 井上正鄰(『寛政重修諸家譜』による。)→井上政蔽~正国の系図
高辻総長~修長の系図
高辻総長【1688-1741】
権中納言。
祖父 豊長・父 長量→高辻遂長~長量の系図
妻 梅小路共方の娘
妻の父 梅小路共方→梅小路定矩~定輯の系図
子 家長〔養父:高辻冬長〕
子 六角知通〔養父:六角孝通〕(『高辻家譜』による。)→六角基維~博通の系図
子 総長の息子【?-1786】(『高辻家譜』による。)
子 友丸・総長の息子(『高辻家譜』による。)
子の夫 阿野実惟→阿野公業~実惟の系図
孫 公縄→阿野公縄~実允の系図
子の夫 五条為成→五条為範~為定の系図
高辻冬長【1709-1735】
高辻家長【1715-1776】
権大納言。実は高辻総長の子。
子 桑原忠長〔養父:桑原為彬〕→桑原長義~為政の系図
子 信賢【?-1812】(『高辻家譜』による。)
子 家長の息子【?-1811】(『高辻家譜』による。)
子 家長の息子【?-1813】(『高辻家譜』による。)
子 信子/倍子【?-1836】
子 幸→有馬清純~孝純の系図
子 家長の娘〔養父:高辻胤長〕(『高辻家譜』による。)
子 尭弁・家長の息子・子 家長の娘(『高辻家譜』による。)
子の夫 油小路隆前→油小路隆基~隆董の系図
高辻胤長/世長【1740-1803】
権大納言。母は『高辻家譜』による。
妻 五条為成の娘
妻の父 五条為成→五条為範~為定の系図
子 総子【?-1782】(『高辻家譜』による。)
子 胤長の娘【?-1807】〔養父:持明院権中納言〕(『高辻家譜』による。)
酒井内匠に嫁いだ。
子 胤長の娘【?-1838】(『高辻家譜』による。)
専念寺に嫁いだ。
子 胤長の娘【?-1840】(『高辻家譜』による。)
実は高辻家長の娘。桐間伊東に嫁いだ。
子 信廉・子 貫子・胤長の娘(『高辻家譜』による。)
高辻福長【1761-1819】〔養子:二条功麿(→二条治孝~斉敬の系図)〕
権中納言。
妻 土御門泰子
土御門泰邦(→土御門泰邦の系図)の娘。
子 福長の息子【?-1826】(『高辻家譜』による。)
子 寛梁(『高辻家譜』による。)
子 信観【?-1857】(『高辻家譜』による。)
子 豊子【?-1862】
子 福長の娘【?-1862】(『高辻家譜』による。)
稲田九郎兵衛に嫁いだ。
子 福長の娘【?-1850】(『高辻家譜』による。)
浅野孫左衛門に嫁いだ。
高辻俊長【1779-1811】
正三位。
子 俊長の娘【?-1851】(『高辻家譜』による。)
山内太郎左衛門に嫁いだ。
子 俊長の娘【?-1862】(『高辻家譜』による。)
桐間蔵人に嫁いだ。
高辻以長【1799-1859】
正三位。
妻 中院通知の娘
妻の父 中院通知→中院通維~通富の系図
子 学長【1829-1839】
子 西高辻信厳(のぶかね)【1846-1899】(『高辻家譜』による。)
子 阿栄(『高辻家譜』による。)→東坊城恒長~夏長の系図
子 西高辻信全・子 八千(『高辻家譜』による。)
高辻修長(おさなが)【1840-1921】
従三位。岩倉使節団に随行した。
系図について
本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。
系図はおおよそ次の方針で作成しています。
- 系図に描画する人物の範囲について
上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。 - 人物の表示の区別について
系図では、次の通り背景色を区別しています。
(オレンジ)……天皇
(緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
(黄)……江戸時代の将軍・藩主
(水色)……その他男性
(ピンク)……その他女性 - 養子・猶子について
両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。 - 正室・側室等について
これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。 - 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。