このページでは、戸田氏(藤原氏北家・公季流)・忠次流の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
戸田氏・忠次流(下野国足利藩主)の略系図
1 忠次→戸田忠次の系図
2 忠利→戸田忠利の系図
2-A 忠義→戸田忠義~忠春の系図
3 忠囿→戸田忠囿の系図
4 忠位→戸田忠位~忠行の系図
戸田忠次の系図
戸田忠次(ただつぐ)/忠継(ただつぐ)【1597-1640】
母は『寛政重修諸家譜』による。
祖父 忠次→戸田忠政・忠次の系図
父 尊次→戸田尊次・忠能の系図
子 忠昌〔養父:戸田忠能〕→戸田忠昌~忠盈の系図
子 忠利→戸田忠利の系図
孫 忠義→戸田忠義~忠春の系図
孫 忠囿→戸田忠囿の系図
子の夫 久世広之→久世広之・重之の系図
子の夫 水野定勝→水野定勝・忠順~忠告の系図
戸田忠利の系図
戸田忠利(ただとし)/忠時(ただとき)【1637-1712】
下野国足利藩主。
祖父 尊次→戸田尊次・忠能の系図
父 忠次→戸田忠次の系図
妻 土屋利次の娘
妻の父 土屋利次→土屋利次の系図
子 忠勝(ただかつ)【?-1686】
子の妻 戸田忠重の娘
子の妻の父 戸田忠重→戸田忠重~直準の系図
子の妻の夫 水谷勝睦→水谷勝睦の系図
孫 忠勝の娘〔養父:戸田忠利〕
子 松平隆欽〔養父:松平隆見〕→松平隆欽の系図
子 忠義・孫 忠古→戸田忠義~忠春の系図
子 忠囿→戸田忠囿の系図
孫 忠位→戸田忠位~忠行の系図
子の夫 戸田忠常→戸田生勝~忠養の系図
子の夫 戸田重澄→戸田重恒~光弘の系図
戸田忠義~忠春の系図
戸田忠義(ただよし)/忠尚(ただなお)【?-1701】(以下、『寛政重修諸家譜』による。)
祖父 忠次→戸田忠次の系図
父 忠利→戸田忠利の系図
祖父 土屋利次→土屋利次の系図
妻 内藤正興の娘
実は内藤正峰(→内藤正峰の系図)の娘。
妻の父 内藤正興→内藤正興の系図
子の夫 高力清弥→高力清弥の系図
戸田忠古(ただふる)【?-1753】
実は松平隆欽(→松平隆欽の系図)の子。
妻 戸田忠義の娘
子 松平隆定〔養父:松平隆紀〕→松平隆定の系図
妻 沼間広隆の娘
妻の父 沼間広隆→沼間広隆の系図
子 松平親房〔養父:松平隆定〕→松平親房の系図
子の夫 森和吉→森和吉の系図
戸田忠寛(ただひろ)
妻 久永信豊の娘
妻の父 久永信豊→久永信豊の系図
夫 柳生久寿→柳生久寿の系図
戸田忠諸(ただもろ)【1740-1756】
戸田忠春(ただはる)【1754-1757】
実は戸田忠言(→戸田忠位~忠行の系図)の子。
戸田忠囿の系図
戸田忠囿(ただその)/忠厚(ただあつ)【1669-1732】
下野国足利藩主。母は『寛政重修諸家譜』による。
祖父 忠次→戸田忠次の系図
父 忠利→戸田忠利の系図
祖父 土屋利次→土屋利次の系図
子 忠位・孫 忠言→戸田忠位~忠行の系図
子 遠藤常之〔養父:遠藤常就〕→遠藤常之の系図
子 天野昌邦〔養父:天野昌幸〕→天野昌邦の系図
子 窪田忠一〔養父:窪田忠任〕→窪田忠一の系図
子 忠褒〔養父:戸田忠雄〕→戸田生勝~忠養の系図
子 忠則〔養父:戸田忠城〕→戸田正次~忠喬の系図
子 忠囿の娘
島田政之に嫁ぐ予定であった。
子 忠囿の娘
戸田勝豊に嫁ぐ予定であった。
子 金次郎・子 忠囿の娘(『戸田家譜(下野足利)』による。)
子の夫 竹中元敏→竹中元敏の系図
子の夫 小堀政峯→小堀政峯の系図
子の夫 蒔田定英(『寛政重修諸家譜』による。)→蒔田定英の系図
子の夫 蒔田広尊→蒔田広尊の系図
子の夫 中川督廷→中川督廷の系図
子の夫 牧野成範→牧野成範の系図
戸田忠位~忠行の系図
戸田忠位(ただたか)【1698-1736】
足利藩主。
妻 松平信治の娘
妻の父 松平信治→松平信治の系図
子 忠貫〔養父:戸田忠真〕→戸田忠重~直準の系図
戸田忠言(ただとき)【1727-1774】
足利藩主。
妻 毛利高慶の娘
妻の父 毛利高慶→毛利高慶・高通の系図
子 忠如(ただゆき)【1751-1771】
母は『寛政重修諸家譜』による。
妻 丸野氏
子 忠皎〔養父:戸田忠倚〕→戸田忠高~忠集の系図
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 竜丸・金三郎・子 忠言の娘
母は『寛政重修諸家譜』による。
子の夫 徳山頼福→徳山頼福の系図
子の夫 河野通成→河野通重~通成の系図
子 忠春〔養父:戸田忠諸〕→戸田忠義~忠春の系図
子の夫 安藤定意→安藤定勝~定意の系図
子の夫 川口恒久→川口恒久の系図
戸田忠喬(ただたか)/忠伸(ただのぶ)【1764-1837】(以下、『戸田家譜(下野足利)』による。
足利藩主。
妻 戸田忠寛の娘
実は戸田忠盈(→戸田忠昌~忠盈の系図)の娘。
妻の父 戸田忠寛→戸田忠寛~忠友・忠舜~忠綱の系図
妻 毛利広寛の娘
妻の父 毛利広寛→毛利広寛~元蕃の系図
妻 戸沢銀/登志/常/暁【1761-1796】
戸沢正諶(→戸沢正庸~正良の系図)の娘。
夫 松平乗友→松平乗穏~乗謨の系図
妻 鈴木氏
子 忠居【1787-?】
妻 永持氏
子 忠可〔養父:藪忠恒(→藪忠恒の系図)〕
子 忠喬の娘〔養父:中根可敬〕
戸田忠禄(ただとみ)【1797-1847】
足利藩主。
妻 本多康完の娘
妻の父 本多康完→本多康完~康穣の系図
妻 綱嶋氏
子 〓之助
〓は「金」+「冉」。
子 忠行〔養父:戸田忠文〕
戸田忠文(ただあや)【1839-1856】
足利藩主。実は戸田忠温(→戸田忠寛~忠友・忠舜~忠綱の系図)の子。
戸田忠行(ただゆき)【1847-1918】(以下、『華族系譜』による。)
足利藩主。実は戸田忠禄の子。
妻 松前崇広の娘
妻の父 松前崇広→松前章広~修広の系図
夫 喜連川縄氏→喜連川氏連~足利聡氏の系図
系図について
本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。
系図はおおよそ次の方針で作成しています。
- 系図に描画する人物の範囲について
上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。 - 人物の表示の区別について
系図では、次の通り背景色を区別しています。
(オレンジ)……天皇
(緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
(黄)……江戸時代の将軍・藩主
(水色)……その他男性
(ピンク)……その他女性 - 養子・猶子について
両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。 - 正室・側室等について
これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。 - 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。