このページでは、尾張徳川家(清和源氏・義国流)の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
尾張徳川家(尾張国名古屋藩主)の略系図

1 義直→徳川義直の系図
2 光友→徳川光友の系図
2-A 義昌→松平義昌~義真の系図
2-B 友著→松平友著の系図
3 綱誠→徳川綱誠の系図
4 吉通→徳川吉通~宗春の系図
8 宗勝→徳川宗勝の系図
9 宗睦→徳川宗睦~義宜の系図
徳川義直の系図
徳川義直(よしなお)/義知(よしとも)/義利(よしとし)【1600-1650】(以下、『御系譜』による。)
甲斐国府中藩主・尾張国清洲藩主・尾張国名古屋藩主。尾張徳川家の祖。
祖父 広忠→松平清康・広忠の系図
父 家康→徳川家康の系図
祖父 志水宗清→志水宗清の系図
妻 浅野春姫(はるひめ)【1602-1637】
浅野幸長(→浅野光時~幸長の系図)の娘。
妻 乾局【?-1634】
吉田甚兵衛の姉。
子 光友→徳川光友の系図
孫 綱誠→徳川綱誠の系図
孫 松平義行→松平義行・義孝の系図
孫 松平義昌→松平義昌~義真の系図
孫 松平友著→松平友著の系図
妻 おさいの方【1608-1684】
織田信盛(→織田信康の系図)の娘。
子 京子→広幡忠幸・豊忠の系図
徳川光友の系図
徳川光友(みつとも)/光義(みつよし)【1625-1700】
名古屋藩主。藩政の基礎を確立した。
妻 徳川千代姫(ちよひめ)【1637-1698】
徳川家光(→徳川家光・家綱の系図)の娘。
子 綱誠→徳川綱誠の系図
子 松平義行・孫 義孝→松平義行・義孝の系図
子 豊姫【1655】
子 直姫〔養父:徳川家綱〕→徳川家光・家綱の系図
妻 樋口信孝の娘
妻の父 樋口信孝→樋口信孝~康煕の系図
子 松平義昌・孫 義方→松平義昌~義真の系図
妻 村尾伝左衛門の娘
子 松平康永/友久【1661-1675】〔養父:松平康久〕
子 仙之助【?-1675】
母は中村氏とも。
子 貴姫→浅野綱長・吉長の系図
妻 飯尾伝兵衛の娘
子 八郎太郎【1668-1669】
子 友重【1669-1702】
妻 伏屋
子 秀姫【?-1673】
妻 糸
子 能姫【?-1674】
妻 八尾麗
子 万之助/長尊【1675-1681】
母は飯尾氏とも。
妻 於津連
子 万里之助【?-1677】
妻 大橋津知
子 官之助【?-1677】
妻 鈴木梅の枝【?-1682】
子 松平友著→松平友著の系図
妻 木村以津
子 元姫/鎚姫【1679-1690】
子 智子・清姫→織田信武~信旧の系図
子 定子→有馬忠頼~頼旨の系図
子 園姫→浅野長晟~綱晟・長治~長寔の系図
松平義昌~義真の系図
松平義昌(よしまさ)/義則(よしのり)【1651-1713】(以下、『徳川家譜(尾張名古屋)』による。)
陸奥国梁川藩主。庶子であったため、長男として扱われなかった。
祖父 義直→徳川義直の系図
父 光友→徳川光友の系図
祖父 樋口信孝→樋口信孝~康煕の系図
妻 丹羽亀姫
丹羽光重(→丹羽光重の系図)の娘。
妻 副田氏
子 義昌の息子【?-1678】
妻 中島氏
子 沖【1679-1680】
子 稲→伊東祐由~祐之の系図
妻 加藤氏
子 義武/義喬【1690-1729】
孫 賀那【1712-1714】
妻 恒川氏
子 千之丞【1698】
子 義昌の息子【?-1677】
子 友太郎【?-1682】
子 万次郎【1683-1684】
子 義昌の娘【?-1679】
子 数【1680-1682】
子 義昌の娘【?-1687】
子 義昌の娘【?-1690】
子 富【1693-1695】
子 義昌の娘【?-1698】
子 辰【1698-1700】
子 栄→遠山政亮~内藤政業の系図
松平義方(よしかた)/義賢【1686-1721】
梁川藩主。
妻 浅野三
浅野綱長(→浅野綱長・吉長の系図)の娘。
子 近姫→上杉宗房の系図
松平義真(よしざね)【1714-1729】
梁川藩主。
松平友著の系図
松平友著(ともあき)/友親【1678-1726】
妻 正親町生姫/伊喜姫【1696-1730】
正親町公通(→正親町公通~実連の系図)の娘。
妻 湯本於繁
子 徳川宗勝〔養父:徳川宗春、松平義孝〕→徳川宗勝の系図
子 見世姫【1698-1703】
妻 賀瀬
子 菊姫【1710-1718】
妻 樫村こん
子 加祢姫【1713-1716】
徳川綱誠の系図
徳川綱誠(つななり)/綱義(つなよし)【1652-1699】
名古屋藩主。
祖父 義直→徳川義直の系図
父 光友→徳川光友の系図
祖父 徳川家光→徳川家光・家綱の系図
妻 広幡新君【1654-1692】
広幡忠幸(→広幡忠幸・豊忠の系図)の娘。
妻 日下礼与
子 五郎八【1676-1678】
妻 佐野
子 源之助【1678】
妻 河野下総
子 悦姫【1679-1681】
妻 梅小路
子 鶴丸【1680】
子 松之助【1682-1683】
子 喜太郎【1686-1687】
子 綱誠の息子【1693】
子 菊姫【1684-1685】
子 綾姫【1692-1694】
子 政姫【1695】
妻 浅岡段
子 初姫【1683】
妻 津解
子 八代姫【1684】
妻 佐子
子 清姫【1684】
妻 難波
子 内膳【1688-1691】
子 春姫【1685-1686】
子 光姫【1690-1691】
妻 林和泉
子 亀太郎【1687-1692】
子 常三郎【1688-1691】
子 継友〔養父:徳川五郎太〕→徳川吉通~宗春の系図
妻 坂崎下総
子 吉通・孫 五郎太→徳川吉通~宗春の系図
子 岩之丞【1694-1705】
子 蔦姫【1688】
子 立姫/知多姫【1691-1696】
妻 鈴木和子
子 晴之丞/勝之丞【1690】
子 石松【1692-1694】
子 猶姫/沖姫【1688-1689】
妻 万
子 伊羅姫【1692-1694】
妻 里見唐橋
子 松平義孝〔養父:松平義行〕→松平義行・義孝の系図
子 通温(みちまさ)【1696-1730】
子 喜知姫→徳川綱吉~家継の系図
妻 三浦梅津
子 城次郎【1694-1697】
子 宗春〔養父:徳川継友〕→徳川吉通~宗春の系図
子 綱誠の娘【?-1698】
妻 松永菊山
子 繁之丞【1695-1696】
妻 上村倉橋
子 千之丞【1696-1697】
子 副姫【1698-1700】
子 松姫→前田吉徳~重教の系図
妻 中東新大夫
子 増之丞【1699】
母は小泉氏とも。
子 綱誠の息子【?-1683】(『徳川家譜(尾張名古屋)』による。)
子 貴姫→浅野綱長・吉長の系図
徳川吉通~宗春の系図
徳川吉通(よしみち)【1689-1713】
名古屋藩主。
妻 九条輔子【1690-1731】
九条輔実(→九条幸家~輔実の系図)の娘。
妻 お三
子 三千姫〔養父:徳川継友〕
妻 守崎尾上
子 三姫→徳川宗勝の系図
徳川五郎太(ごろうた)【1711-1713】
名古屋藩主。
徳川継友(つぐとも)/通顕(みちあき)【1692-1730】
名古屋藩主。実は徳川綱誠(→徳川綱誠の系図)の子。
妻 近衛安克子【1704-1725】
近衛家煕(→近衛信尋~家煕の系図)の娘。
妻 秋山右京
子 八三郎【1722-1723】
子 三千姫→九条師孝~道孝の系図
徳川宗春(むねはる)/通春(みちはる)【1696-1764】
梁川藩主・名古屋藩主。実は徳川綱誠(→徳川綱誠の系図)の子。商工業を振興し、名古屋の町を発展させた。将軍徳川吉宗と対立し、隠居を命じられた。『温知政要』を著した。
妻 原田梅津
子 万五郎/国丸【1730-1735】
子 冨姫【1724-1733】
子 八千姫【1726-1731】
妻 山中民部
子 竜千代【1737】
子 補誦姫/三保姫【1726-1735】
子 八百姫【1730-1731】
妻 丹羽伊予
子 勝子→近衛家久・内前の系図
子 以津姫【1730-1731】
子 宗勝→徳川宗勝の系図
孫 宗睦→徳川宗睦~義宜の系図
子 近姫→上杉宗房の系図
徳川宗勝の系図
徳川宗勝(むねかつ)/友相(ともすけ)/友淳(ともあつ)/義淳(よしあつ)【1705-1761】〔養父:松平義孝(→松平義行・義孝の系図)〕
美濃国高須藩主・名古屋藩主。実は松平友著(→松平友著の系図)の子。
祖父 継友・父 宗春→徳川吉通~宗春の系図
妻 徳川三姫【1710-1730】
徳川吉通(→徳川吉通~宗春の系図)の娘。
子 万弥【1730-1732】
妻 一色於嘉代【?-1773】
子 宗睦・孫 斉朝→徳川宗睦~義宜の系図
子 勝長【1735-1811】
子の妻 木造留代
孫 睦英【1777-1792】
子の妻 松平忠左衛門の娘
孫 勇丸〔養父:徳川宗睦〕→徳川宗睦~義宜の系図
子 房姫【1732-1748】
島津宗信に嫁ぐ予定であった。
子 類姫【1734-1736】
妻 馬場登世
子 松平義敏・孫 義柄→松平義敏~義和の系図
子 松平勝当〔養父:松平義裕〕→松平義敏~義和の系図
子 大之丞【1739】
子 内藤頼多〔養父:内藤頼由〕→内藤清枚~頼直の系図
子 豊姫→上杉重定の系図
妻 倉林すめ
子 信之進【1735-1736】
子 栄之助【1734-1747】
子 勝綱(かつつな)【1738-1801】
子 井上正国〔養父:井上正森〕→井上政蔽~正国の系図
妻 小川津屋
子 竹腰勝起〔養父:竹腰正武〕→竹腰正武~正旧の系図
子 福子→浅野重晟の系図
子 麻姫【1741-1746】
妻 小川三保
子 峰姫【1740】
妻 渡辺留屋
子 方子→松平頼永~頼策の系図
妻 寺島守全の娘
子 勝鷹【1745-1761】
妻 伊勢美予
子 長之助【1747-1749】
妻 阿部よん
子 譲子→九条師孝~道孝の系図
子 順子→浅野重晟の系図
孫 浅野斉賢→浅野斉賢~長勲の系図
子 皆姫【1755-1756】
妻 仙宥院
子 内藤政脩〔養父:内藤政陽〕→内藤政樹~政挙の系図
子 勝子→近衛家久・内前の系図
徳川宗睦~義宜の系図
徳川宗睦(むねちか)【1733-1799】
名古屋藩主。藩政改革を行い、中興の祖と言われた。
祖父 宗春→徳川吉通~宗春の系図
父 宗勝→徳川宗勝の系図
妻 近衛周子【1730-1778】
近衛家久(→近衛家久・内前の系図)の娘。
子 治休(はるよし)【1753-1773】
子の妻 徳川万寿姫【1761-1773】
徳川家治(→徳川家重・家治の系図)の娘。
子 治興(はるおき)【1756-1776】
子 治行→松平義敏~義和の系図
実は松平義敏の子。
子 純姫→上杉治広の系図
子 勇丸【1793-1795】
実は徳川勝長(→徳川宗勝の系図)の子。
子 敬之助【1795-1797】
実は徳川家斉(→徳川家斉の系図)の子。
子 静子→近衛経煕~忠房の系図
徳川斉朝(なりとも)【1793-1850】
名古屋藩主。実は一橋治国(→一橋治済の系図)の子。
妻 徳川鎮子/淑姫【1789-1817】
徳川家斉(→徳川家斉の系図)の娘。
徳川斉温(なりはる)【1819-1839】
名古屋藩主。実は徳川家斉(→徳川家斉の系図)の子。
妻 田安愛姫【1818-1832】
田安斉匡(→田安治察~亀之助の系図)の娘。
妻 近衛定子
実は鷹司政煕(→鷹司政煕の系図)の娘。
妻の父 近衛基前→近衛経煕~忠房の系図
徳川斉荘(なりたか)【1810-1845】〔養父:田安斉匡(→田安治察~亀之助の系図)〕
田安家当主・名古屋藩主。実は徳川家斉(→徳川家斉の系図)の子。
妻 田安猶姫【1807-1872】
田安斉匡(→田安治察~亀之助の系図)の娘。
妻 笹本氏
子 勝姫【1832-1833】
妻 宮田氏
子 一橋昌丸〔養父:一橋慶寿〕→一橋斉敦~茂栄の系図
子 利姫→浅野斉賢~長勲の系図
子 邦姫【1839-1840】
子 釣姫→松平乗賢~乗命の系図
妻 本間氏
子 斉荘の娘【1844】
徳川慶臧(よしつぐ)/匡賢【1836-1849】
名古屋藩主。実は田安斉匡(→田安治察~亀之助の系図)の子。
徳川慶勝(よしかつ)/義恕(よしくみ)/慶恕【1824-1883】〔養子:松平頼縄の娘(→松平頼永~頼策の系図)〕
名古屋藩主。実は松平義建(→松平義建~義生の系図)の子。家定の将軍継嗣問題で一橋慶喜を推し、隠居を命じられた。
妻 丹羽矩姫
丹羽長富(→丹羽長富の系図)の娘。
子 慶勝の娘【1855】
妻 武蔵氏
子 寛之助【1854-1856】
子 義宜〔養父:徳川茂徳〕
子 栄姫【1852-1853】
子 道姫→松平義建~義生の系図
子 万姫【1861】
子 岑姫【1862-1864】
妻 秋月氏
子 尭之助【1855】
子 亀千代【1861】
子 安千代【1864-1869】
子 知千代【1866-1867】
子 慶勝の息子【1867】(『徳川家譜(尾張名古屋)』による。)
妻 那須氏
子 時千代【1862-1863】
子 釟千代【1866-1867】
子 盛千代【1868-1869】(『徳川家譜(尾張名古屋)』による。)
子 良【1869-?】(『徳川家譜(尾張名古屋)』による。)
子 富【1870-?】(『徳川家譜(尾張名古屋)』による。)
子 英【1872-?】(『徳川家譜(尾張名古屋)』による。)
子 義礼(よしあきら)【1863-1908】
実は松平頼聡(→松平頼恕~頼聡の系図)の子。
子の妻 徳川登代姫【1857-?】
徳川茂徳(もちなが)/建重/義比(よしちか)/茂栄(もちはる)【1831-1884】〔養父:一橋昌丸(→一橋斉敦~茂栄の系図)〕
高須藩主・名古屋藩主・一橋家当主。実は松平義建(→松平義建~義生の系図)の子。義宜に家督を譲った後、一橋家を継いだ。
妻 丹羽政姫
丹羽長富(→丹羽長富の系図)の娘。
子 松平義端→松平義建~義生の系図
妻 山中氏
子 常千代【1862-1863】
子 玄之助・達道・子 茂徳の娘(3人)(『一橋徳川系図』による。)
徳川義宜(よしのり)/徳成(ながなり)【1858-1875】
名古屋藩主。実は徳川慶勝の子。
系図について
本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。
系図はおおよそ次の方針で作成しています。
- 系図に描画する人物の範囲について
上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。 - 人物の表示の区別について
系図では、次の通り背景色を区別しています。
(オレンジ)……天皇
(緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
(黄)……江戸時代の将軍・藩主
(水色)……その他男性
(ピンク)……その他女性 - 養子・猶子について
両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。 - 正室・側室等について
これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。 - 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。