このページでは、吉良氏(清和源氏・義国流)の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
吉良氏の略系図
1 長氏→吉良長氏~貞義の系図
4 満義→吉良満義~持広の系図
13 義安→吉良義安~義弥の系図
14-A1 定安→荒川定安・定昭の系図
14-A2 定由→荒川定由~定候の系図
14-B 定堅→一色定堅~定志の系図
16 義冬→吉良義冬~義周・東条義叔~吉良義質の系図
吉良長氏~貞義の系図
吉良長氏(ながうじ)【1211-1290】
吉良氏の祖。三河国幡豆郡吉良荘の地頭職を父から譲られた。
祖父 義兼→足利義康・義兼の系図
父 義氏→足利義氏の系図
子 今川国氏・孫 基氏→今川国氏・基氏の系図
子の夫 源顕方→中院通方の系図
子の夫 義弁→義弁の系図
吉良満氏(みつうじ)
妻 足利泰氏の娘
妻の父 足利泰氏→足利泰氏の系図
妻 京極氏信の娘
妻の父 京極氏信→京極氏信・満信の系図
子 経氏→吉良経氏の系図
実は吉良義継の子。
子の夫 北条時国→北条時盛の系図
吉良貞義(さだよし)
子 満義・孫 義尊→吉良満義~持広の系図
子 有信(『系図纂要』による。)
父は吉良満義とも。
子 荒川貞弘(『系図纂要』による。)
父は吉良満氏とも。
吉良満義~持広の系図
吉良満義(みつよし)【?-1356】
足利尊氏・直義にしたがい、室町幕府の設立に協力した。
祖父 満氏・父 貞義→吉良長氏~貞義の系図
子 満貞(みつさだ)【?-1384】
子の妻 渋川義季の娘
子の妻の父 渋川義季→渋川義顕~義尭の系図
孫 俊氏(としうじ)
室町幕府の引付頭人として活躍した。
曾孫 義尚(よしなお)【1414-1467】
義尚孫 義真(よしざね)【?-1481】
足利義政に仕えた。
義真の妻 細川持賢の娘
義真の妻の父 細川持賢→細川満元~昭元の系図
義尚孫 義信(よしのぶ)(以下、『系図纂要』による。)
義尚孫 義元(よしもと)/義光〔養父:吉良義尚〕(以下、『系図纂要』による。)
実は吉良義信の子。
義尚孫 義尭(よしたか)【?-1536】
今川義元らに攻められて戦死した。
義尚孫 義安〔養父:吉良持広〕→吉良義安~義弥の系図
義尚孫 義昭(よしあきら)
徳川家康と戦い、のちに摂津国芥川で戦死した。
義尚孫 義富(『系図纂要』による。)
孫の夫 斯波義将(『系図纂要』による。)→斯波高経~義郷の系図
子 義貴・満康・満長(『系図纂要』による。)
子 有信(『系図纂要』による。)
父は吉良貞義とも。
吉良義尊(よしたか)/尊義(たかよし)/義実(よしざね)
吉良朝氏(ともうじ)
吉良持長(もちなが)(以下、『系図纂要』による。)
吉良持助(もちすけ)
吉良義藤(よしふじ)
吉良義春(よしはる)
吉良持清(もちきよ)
子 荒川義広(よしひろ)【?-1566】
子の妻 市場殿
松平広忠(→松平清康・広忠の系図)の娘。
吉良持広(もちひろ)
松平広忠の元服で加冠の役を務めた。
妻 瀬戸大房
松平信忠(→松平親忠~信忠の系図)の娘。
子 義安・孫 義定→吉良義安~義弥の系図
子 西尾吉次・孫 忠永・孫 吉定→西尾吉次~忠照・吉定・重長の系図
孫 利氏→西尾利氏~政温の系図
子 西尾長次→西尾長次の系図
吉良義安~義弥の系図
吉良義安(よしやす)(以下、『寛政重修諸家譜』による。)
実は吉良義尭(→吉良満義~持広の系図)の子。
祖父 持清・父 持広→吉良満義~持広の系図
妻 松平清康の娘
妻の父 松平清康→松平清康・広忠の系図
子の夫 今川範以→今川氏真~氏尭の系図
子の夫 大炊御門経頼→大炊御門宗実~頼国の系図
吉良義定(よしさだ)【1564-1627】
妻 今川氏真の娘
妻の父 今川氏真→今川氏真~氏尭の系図
子 荒川定安・孫 定昭→荒川定安・定昭の系図
子 一色定堅・孫 定尚→一色定堅~定志の系図
妻 松平家忠の娘
妻の父 松平家忠→松平伊忠・家忠の系図
吉良義弥(よしみつ)【1586-1643】
妻 今川範以の娘
妻の父 今川範以→今川氏真~氏尭の系図
子 義冬・孫 義央・東条義叔→吉良義冬~義周・東条義叔~吉良義質の系図
子 岡山弥清(みつきよ)【?-1670】
子の妻 品川高久の娘
子の妻の父 品川高久→品川高久~氏恒の系図
孫 今川氏尭〔養父:今川直房〕→今川氏真~氏尭の系図
子の夫 松平忠良→松平忠貞~忠尭の系図
荒川定安・定昭の系図
荒川定安(さだやす)【1599-1656】
祖父 義安・父 義定→吉良義安~義弥の系図
祖父 今川氏真→今川氏真~氏尭の系図
子の夫 内藤信直→内藤信成・信広~信盛の系図
子の夫 三宅重貞→三宅重貞の系図
子の夫 長谷川重俊→長谷川重俊の系図
子の夫 松平忠福→松平忠貞~忠尭の系図
荒川定昭(さだあき)【1642-1714】
子 定恒(さだつね)【?-1689】
子 定由・孫 定長→荒川定由~定候の系図
子 高木正容〔養父:高木正明〕→高木正容の系図
子の夫 柘植兄正→柘植兄正の系図
子の夫 坂井成徳→坂井成徳の系図
荒川定由~定候の系図
荒川定由(さだよし)【1670-1721】
祖父 定安・父 定昭→荒川定安・定昭の系図
妻 織田信門の娘
妻の父 織田信門→織田信門の系図
子 定由の娘〔養父:荒川定長〕
荒川定長(さだなが)【1705-1726】
子 定政・子 定長の娘〔養父:荒川定親〕
荒川定親(さだちか)【1710-1777】
実は星合顕行(→星合顕行の系図)の子。
妻 荒川定長の娘
実は荒川定由の娘。
妻 島田良安の娘
妻の父 島田良安→島田良安の系図
妻 中野尹良の娘
妻の父 中野尹良→中野尹良の系図
子の夫 星合親祇→星合親祇の系図
子の夫 内藤敬忠→内藤正房~正朝の系図
子の夫 布施正世→布施正世の系図
子の夫 本多重陽→本多重冬~忠茂・玄宣~玄仲の系図
子の夫 木村年冬→木村年冬の系図
荒川定政(さだまさ)【1726-1779】
実は荒川定長の子。
妻 高木正秋の娘
妻の父 高木正秋→高木正秋の系図
子の夫 篠崎長発→篠崎長発の系図
荒川定候(さだとき)【1758-?】
妻 小川子雍の娘
妻の父 小川子雍→小川子雍の系図
一色定堅~定志の系図
一色定堅(さだかた)【1612-1666】
祖父 義安・父 義定→吉良義安~義弥の系図
祖父 今川氏真→今川氏真の系図
一色定尚(さだなお)【1654-1717】
妻 品川高寛の娘
妻の父 品川高寛→品川高寛~高標の系図
一色定弘(さだひろ)【1689-1744】
実は柴崎正勝(→柴崎正勝の系図)の子。
妻 長谷川安定の娘
妻の父 長谷川安定→長谷川安定の系図
子 柴崎正能〔養父:柴崎正弘〕→柴崎正能の系図
一色定武(さだたけ)【1716-1772】
妻 佐久間信詮の娘
妻の父 佐久間信詮→佐久間信詮の系図
子 奥山通賀〔養父:奥山通尹〕→奥山通賀の系図
子 定武の娘〔養父:座光寺為礥(→座光寺為礥の系図)〕
座光寺為寿に嫁いだ娘と同一人物か。
子の夫 水上正登→水上正登の系図
子の夫 座光寺為寿→座光寺為寿の系図
一色定之(さだくに)【1742-?】
一色定志(さだもと)
実は安藤次香(→安藤次香の系図)の子。
吉良義冬~義周・東条義叔~吉良義質の系図
吉良義冬(よしふゆ)【1607-1668】
祖父 義定・父 義弥→吉良義安~義弥の系図
妻 酒井忠吉の娘
妻の父 酒井忠吉→酒井忠吉・忠経の系図
子 義孝(よしたか)【?-1688】
孫 冬重(ふゆしげ)
実は吉良義冬の子。
子 東条冬貞〔養父:東条義叔〕
子 冬重〔養父:吉良義孝〕
吉良義央(よしなか)【1641-1702】
浅野長矩に斬りつけられて負傷し、後にその旧臣大石良雄らに殺された。
妻 上杉富子(とみこ)/三【1643-1704】
上杉定勝(→上杉定勝の系図)の娘。
子 上杉綱憲〔養父:上杉綱勝〕→上杉綱憲の系図
子の夫 島津綱貴→島津綱貴の系図
子の夫 津軽政兕→津軽信英~承叙の系図
子の夫 酒井忠平→酒井忠重~忠貞・忠正~勝千代の系図
子の夫 大炊御門経音→大炊御門経敦~経音の系図
吉良義周(よしちか)
実は上杉綱憲(→上杉綱憲の系図)の子。
東条義叔(よしすえ)【?-1709】
子 冬貞(ふゆさだ)【?-1704】
実は吉良義冬の子。
東条義武(よしたけ)【?-1722】
実は柘植兄正(→柘植兄正の系図)の子。
妻 立花種澄の娘
妻の父 立花種澄→立花種澄の系図
吉良義孚(よしざね)【1711-1766】
実は柘植影正(→柘植影正の系図)の子。吉良姓を許された。
妻 稲富直暀の娘
妻の父 稲富直暀→稲富直暀の系図
子の夫 比留正利→比留正利の系図
吉良義勝(よしかつ)【1743-1777】
妻 山本正識の娘
妻の父 山本正識→山本正識の系図
子 義質〔養父:吉良義渡〕
吉良義渡(よしかず)【1761-?】
妻 吉益忠徴の娘
妻の父 吉益忠徴→吉益忠徴の系図
吉良義質(よしかた)【1765-?】
妻 設楽能荷の娘
妻の父 設楽能荷→設楽能荷の系図
系図について
本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。
系図はおおよそ次の方針で作成しています。
- 系図に描画する人物の範囲について
上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。 - 人物の表示の区別について
系図では、次の通り背景色を区別しています。
(オレンジ)……天皇
(緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
(黄)……江戸時代の将軍・藩主
(水色)……その他男性
(ピンク)……その他女性 - 養子・猶子について
両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。 - 正室・側室等について
これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。 - 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。