このページでは、今出川家(藤原氏北家・公季流)の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
今出川家(清華家)の略系図
1 兼季→今出川兼季~公彦の系図
11 晴季→今出川晴季~公規の系図
15 伊季→今出川伊季~誠季の系図
20 公言→今出川公言~実順の系図
今出川兼季~公彦の系図
今出川兼季(かねすえ)【1281-1339】
太政大臣。今出川家の祖。光厳天皇の擁立に尽力した。
祖父 公相→西園寺公相の系図
父 実兼→西園寺実兼の系図
祖父 藤原孝泰→藤原孝定の系図
妻 今出河公顕の娘
妻の父 今出河公顕→西園寺実兼の系図
今出川実尹(さねただ)【1316-1342】
権大納言。
妻 藤原為基の娘
妻の父 藤原為基→御子左為氏の系図
妻 三条実忠の娘
妻の父 三条実忠→三条実重~公忠の系図
子 実直〔養父:今出川公直〕
今出川公直(きんなお)【1335-1396】
左大臣。足利義満の出家に倣い、自身も出家した。
子 公行〔養父:今出川実直〕
今出川実直(さねなお)【1342-1396】
右大臣。
今出川公行(きんゆき)【1365-1421】
左大臣。
今出川実富【?-1428】
権大納言。
子 公富【1396-1421】
権大納言。
今出川教季(のりすえ)【1425-1483】
左大臣。
妻 高倉永豊の娘
妻の父 高倉永豊→高倉永季~永豊の系図
子 公深(『系図纂要』による。)
子の夫 邦高親王→邦高親王の系図
今出川公興(きんおき)/公尚【1446-1514】
左大臣。
妻 勧修寺教秀の娘
妻の父 勧修寺教秀→勧修寺経顕~教秀の系図
夫 兼祐→兼祐の系図
子の夫 邦高親王→邦高親王の系図
今出川季孝(すえたか)/季直【1479-1519】
権大納言。
子 公範【?-1520】
子の夫 庭田重親→庭田雅行~重保の系図
今出川公彦(きんひこ)【1506-1578】
左大臣。
子 晴季・孫 季持→今出川晴季~公規の系図
今出川晴季~公規の系図
今出川晴季(はるすえ)/実維【1539-1617】
右大臣。豊臣秀吉の関白就任を斡旋した。
祖父 季孝・父 公彦→今出川兼季~公彦の系図
妻 万里小路惟房の娘
妻の父 万里小路惟房→万里小路賢房~惟房の系図
妻 武田信虎の娘
妻の父 武田信虎→武田信縄・信虎の系図
子 日桓(『系図纂要』による。)
子 尭円/尭演(『系図纂要』による。)
子 長円(『菊亭家譜』による。)
子 一の台→豊臣秀次の系図
子の夫 有馬晴信(『寛政重修諸家譜』による。)→有馬晴純~晴信の系図
子の夫 秋元修理亮(『菊亭家譜』による。)
今出川季持【1575-1596】(以下、『系図纂要』による。)
権中納言。
妻 中山親綱の娘
妻の父 中山親綱→中山親綱~英親の系図
妻 有馬国子【?-1632】
有馬晴信(→有馬晴純~晴信の系図)の娘。
今出川経季(つねすえ)/宣季【1594-1652】
右大臣。武家伝奏を務めた。
妻 京極高次の娘
実は氏家行広の娘。
妻の父 京極高次→京極高次~高和の系図
子 公嗣・経季の息子・子 経季の娘(『菊亭家譜』による。)
子 経季の息子(『菊亭家譜』による。)
実は西園寺実晴(→西園寺実晴~致季の系図)の子。
今出川公規(きんのり)【1638-1697】
右大臣。実は徳大寺公信(→徳大寺実規~公信の系図)の子。
妻 京極美屋
京極高和(→京極高次~高和の系図)の娘。
子 伊季・孫 公香→今出川伊季~誠季の系図
子の夫 三条実治(『菊亭家譜』による。)→三条実秀~公充の系図
子 季姫→徳川光圀・綱条の系図
子 道子→松平頼隆~頼明の系図・細川吉利の系図
今出川伊季~誠季の系図
今出川伊季(これすえ)【1660-1709】
内大臣。
祖父 経季・父 公規→今出川晴季~公規の系図
祖父 京極高和→京極高次~高和の系図
子 公詮〔養父:今出川公香〕
子 伊季の息子(『菊亭家譜』による。)
子 式姫→西園寺公晃~公望の系図
今出川公香【1691-1721】
従三位。
今出川公詮/清季【1696-1731】〔養子:今出川誠季〕
権大納言。実は今出川伊季の子。
妻 輔子女王
邦永親王(→邦永親王の系図)の皇女。
子 徳子→徳川宗将の系図
子 英丸・子 珍姫・尚姫(『菊亭家譜』による。)
今出川実興【1716-1730】
今出川誠季(のぶすえ)【1713-1746】〔養父:今出川公詮〕
権大納言。実は西園寺致季(→西園寺実晴~致季の系図)の子。
妻 今出川治子
子 公言・孫 実種→今出川公言~実順の系図
子 誠季の息子(『菊亭家譜』による。)
子 定子→徳川重倫~茂承の系図
子 秋子(『菊亭家譜』による。)
今出川公言~実順の系図
今出川公言(きんこと)【1738-1776】
権中納言。宝暦事件に連座した。
祖父 実興・父 誠季→今出川伊季~誠季の系図
祖父 今出川公詮→今出川伊季~誠季の系図
子 杲助〔養父:三条季晴(→三条実顕~実美の系図)〕
子 小倉見季→小倉煕季~長季の系図
子 周覚/実在(『菊亭家譜』による。)
子 日清/実村(『菊亭家譜』による。)
子 元真/実門(『菊亭家譜』による。)
子 忠子→松平頼謙~頼英の系図
子 義丸・源丸・実城・実辰・子 国姫・従姫・公言の娘(『菊亭家譜』による。)
子の夫 勧修寺良顕→勧修寺良顕~経理の系図
今出川実種(さねたね)【1754-1801】〔養子:朗随(→東久世通廉~通禧の系図)〕
内大臣。実は西園寺公晃(→西園寺公晃~公望の系図)の子。
妻 徳川禎子
徳川宗翰(→徳川宗翰の系図)の娘。
子 董丸(『菊亭家譜』による。)
妻 源景忠の娘
子 益季・子 種子(『菊亭家譜』による。)
妻 菅原庸雄の娘
子 光子→徳大寺実祖~実則の系図
妻 藤原政次の娘
子 実種の娘(『菊亭家譜』による。)
妻 伊藤理仲の娘
子 尹子(『菊亭家譜』による。)
子 善超(『菊亭家譜』による。)
実は小倉見季(→小倉煕季~長季の系図)の子。
子の妻 勧修寺良顕の娘
子の妻の父 勧修寺良顕→勧修寺良顕~経理の系図
子 有宣(『菊亭家譜』による。)→鷹司政煕の系図
実は鷹司政煕の子。
子 礼子(『菊亭家譜』による。)
子の夫 広幡経豊→広幡長忠~忠礼の系図
今出川尚季【1782-1810】〔養子:有宣(→鷹司政煕の系図)〕
権大納言。
妻 鷹司致子/保子【1778-1838】
鷹司輔平(→鷹司輔平の系図)の娘。
子 亮珍(『菊亭家譜』による。)
実は鷹司政煕(→鷹司政煕の系図)の子。
子 憙姫・理子(『菊亭家譜』による。)
子 寿丸〔養父:小倉豊季(→小倉煕季~長季の系図)〕(『菊亭家譜』による。)
子 尚丸・子 房姫(『菊亭家譜』による。)
子の夫 小倉随季→小倉煕季~長季の系図
今出川公久【1806-1836】
権中納言。
子 省子→徳川家慶~慶喜の系図
子 栄丸・子 公久の娘(2人)(『菊亭家譜』による。)
今出川実順(さねあや)【1832-1864】
権中納言。
妻 鷹司粲君【1845-?】
鷹司政通(→鷹司政通~輔政の系図)の娘。
系図について
本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。
系図はおおよそ次の方針で作成しています。
- 系図に描画する人物の範囲について
上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。 - 人物の表示の区別について
系図では、次の通り背景色を区別しています。
(オレンジ)……天皇
(緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
(黄)……江戸時代の将軍・藩主
(水色)……その他男性
(ピンク)……その他女性 - 養子・猶子について
両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。 - 正室・側室等について
これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。 - 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。