このページでは、柳沢氏(清和源氏・義光流)・時睦流の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
柳沢時睦~徳忠の系図
柳沢時睦(ときちか)/信豊(のぶとよ)【1696-1750】
越後国三日市藩主。
祖父 安忠→柳沢安忠の系図
父 吉保→柳沢吉保の系図
祖父 正親町実豊→正親町実彦~実豊の系図
柳沢保経(やすつね)【1710-1760】
三日市藩主。実は柳沢吉保(→柳沢吉保の系図)の子。
妻 福地氏
子の夫 米倉昌晴→米倉昌晴~昌言の系図
妻 秋山氏
子 信始
母は『寛政重修諸家譜』による。
子の夫 日野資直→日野資直の系図
柳沢信著(のぶあき)【1747-1782】
三日市藩主。母は『寛政重修諸家譜』による。
妻 柳沢信鴻の娘
実は柳沢信昌(→柳沢吉里の系図)の娘。
妻の父 柳沢信鴻→柳沢信鴻の系図
柳沢里之(さとゆき)/方教(みちのり)/信古(のぶもと)/信瑗(のぶみつ)/里光(さとみつ)【1758-1804】
三日市藩主。実は柳沢信鴻(→柳沢信鴻の系図)の子。『寛政重修諸家譜』によれば、安部信允の娘・深瀬氏を母とする娘が一人ずついる。
妻 安部信允の娘
妻の父 安部信允→安部信允の系図
妻 古谷氏
子 信当
母は『寛政重修諸家譜』による。
子の夫 三枝守業→三枝守業の系図
子の夫 稲葉正衡→稲葉正次・正能・正定~正陽の系図
妻 富田氏
子 信尹
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 長広/信順〔養父:田村長好(→田村長好の系図)〕
子 長明/信軒〔養父:鵜殿長居(→鵜殿長居の系図)〕
子の夫 竹腰正定→竹腰正武~正旧の系図
柳沢里世(さとよ)【1789-1827】
三日市藩主。母は『寛政重修諸家譜』による。
妻 板倉美寿
板倉勝政(→板倉勝政~勝弼の系図)の娘。
子 里世の娘(『柳沢家譜(越後三日市)』による。)
柳沢里顕(さとあき)【1809-1842】
三日市藩主。実は柳沢保光(→柳沢保光~保申の系図)の子。
妻 堀直庸の娘
妻の父 堀直庸→堀直方~直弘の系図
子 八代→小笠原忠苗~忠忱の系図
子の夫 本多忠紀→本多忠誠~忠伸の系図
柳沢泰孝(やすたか・ひろたか)【1833-1856】
三日市藩主。
妻 松浦皓の娘
妻の父 松浦皓→松浦宝~脩の系図
子 信恒(『柳沢家譜(越後三日市)』による。)
柳沢徳忠(のりただ)【1854-1936】
三日市藩主。
妻 堀直休の娘
妻の父 堀直休→堀直方~直弘の系図
系図について
本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。
系図はおおよそ次の方針で作成しています。
- 系図に描画する人物の範囲について
上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。 - 人物の表示の区別について
系図では、次の通り背景色を区別しています。
(オレンジ)……天皇
(緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
(黄)……江戸時代の将軍・藩主
(水色)……その他男性
(ピンク)……その他女性 - 養子・猶子について
両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。 - 正室・側室等について
これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。 - 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。