このページでは、内藤氏(藤原氏北家・藤成流)・信成流の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
内藤氏・信成流(越後国村上藩主)の略系図
1 信成→内藤信成・信広~信盛の系図
1-A 信通→内藤信通~信幅の系図
2 信正→内藤信正・信照の系図
3-A 信全→内藤信全~信義の系図
4 信良→内藤信良~信輝の系図
7 信興→内藤信興~信美の系図
内藤信成・信広~信盛の系図
内藤信成(のぶなり)【1545-1612】
近江国長浜藩主。実は島田景信の子。実父は松平広忠(→松平清康・広忠の系図)とも。徳川家康に従い、長篠の戦い・小田原攻め等で功をあげた。
祖父 義清・父 清長→内藤行俊~家長の系図
子 信正・孫 信照→内藤信正・信照の系図
子の夫 井出正信→井出正信の系図
内藤信広(のぶひろ)【1592-1649】(以下、『寛政重修諸家譜』による。)
妻 三宅康信の娘
妻の父 三宅康信→三宅康信の系図
子 松平乗真〔養父:松平真次〕→松平乗真~乗輪の系図
子 信雪(のぶゆき)【?-1652】
孫 信常〔養父:内藤信久〕→内藤信通~信幅の系図
子 信直(のぶなお)【?-1656】
子の妻 荒川定安の娘
子の妻の父 荒川定安→荒川定安・定昭の系図
子 信通・孫 信久→内藤信通~信幅の系図
子の夫 駒井親昌→駒井親昌の系図
内藤信光(のぶみつ)【1611-1675】(以下、『華族系譜』による。)
子 弌信〔養父:内藤信良〕→内藤信良~信輝の系図
子 信之〔養父:内藤信清〕
内藤信清(のぶきよ)【1664-1688】
妻 植村忠朝の娘
妻の父 植村忠朝→植村忠朝~泰通・忠元~千吉の系図
夫 最上義雅→最上義雅の系図
内藤信之(のぶゆき)【1671-1689】
実は内藤信光の子。
内藤信盛(のぶもり)【1685-1694】
実は内藤弌信(→内藤信良~信輝の系図)の子。
内藤信通~信幅の系図
内藤信通(のぶみち)/信光(のぶみつ)【?-1668】
祖父 信成・父 信広→内藤信成・信広~信盛の系図
祖父 三宅康信→三宅康信の系図
妻 渡辺吉綱の娘
妻の父 渡辺吉綱→渡辺吉綱~基綱の系図
内藤信久(のぶひさ)【?-1683】
内藤信常(のぶつね)【?-1687】
実は内藤信雪(→内藤信成・信広~信盛の系図)の子。
妻 大沢尚親の娘
妻の父 大沢尚親→大沢尚親の系図
子 大沢英晴〔養父:大沢基実〕→大沢英晴の系図
内藤信治(のぶはる)【?-1709】
内藤信安(のぶやす)【1692-1757】
実は内藤信有(→内藤信全~信義の系図)の子。
妻 根来長安の娘
妻の父 根来長安→根来長安の系図
子 富田知真〔養父:富田知徳〕→富田知真の系図
子の夫 新見正仲→新見正仲の系図
子の夫 諏訪頼容→諏訪頼容の系図
内藤信就(のぶつく)【1722-1789】
妻 小笠原広封の娘
妻の父 小笠原広封→小笠原広封の系図
夫 永井直定→永井直貞・直孟・直方~直休の系図
妻 諏訪盛恭の娘
実は黒沢定記(→黒沢定記の系図)の娘。
妻の父 諏訪盛恭→諏訪盛恭の系図
子 安藤正武〔養父:安藤正長〕→安藤正武の系図
子の夫 間宮信寧→間宮信寧の系図
子の夫 鳥居忠洪→鳥居忠頼~忠容の系図
子の夫 田村顕曹→田村顕曹の系図
子の夫 井上利貞→井上利貞の系図
子の夫 本多利貞→本多利政~利貞の系図
子の夫 小栗信陽→小栗信陽の系図
子の夫 石川政徳→石川政徳の系図
内藤信幅(のぶとも)【1757-?】
妻 天野康寿の娘
妻の父 天野康寿→天野康寿の系図
夫 小栗忠挙→小栗忠挙の系図
妻 金森台賢の娘
実は金森頼元(→金森頼元の系図)の娘。
妻の父 金森台賢→金森台賢の系図
妻 柴田康哉の娘
妻の父 柴田康哉→柴田康哉の系図
子 信敏/信盈
内藤信正・信照の系図
内藤信正(のぶまさ)【1568-1626】
長浜藩主・摂津国高槻藩主。母は『寛政重修諸家譜』による。初代の大坂城代を務めた。
祖父 清長→内藤行俊~家長の系図
父 信成→内藤信成・信広~信盛の系図
妻 石川康通の娘
妻の父 石川康通→石川家成の系図
子 信武(のぶたけ)【?-1619】
孫 信安(『内藤家譜(越後村上)』による。)
孫 信武の娘〔養父:内藤信照〕
子 信之(のぶゆき)【?-1631】
子 信直(のぶなお)【?-1668】
孫 信有〔養父:内藤信全〕→内藤信全~信義の系図
子の夫 金森重次→金森重次の系図
子の夫 水無瀬氏信→水無瀬氏成~氏信の系図
子の夫 堀親昌→堀親昌の系図
子の夫 植村泰朝→植村泰職~泰朝・政泰の系図
内藤信照(のぶてる)【1592-1665】
陸奥国棚倉藩主。母は『寛政重修諸家譜』による。
妻 阿部正次の娘
妻の父 阿部正次→阿部正俊~正次の系図
子 信良・孫 弌信→内藤信良~信輝の系図
子 信全・孫 信有→内藤信全~信義の系図
子の夫 堀利長→堀利長の系図
内藤信全~信義の系図
内藤信全(のぶのり)【?-1673】(以下、『寛政重修諸家譜』による。)
祖父 信正・父 信照→内藤信正・信照の系図
妻 岡部宣勝の娘
妻の父 岡部宣勝→岡部宣勝・行隆・高成~広高の系図
内藤信有(のぶすみ)【1647-1732】
実は内藤信直(→内藤信正・信照の系図)の子。
妻 中条信慶の娘
実は戸田氏豊(→戸田氏豊の系図)の娘。
妻の父 中条信慶→中条信慶の系図
子 信安〔養父:内藤信治〕→内藤信通~信幅の系図
子 諏訪頼均〔養父:諏訪頼篤〕→諏訪頼均の系図
子 戸田氏尹〔養父:戸田氏興〕→戸田氏尹の系図
内藤信朋(のぶとも)【1672-1747】
妻 内藤信良の娘
妻の父 内藤信良→内藤信良~信輝の系図
子 信旨(のぶむね)【1690-1727】
孫 信旨の娘〔養父:内藤信朋〕
子 信邦(のぶくに)【1710-1738】
子の妻 永井尚品の娘
子の妻の父 永井尚品→永井直右~尚監の系図
孫 信智〔養父:内藤信庸〕
孫の夫 川口恒康→川口恒康の系図
子の夫 中条信秀→中条信秀の系図
内藤信庸(のぶつね)【1714-1781】
実は内藤弌信(→内藤信良~信輝の系図)の子。
妻 内藤信朋の娘
実は内藤信旨の娘。
子の夫 久世広景→久世広当~広孝の系図
子の夫 伊東祐政→伊東祐豊~祐真の系図
子の夫 内藤正範→内藤正貞~正博の系図
内藤信智(のぶとも)【1738-1767】
実は内藤信邦の子。
妻 谷衛衝の娘
妻の父 谷衛衝→谷衛利~衛将の系図
子の夫 谷衛貞→谷衛政・衛吉~衛貞の系図
内藤信義(のぶよし)【1765-?】
妻 酒井忠温の娘
妻の父 酒井忠温→酒井忠寛~忠哲の系図
内藤信良~信輝の系図
内藤信良(のぶよし)【1625-1695】
棚倉藩主。母は『寛政重修諸家譜』による。
祖父 信正・父 信照→内藤信正・信照の系図
祖父 阿部正次→阿部正俊~正次の系図
妻 奥平忠昌の娘
妻の父 奥平忠昌→奥平貞能~忠昌の系図
妻 松平緑
実は本多昌長(→本多重富~長員の系図)の娘。
妻の父 松平直基→松平直基~基知の系図
子 信貞(のぶさだ)【1660-1673】
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 信輝〔養父:内藤弌信〕
子の夫 岡部正敦→岡部宣勝・行隆・高成~広高の系図
子の夫 諏訪頼秋→諏訪頼秋の系図
子の夫 内藤信朋→内藤信全~信義の系図
内藤弌信(かずのぶ)/信勝(のぶかつ)【1658-1730】
棚倉藩主・駿河国田中藩主・越後国村上藩主。実は内藤信光(→内藤信成・信広~信盛の系図)の子。
妻 太田資次の娘
妻の父 太田資次→太田資次~資晴の系図
妻 毛利綱広の娘
妻の父 毛利綱広→毛利秀就~吉広の系図
子 豊松・弌信の息子
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 信盛〔養父:内藤信之〕→内藤信成・信広~信盛の系図
子 中条秀孝〔養父:中条秀広〕→中条秀孝の系図
子 京極高長〔養父:京極高之〕→京極高長~高陳の系図
子 信庸〔養父:内藤信朋〕→内藤信全~信義の系図
子 弌信の娘〔養父:内藤信輝〕
内藤信輝(のぶてる)/信季(のぶすえ)【1682-1725】
村上藩主。実は内藤信良の子。
妻 蜂須賀菊
蜂須賀隆重(→蜂須賀隆重~正員の系図)の娘。
子 信積(のぶもち)【1704-1721】
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 信輝の娘(3人)
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 信興・孫 信旭→内藤信興~信美の系図
子の夫 相馬徳胤→相馬徳胤の系図
子の夫 加藤明経→加藤明経の系図
子の夫 水野勝前→水野勝前~勝寛の系図
内藤信興~信美の系図
内藤信興(のぶおき)【1723-1780】
村上藩主。
祖父 弌信・父 信輝→内藤信良~信輝の系図
妻 奥平昌成の娘
妻の父 奥平昌成→奥平昌能~昌敦の系図
子の夫 松平直行→松平直行~直哉の系図
子の夫 内藤学文→内藤学文~文成の系図
子 信凭〔養父:内藤信旭〕
子 頼尚〔養父:内藤頼由〕→内藤清枚~頼直の系図
子 信興の娘(2人)(『寛政重修諸家譜』による。)
子の夫 阿部正賀→阿部正春~正実・正長~正保の系図
内藤信旭(のぶあきら)【1744-1762】
村上藩主。母は『寛政重修諸家譜』による。
内藤信凭(のぶより)【1748-1781】
村上藩主。実は内藤信興の子。
妻 松平忠恒の娘
妻の父 松平忠恒→松平忠尚~忠恒の系図
子 信凭の娘
母は『寛政重修諸家譜』による。堀親幸に嫁ぐ予定であった。
子の夫 松平忠彊→松平忠福~忠恕の系図
子の夫 安藤信馨→安藤信尹~信馨の系図
子の夫 酒井忠懿→酒井忠助~忠懿の系図
内藤信敦(のぶあつ)【1777-1825】(以下、『華族系譜』による。)
村上藩主。
妻 柳沢保光の娘
妻の父 柳沢保光→柳沢保光~保申の系図
妻 松平婉子〔養父:牧野忠精(→牧野忠精の系図)〕
松平定信(→松平定信の系図)の娘。
夫 牧野忠鎮→牧野忠鎮の系図
子 信方【1802-1822】
子の妻 酒井忠進の娘
子の妻の父 酒井忠進→酒井忠与~忠氏の系図
子の妻の夫 木下俊敦→木下俊敦の系図
子の妻の夫 西尾忠宝→西尾忠移~忠篤の系図
子の妻 松平忠恵の娘
子の妻の父 松平忠恵→松平忠福~忠恕の系図
内藤信思(のぶもと)/信親【1812-1874】
老中・村上藩主。藩校克従館を創設し、養鮭を奨励した。
妻 酒井〓(「金」+「與」)
酒井忠器(→酒井忠器の系図)の娘。
子 篤太郎【1838-1839】
子 信民(のぶたみ)【1850-1868】
村上藩主。実は内藤正縄(→内藤正敬~正誠の系図)の子。奥羽越列藩同盟に加わり、長岡城落城後に自殺した。
内藤信美(のぶよし・のぶとみ)【1855-1925】
村上藩主。実は岡部長寛(→岡部長慎~長職の系図)の子。
妻 松平珓
松平忠精(→松平忠馮~忠和の系図)の娘。
系図について
本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。
系図はおおよそ次の方針で作成しています。
- 系図に描画する人物の範囲について
上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。 - 人物の表示の区別について
系図では、次の通り背景色を区別しています。
(オレンジ)……天皇
(緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
(黄)……江戸時代の将軍・藩主
(水色)……その他男性
(ピンク)……その他女性 - 養子・猶子について
両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。 - 正室・側室等について
これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。 - 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。