このページでは、松殿家(藤原氏北家)の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
松殿家の略系図
1 基房→松殿基房の系図
1-A 隆忠・師家→松殿隆忠・師家の系図
2 忠房→松殿忠房の系図
松殿基房の系図
松殿基房(もとふさ)【1145-1230】
摂政・関白・太政大臣。基実の死後、氏長者を継いだ。平氏と対立し、備前に流された。源義仲と結んで勢力の回復を図るも果たせなかった。
祖父 忠実→藤原忠実の系図
父 忠通→藤原忠通の系図
祖父 源国信→源国信の系図
妻 三条公教の娘
妻の父 三条公教→三条公教の系図
子 家房(いえふさ)【1167-1196】
権中納言。
妻 三条公教の娘
子 隆忠→松殿隆忠・師家の系図
妻 花山院忠子
花山院忠雅(→花山院忠雅・兼雅の系図)の娘。
子 師家→松殿隆忠・師家の系図
子 承円(しょうえん)【1180-1236】
天台座主。
子 寿子→九条良経の系図
妻 藤原公保の娘
妻の父 藤原公保→徳大寺実能の系図
妻 藤原行雅の娘
妻の父 藤原行雅→花山院忠雅・兼雅の系図
子 忠房→松殿忠房の系図
妻 藤原家実の娘
妻の父 藤原家実→花山院家忠の系図
妻 藤原伊子
藤原伊経(→藤原伊経の系図)の娘。
子 実尊(じっそん)【1180-1236】
興福寺別当。
子 行意(ぎょうい)【1171-1217】
土御門天皇・順徳天皇の護持僧を務めた。
子 最守(さいしゅ)【1224-1256】
子の夫 一条高能→一条高能の系図
子の夫 近衛公明→近衛公明の系図
松殿隆忠・師家の系図
松殿隆忠(たかただ)【1163-1245】
左大臣。
祖父 忠通→藤原忠通の系図
父 基房→松殿基房の系図
祖父 三条公教→三条公教の系図
妻 源通家の娘
妻の父 源通家→源通家の系図
子 教忠【1189-?】
従三位。
子 基忠(もとただ)【1184-?】
従二位。
妻 西園寺実宗の娘
妻の父 西園寺実宗→西園寺実宗の系図
子 聖基(しょうき)【1204-1267】
東寺長者。
子の夫 園基氏→園基氏~基藤の系図
子の夫 二条良実→二条良実・師忠の系図
松殿師家(もろいえ)【1172-1238】
摂政・内大臣。摂政就任にあたり、徳大寺実定の内大臣の官を借りたため、「かるの大臣」と呼ばれたとされる。
祖父 花山院忠雅→花山院忠雅・兼雅の系図
妻 藤原隆房の娘
妻の父 藤原隆房→藤原隆房の系図
子 基嗣【1193-?】
権大納言。
子の妻 藤原親輔の娘
子の妻の父 藤原親輔→藤原信隆の系図
子の妻 平光盛の娘
子の妻の父 平光盛→平経盛・教盛・頼盛の系図
孫の夫 良宝→二条良実・師忠の系図
妻 北条時政の娘
妻の父 北条時政→北条時家~時政の系図
夫 宇都宮頼綱→宇都宮頼綱の系図
子 承澄(しょうちょう)【1205-1282】
父は松殿基房とも。絵画にすぐれたほか、『阿娑縛抄』を著した。
子 勝尊(しょうそん)
醍醐寺座主。
子 覚修〔養父:頼経〕
松殿忠房の系図
松殿忠房【1193-1273】
大納言。
祖父 忠通→藤原忠通の系図
父 基房→松殿基房の系図
祖父 藤原行雅→花山院忠雅・兼雅の系図
妻 持明院保家の娘
妻の父 持明院保家→持明院保家の系図
子 良嗣【1222-1291】
正二位。
子の妻 一条頼氏の娘
子の妻の父 一条頼氏→一条高能の系図
子の妻の夫 鷹司伊頼→鷹司頼平の系図
孫 伊氏〔養父:鷹司伊頼(→鷹司頼平の系図)〕
孫 冬房【1270-1342】〔養父:一条家経(→一条実経~内経の系図)〕
権中納言。
孫の妻 良雅の娘
孫の妻の父 良雅→室町家信の系図
曾孫 忠冬/師基【1296-1348】
権中納言。
曾孫の妻 大炊御門光氏の娘
曾孫の妻の父 大炊御門光氏→大炊御門光能の系図
曾孫の妻の夫 久我通嗣→久我通忠~通雄の系図
忠冬孫 忠隆/忠光【1338-1392】
忠冬孫 隆寛〔養父:藤原顕保(→藤原顕保の系図)〕(『系図纂要』による。)
曾孫 寸王丸(『系図纂要』による。)
孫 持明院保藤〔養父:持明院基保〕→持明院基保の系図
孫の夫 一条家経→一条実経~内経の系図
妻 藤原雅隆の娘
妻の父 藤原雅隆→壬生光隆の系図
子 兼嗣【1239-1317】
参議。
子の妻 平親宗の娘
子の妻の父 平親宗→平親宗・範国の系図
曾孫の夫 鷹司基教→鷹司兼平~冬教の系図
子の妻 実春の娘
孫 通輔/兼輔
参議。
曾孫 忠嗣/兼藤【1297-?】
権大納言。
忠嗣孫 冬輔【?-1392】
従三位。
忠嗣孫 基高
実は松殿忠行の孫。
忠嗣孫 忠顕【1457-1519】
参議。
忠嗣孫 定輔/重輔
子の妻 藤原親季の娘
子の妻の父 藤原親季→藤原親能・定季の系図
子 行仁/良忠
子 良基【?-1308】
子 源忠/房快
子 承教【?-1305】〔養父:中山兼宗(→中山忠親・兼宗の系図)〕
系図について
本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。
系図はおおよそ次の方針で作成しています。
- 系図に描画する人物の範囲について
上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。 - 人物の表示の区別について
系図では、次の通り背景色を区別しています。
(オレンジ)……天皇
(緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
(黄)……江戸時代の将軍・藩主
(水色)……その他男性
(ピンク)……その他女性 - 養子・猶子について
両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。 - 正室・側室等について
これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。 - 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。