平松家(桓武平氏・高棟流)の系図

系図のメモ帳
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 このページでは、平松家(桓武平氏・高棟流)の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。

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平松家(名家)の略系図

平松家の略系図

1 時庸平松時庸~時春の系図
5 時行平松時行~時厚の系図

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平松時庸~時春の系図

平松時庸~時春の系図

  平松時庸(ときつね)/時興【1599-1654】
 権中納言。平松家の祖。能書。

祖父 時当 時慶西洞院行時~時慶の系図

 日野資勝の娘
妻の父 日野資勝日野輝資~光慶の系図

 時方〔養父:平松時量〕
子の夫 溝口宣直→溝口宣直の系図
子の夫 島津光久→島津光久の系図


  平松時量(ときかず)【1627-1704】
 権中納言。
 飛鳥井雅章の娘
妻の父 飛鳥井雅章飛鳥井雅庸~雅豊の系図
 時広(ときひろ)【1650-1667】
 石井行豊 行康石井行豊~行忠の系図

 交野時香〔養父:交野時久〕→交野時貞~時万の系図
子の夫 三枝守輝→三枝守輝の系図


  平松時方(ときかた)【1651-1710】
 権中納言。
 裏松資清の娘
妻の父 裏松資清裏松資清~益光の系図

 時方の娘(2人)(『平松家譜』による。)
子の夫 裏松益光裏松資清~益光の系図
子の夫 三枝守尹→三枝守尹の系図


  平松時春(ときはる)【1693-1754】
 従三位。
 交野時香の娘
妻の父 交野時香交野時貞~時万の系図
 時行 時升平松時行~時厚の系図

子の夫 五辻盛仲五辻俊仲~継仲の系図

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平松時行~時厚の系図

平松時行~時厚の系図

  平松時行(ときゆき)【1714-1786】
 権中納言。

祖父 時方 時春平松時庸~時春の系図
祖父 交野時香交野時貞~時万の系図

 時章〔養父:平松時升〕
 長谷時息〔養父:長谷範高〕→長谷忠康~信成の系図
 万里小路文房〔養父:万里小路政房〕→万里小路稙房~通房の系図
 賞準(しょうじゅん)/知義【1744-?】(『平松家譜』による。)
 紹詮(しょうせん)(『平松家譜』による。)
 寛円(かえん)(『平松家譜』による。)
 親承(しんしょう)(『平松家譜』による。)
 尊海(そんかい)(『平松家譜』による。)
 実淳(じつしゅん)(『平松家譜』による。)
 弥雄姫→三枝守恭の系図
 菊姫(きくひめ)【?-1865】
 時行の娘(『平松家譜』による。)


  平松時升(ときひで)【1740-1757】


  平松時章(ときき)【1754-1828】
 権大納言。実は平松時行の子。
 竹屋光予の娘
妻の父 竹屋光予竹屋兼俊~光昭の系図

 時亨(ときなが)【1781-1794】
 実は万里小路文房(→万里小路稙房~通房の系図)の子。
 時保〔養父:平松時門〕
 宝洲(ほうしゅう)(『平松家譜』による。)
 興訓(こうくん)(『平松家譜』による。)
 八千姫四辻公韶~公賀の系図
 文姫(『平松家譜』による。)


  平松時門(ときかど)【1787-1845】
 参議。
 勧修寺福子
 勧修寺経逸(→勧修寺顕道~経逸の系図)の娘。

 時言〔養父:平松時保〕
 範忠(のりただ)〔養父:若江量長(→菅原在公~在永・公氏・公頼の系図)〕(『平松家譜』による。)
 算男(かずお)〔養父:森川佐栄〕(『平松家譜』による。)
 惟姫(ただひめ)(『平松家譜』による。)
 〓姫(『平松家譜』による。)
 〓は「忄」+「匊」。
 則姫(のりひめ)(『平松家譜』による。)


  平松時保(ときより)【1802-1852】
 正三位。実は平松時章の子。
 黒田長韶の娘
妻の父 黒田長韶黒田長邦~長徳の系図


  平松時言(ときこと)【1823-1883】
 正三位。実は平松時門の子。
 英乗(えいじょう)【?-1865】(『平松家譜』による。)
 晋海(しんかい)【1849-?】(『平松家譜』による。)
 時叙(ときのぶ)(『平松家譜』による。)
 親姫土井利徳~利教の系図
 好子(よしこ)(『平松家譜』による。)


  平松時厚(ときあつ)【1845-1911】
 母は『平松家譜』による。
 西尾忠受の娘
妻の父 西尾忠受西尾忠移~忠篤の系図

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系図について

 本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
 あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。

 系図はおおよそ次の方針で作成しています。

  • 系図に描画する人物の範囲について
     上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
     下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。
  • 人物の表示の区別について
     系図では、次の通り背景色を区別しています。
     (オレンジ)……天皇
     (緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
     (黄)……江戸時代の将軍・藩主
     (水色)……その他男性
     (ピンク)……その他女性
  • 養子・猶子について
     両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
     養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
     一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
     なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。
  • 正室・側室等について
     これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。
  • 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
     『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。
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