このページでは、内藤氏(藤原氏北家・藤成流)・政次流の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
内藤氏・政次流(信濃国岩村田藩主)の略系図
1 政次→内藤政次~正友・正直~正器の系図
4 正敬→内藤正敬~正誠の系図
内藤政次~正友・正直~正器の系図
内藤政次(まさつぐ)/正次(まさつぐ)【1602-1670】
祖父 忠郷・父 忠政→内藤忠郷・忠政の系図
妻 大河内久綱の娘
妻の父 大河内久綱→大河内久綱の系図
子の夫 小栗政重→小栗政重の系図
内藤正勝(まさかつ)【1643-1694】
武蔵国赤松藩主。実は内藤政季(→内藤政吉~正房の系図)の子。
内藤正友(まさとも)【1663-1711】
赤松藩主・信濃国岩村田藩主。
妻 屋代忠位の娘
妻の父 屋代忠位→屋代忠位の系図
子 正能(まさよし)【1688-1701】
母は『寛政重修諸家譜』による。
妻 稲垣重氏の娘
妻の父 稲垣重氏→稲垣重氏の系図
子 正敬・孫 正弼→内藤正敬~正誠の系図
子 由良→久世広当~広孝の系図
内藤正直(まさなお)【1705-1724】(以下、『寛政重修諸家譜』による。)
内藤正甫(まさなみ)【1710-1764】
実は内藤正峰(→内藤正峰の系図)の子。
子 正賀〔養父:内藤正方〕
子の夫 正木康納→正木康納の系図
子の夫 梶正邦→梶正邦の系図
内藤正方(まさみち)【1734-1776】
実は堀直英(→堀直英~直郷の系図)の子。
内藤正賀(まさよし)【1750-1790】
実は内藤正甫の子。
妻 堀鉞
堀直孝(→堀直英~直郷の系図)の娘。
子の夫 山中輔俊→山中輔俊の系図
子の夫 平野好恒→平野好恒の系図
内藤正器(まさのり)【1771-?】
妻 松平乗展の娘
妻の父 松平乗展→松平乗真~乗輪の系図
内藤正敬~正誠の系図
内藤正敬(まさゆき)【1705-1746】
岩村田藩主。
祖父 正勝・父 正友→内藤政次~正友・正直~正器の系図
妻 板倉重高の娘
妻の父 板倉重高→板倉重宣~昌信の系図
子 頼寛〔養父:内藤頼由〕→内藤清枚~頼直の系図
母は『寛政重修諸家譜』による。
内藤正弼(まさすけ)【1733-1770】
岩村田藩主。母は『寛政重修諸家譜』による。
妻 酒井忠香の娘
妻の父 酒井忠香→酒井忠香の系図
子 正寿(まさかず)【1754-1769】
母は『寛政重修諸家譜』による。
内藤正興(まさおき)【1756-1792】
岩村田藩主。母は『寛政重修諸家譜』による。
妻 阿部正敏の娘
妻の父 阿部正敏→阿部正敏~正篤の系図
子 秀之助
母は『寛政重修諸家譜』による。5歳で亡くなった。
子 正興の娘(2人)(『内藤家譜(信濃岩村田)』による。)
子の夫 加藤泰豊→加藤泰豊の系図
子の夫 安藤広栄→安藤重広~広栄の系図
内藤正国(まさくに)/忠令(ただつぐ)【1775-1802】
岩村田藩主。実は水野忠鼎(→水野忠鼎の系図)の子。
内藤正縄(まさつな)【1795-1860】(以下、『華族系譜』による。)
岩村田藩主。実は水野忠光(→水野忠光の系図)の子。安政の大獄では、尊攘派の弾圧にあたった。『内藤家譜(信濃岩村田)』では子女として、岡田将監妻、越後高田浄光寺妻、横山淳三郎妻、角倉武三郎妻、敬三郎(有馬左京養子)、稚之助(竹腰兵部少輔養子)、久若、柳之助(上林隼人養子)、千代松(内藤紀伊守養子)、松前志摩守妻、三輪嘉之助養女、堀左衛門妻を挙げる。
妻 大岡忠正の娘
妻の父 大岡忠正→大岡忠烈~忠貫の系図
子 有馬則篤〔養父:有馬則国〕→有馬則致~則篤の系図
子 政利〔養父:上林隼人〕
子 竹腰正厚〔養父:竹腰正富〕→竹腰正武~正旧の系図
子 纓清〔養父:菊大路業清〕
子 信民〔養父:内藤信思〕→内藤信興~信美の系図
子 光〔養父:薄井利用〕
子の夫 松前徳広→松前章広~修広の系図
内藤正義【1821-1854】
妻 安藤利幾【1825-?】
安藤信由(→安藤信義~信勇の系図)の娘。
子 安藤信勇〔養父:安藤信民〕→安藤信義~信勇の系図
子の夫 松平直巳(『内藤家譜(信濃岩村田)』による。)→松平近明~直巳の系図
子の夫 片桐貞照(『内藤家譜(信濃岩村田)』による。)→片桐貞照の系図
内藤正誠(まさのぶ・まさあきら)【1845-1880】
岩村田藩主。
妻 安藤信正の娘【1845-?】
妻の父 安藤信正→安藤信義~信勇の系図
系図について
本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。
系図はおおよそ次の方針で作成しています。
- 系図に描画する人物の範囲について
上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。 - 人物の表示の区別について
系図では、次の通り背景色を区別しています。
(オレンジ)……天皇
(緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
(黄)……江戸時代の将軍・藩主
(水色)……その他男性
(ピンク)……その他女性 - 養子・猶子について
両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。 - 正室・側室等について
これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。 - 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。