このページでは、太田氏(清和源氏・頼光流)の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
太田氏(遠江国掛川藩主)の略系図
1 広綱→太田広綱~資高の系図
12 康資→太田康資~資宗の系図
13-A1 資為→遠山資為~太田資誠の系図
13-A2 資信→遠山資信~資実の系図
14-A 資良→太田資良~資承の系図
15 資次→太田資次~資晴の系図
18 資俊→太田資俊~資順の系図
21 資言→太田資言~資美の系図
太田広綱~資高の系図
太田広綱(ひろつな)
実は馬場頼政(→馬場頼政~宗仲の系図)の子。
祖父 頼政・父 仲綱→馬場頼政~宗仲の系図
太田隆綱(たかつな)
太田国綱(くにつな)
太田資国(すけくに)
丹波国太田郷に住んだという。
子 広世【?-1260】(以下、『系図纂要』による。)
曾孫 仲資【?-1309】
広世孫 広遠【?-1352】
広世孫 広村【?-1376】
広世孫 仲国【?-1470】
広世孫 仲家【?-1502】
広世孫 仲治【?-1505】
広世孫 広治【?-1539】
広世孫 仲満【?-1568】
広世孫 仲信【?-1570】
子の夫 松井保祐(『華族系譜』による。)→松井維義~宗豊の系図
太田資治(すけはる)(以下、『系図纂要』による。)
太田資兼(すけかね)
太田資房(すけふさ)
太田資清(すけきよ)【1411-1492】
上杉持朝の重臣。歌人としても活躍した。
子 資忠(すけただ)【?-1478】
下総臼井城を攻め、討ち死にした。
子 禅懌/叔悦【1449-1535】
太田資長(すけなが)/持資(もちすけ)/道灌(どうかん)【1432-1486】
上杉定正の重臣。江戸に城を築いた。
子 資家(すけいえ)【?-1522】
孫 資頼(すけより)【?-1536】
曾孫 資正(すけまさ)【1522-1591】
曾孫の妻 北条氏康の娘
曾孫の妻の父 北条氏康→北条氏康の系図
資家孫 氏資【?-1563】
資家孫 資房/資武
資家孫 資晴/政景/景資
太田資康(すけやす)【?-1513】
妻 三浦義同の娘【?-1522】
妻の父 三浦義同→三浦義同の系図
子 資時・資貞・子 資康の娘
母は『太田家譜(上総松尾)』による。
太田資高(すけたか)【?-1547】
母は『寛政重修諸家譜』による。上杉朝興・北条氏綱に仕えた。
妻 北条氏綱の娘【?-1550】
妻の父 北条氏綱→北条行氏~氏綱の系図
子 景資
母は『太田家譜(上総松尾)』による。
子 康資・孫 重正→太田康資~資宗の系図
子 資行(すけゆき)【?-1562】
母は『太田家譜(上総松尾)』による。
子 資高の娘(『太田家譜(上総松尾)』による。)
太田康資~資宗の系図
太田康資(やすすけ)【1531-1581】
祖父 資康・父 資高→太田広綱~資高の系図
祖父 北条氏綱→北条行氏~氏綱の系図
妻 遠山直景の娘【?-1588】〔養父:北条氏康(→北条氏康の系図)〕
妻の父 遠山直景→遠山直景の系図
子 お勝の方→徳川家康の系図
子 康資の娘(『太田家譜(上総松尾)』による。)
子 駒千代【1553-1564】
太田重正(しげまさ)/資綱(すけつな)【1561-1610】
妻 都筑秀綱の娘【?-1639】
妻の父 都筑秀綱→都筑秀綱の系図
子 正重(まさしげ)【1593-1624】
曾孫の夫 堀田一幸→堀田一幸の系図
子 重正の娘(『寛政重修諸家譜』による。)
子の夫 井上政重→井上政重~政清・政明~正英の系図
子の夫 荒尾久成→荒尾久成の系図
子 遠山資為・孫 太田資隆→遠山資為~太田資誠の系図
孫 資信→遠山資信~資実の系図
太田資宗(すけむね)/康資(やすすけ)【1600-1680】
下野国山川藩主・三河国西尾藩主・遠江国浜松藩主。『寛永諸家系図伝』を完成させた。
妻 板倉坂【?-1643】
板倉重宗(→板倉重宗の系図)の娘。
子 資政(すけまさ)/資周(すけみつ)【1624-1670】
子 資次・孫 資直→太田資次~資晴の系図
子 資宗の娘(『寛政重修諸家譜』による。)
子の夫 稲葉正吉→稲葉正吉の系図
子の夫 加藤泰義→加藤泰義の系図
妻 青木氏
子 資良・孫 資賢→太田資良~資承の系図
子の夫 永井尚庸→永井尚庸・尚附~尚賢の系図
孫 直敬→永井直敬・尚平・尚方~尚友の系図
妻 本山氏
子の夫 一柳末礼→一柳末礼の系図
子の夫 土井利益→土井利益~利見の系図
子の夫 角倉玄恒→角倉玄恒の系図
太田資良~資承の系図
太田資良(すけよし)【1653-1727】(以下、『寛政重修諸家譜』による。)
祖父 重正・父 資宗→太田康資~資宗の系図
妻 三宅康勝の娘
妻の父 三宅康勝→三宅康勝の系図
子 資興(すけおき)【1670-1693】
子 資生(すけなり)【?-1720】
太田資賢(すけかた)/資福(すけのり)【1700-1750】
妻 太田資晴の娘
妻の父 太田資晴→太田資次~資晴の系図
子の夫 青山忠義→青山忠義の系図
子の夫 岡部長説→岡部定直~長貴の系図
子の夫 青山幸延→青山幸高~幸繁の系図
太田資倍(すけます)【1730-?】
妻 内藤忠義の娘
妻の父 内藤忠義→内藤忠清~忠英の系図
子 資同〔養父:太田資演〕→太田資同の系図
子の夫 金森近興→金森近興の系図
太田資承(すけつぐ)【1762-?】
妻 松平信直の娘
妻の父 松平信直→松平信直~信彰の系図
遠山資為~太田資誠の系図
遠山資為(すけため)【1604-1663】(以下、『寛政重修諸家譜』による。)
祖父 康資・父 重正→太田康資~資宗の系図
妻 日向政成の娘
妻の父 日向政成→日向政成の系図
子 資信・孫 資姓→遠山資信~資実の系図
子の夫 井上政明→井上政重~政清・政明~正英の系図
子の夫 人見篤→人見篤の系図
太田資隆(すけたか)【1630-1703】
妻 神谷政成の娘
妻の父 神谷政成→神谷政成の系図
子 英資〔養父:太田資明〕
子の夫 松平甫昌→松平甫昌の系図
太田資明(すけあきら)【?-1695】
妻 平岡尚宣の娘
妻の父 平岡尚宣→平岡尚宣の系図
太田英資(てるすけ)/資重(すけしげ)【1674-1751】
実は太田資隆の子。
子 荒木元辰〔養父:荒木清行〕→荒木元辰の系図
子 神谷直信〔養父:神谷直蕉〕→神谷直信の系図
子 神谷英信〔養父:神谷直信〕→神谷英信の系図
太田資弘(すけひろ)【1699-1758】
子 曽雌定義〔養父:曽雌定興〕→曽雌定義の系図
子の夫 三宅政居→三宅政居の系図
子の夫 日向政勝→日向政勝の系図
子の夫 荒木元光→荒木元光の系図
子の夫 梶川忠郁→梶川忠郁の系図
孫の夫 杉浦安定→杉浦安定の系図
太田資勝(すけかつ)【1725-1788】
子の夫 三宅貞居→三宅貞居の系図
太田資誠(すけのぶ)【1762-?】
妻 小泉義利の娘
実は榎本成美の娘。
妻の父 小泉義利→小泉義利の系図
子 資誠の娘
実は榎本成定の娘。
遠山資信~資実の系図
遠山資信(すけのぶ)【1643-1716】
祖父 重正→太田康資~資宗の系図
父 資為→遠山資為~太田資誠の系図
祖父 日向政成→日向政成の系図
子の夫 西尾定矩→西尾定矩の系図
子の夫 青木義方→青木義方の系図
子の夫 日向正平→日向正平の系図
遠山資姓(すけうじ)【1686-1724】
妻 久保勝政の娘
実は井上政蔽(→井上政蔽~正国の系図)の娘。
妻の父 久保勝政→久保勝政の系図
夫 飯塚昭之→飯塚昭之の系図
遠山資矩(すけのり)【1707-1755】
実は人見浩(→人見浩の系図)の子。
妻 大谷木季貞の娘
実は森保現の娘。
妻の父 大谷木季貞→大谷木季貞の系図
子の夫 松井忠寿→松井忠寿の系図
遠山資房(すけふさ)【1734-1765】
実は村松友常(→村松友常の系図)の子。
子 資房の娘〔養父:遠山資倍〕
子の夫 野間政休→野間政休の系図
子の夫 吉松正弘→吉松正弘の系図
遠山資倍(すけます)【1759-1775】
遠山資実(すけざね)【1760-?】
実は神谷脩正(→神谷脩正の系図)の子。
妻 遠山資倍の娘
実は遠山資房の娘。
妻 吉松正弘の娘
妻の父 吉松正弘→吉松正弘の系図
夫 酒井友綱→酒井友綱の系図
妻 豊島武経の娘
妻の父 豊島武経→豊島武経の系図
太田資次~資晴の系図
太田資次(すけつぐ)/資世(すけよ)【1629-1684】
浜松藩主。
祖父 重正・父 資宗→太田康資~資宗の系図
祖父 板倉重宗→板倉重宗の系図
妻 本多ツナ【?-1649】
本多忠利(→本多正吉~忠利の系図)の娘。
子 資次の息子(『寛政重修諸家譜』による。)
妻 宗義成の娘【?-1655】
妻の父 宗義成→宗義智・義成の系図
妻 能勢頼次の娘【?-1694】
実は松平昌重(→松平昌重の系図)の娘。
妻の父 能勢頼次→能勢頼次の系図
子 資昭
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 資方(すけかた)/資房(すけふさ)【1662-1691】
孫 資福(すけとみ)【1688-1694】
子 資次の娘(『寛政重修諸家譜』による。)
『太田家譜(上総松尾)』によれば、母は宗義成の娘。
子 資次の娘(『寛政重修諸家譜』による。)
子の夫 内藤弌信→内藤信良~信輝の系図
太田資直(すけなお)【1658-1705】
駿河国田中藩主。
妻 板倉市【?-1708】
板倉重常(→板倉重郷~重治の系図)の娘。
子 采女・右京・辰之助・虎之丞
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 千子→松平乗賢~乗命の系図
太田資晴(すけはる)/資重(すけしげ)/資在(すけあり)【1695-1740】
田中藩主・陸奥国棚倉藩主・上野国館林藩主。母は『寛政重修諸家譜』による。
妻 戸田氏定の娘【?-1758】
妻の父 戸田氏定→戸田氏定・氏長・定浩~氏澄の系図
子 資俊・孫 資愛→太田資俊~資順の系図
子 資晴の娘
母は『寛政重修諸家譜』による。
妻 梅本氏
子 源三郎
母は『太田家譜(上総松尾)』による。
子の夫 角倉玄篤→角倉玄篤の系図
妻 松山氏
子 戸田氏住〔養父:戸田氏亮〕→戸田氏信・氏西・氏広~氏昌の系図
子 佐野茂幸〔養父:佐野茂承〕→佐野茂幸の系図
子 千本嘉隆〔養父:千本倶隆〕→千本嘉隆の系図
子 左次郎・図書助・子 資晴の娘
母は『太田家譜(上総松尾)』による。
子の夫 堀田正邦→堀田正邦の系図
子の夫 太田資知→太田資知の系図
子の夫 松平乗穏→松平乗穏~乗謨の系図
子の夫 井上正辰→井上正長~正巳の系図
子 資胤〔養父:太田資直〕
子の妻 戸田定浩の娘
子の妻の父 戸田定浩→戸田氏定・氏長・定浩~氏澄の系図
子の夫 太田資賢→太田資良~資承の系図
子の夫 加藤泰都→加藤泰都の系図
太田資俊~資順の系図
太田資俊(すけとし)/資元(すけもと)【1720-1763】
館林藩主・遠江国掛川藩主。母は『寛政重修諸家譜』による。
祖父 資直・父 資晴→太田資次~資晴の系図
祖父 戸田氏定→戸田氏定・氏長・定浩~氏澄の系図
妻 板倉清【?-1799】
実は板倉勝清(→板倉重形~勝清の系図)の娘。
妻の父 板倉重治→板倉重郷~重治の系図
子 資俊の娘
母は『寛政重修諸家譜』による。
子の夫 板倉勝志→板倉勝興・勝志の系図
子の夫 稲垣長以→稲垣長以の系図
妻 前川氏
子の夫 久留島通祐→久留島通祐の系図
子の夫 内藤頼尚→内藤清枚~頼直の系図
子の夫 松平乗穏→松平乗穏~乗謨の系図
太田資愛(すけよし)【1739-1805】
老中・掛川藩主。母は『太田家譜(上総松尾)』による。藩校北門書院を創設した。
妻 牧野忠利の娘【?-1771】
妻の父 牧野忠利→牧野忠利の系図
妻 松本氏
子 資武(すけたけ)【1761-1784】
子の妻 松平定静の娘【?-1802】
子の妻の父 松平定静→松平定静~定昭の系図
妻 中村氏
子 健之助・子 資愛の娘
母は『太田家譜(上総松尾)』による。
子の夫 土屋泰直→土屋泰直の系図
子の夫 木下俊懋→木下俊懋の系図
妻 槫木氏
子 資言〔養父:太田資順〕→太田資言~資美の系図
太田資順(すけのぶ)/愛親(よしちか)【1764-1808】
掛川藩主。母は『太田家譜(上総松尾)』による。
妻 丹羽幹【?-1789】
丹羽高庸(→丹羽高庸の系図)の娘。
妻 本多忠可の娘【?-1791】
妻の父 本多忠可→本多忠可~忠明の系図
子 資言・孫 資始→太田資言~資美の系図
子 資順の娘(『太田家譜(上総松尾)』による。)
子の夫 永井直与→永井直進~直諒の系図
太田資言~資美の系図
太田資言(すけとき)/資敬(すけたか)【1782-1810】
掛川藩主。実は太田資愛(→太田資俊~資順の系図)の子。
祖父 資愛・父 資順→太田資俊~資順の系図
妻 牧野忠精の娘【?-1810】
妻の父 牧野忠精→牧野忠精の系図
太田資始(すけもと)/正寛(まさひろ)【1799-1867】(以下、『太田家譜(上総松尾)』による。)
老中・掛川藩主。実は堀田正穀(→堀田正穀の系図)の子。天保の改革に反対して老中を辞任した。のちに老中に再任したが、井伊直弼と対立して辞任した。
妻 太田資言の娘【?-1832】
子の夫 牧野忠恭→牧野忠恭の系図
妻 岡田氏
子の夫 相馬充胤→相馬充胤の系図
妻 大塚氏
子 秋元礼朝〔養父:秋元志朝〕→秋元礼朝の系図
子 内藤政挙〔養父:内藤政義〕→内藤政樹~政挙の系図
子の夫 松平忠礼→松平忠順~忠礼の系図
子 矩子→黒田直方~直養の系図
子の夫 松平忠誠(『系図纂要』による。)→松平忠馮~忠和の系図
子の夫 松平信謹→松平信友~信謹の系図
太田資功(すけかつ)【1827-1862】
掛川藩主。
妻 青山忠良の娘
妻の父 青山忠良→青山忠良・忠敏の系図
子 清→板倉勝政~勝弼の系図
太田資美(すけよし)【1854-1913】
掛川藩主・上総国柴山(松尾)藩主。
妻 間部詮勝の娘
妻の父 間部詮勝→間部詮勝の系図
系図について
本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。
系図はおおよそ次の方針で作成しています。
- 系図に描画する人物の範囲について
上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。 - 人物の表示の区別について
系図では、次の通り背景色を区別しています。
(オレンジ)……天皇
(緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
(黄)……江戸時代の将軍・藩主
(水色)……その他男性
(ピンク)……その他女性 - 養子・猶子について
両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。 - 正室・側室等について
これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。 - 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。