このページでは、高階氏の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
高市皇子~石見王の系図
高市皇子(たけち)【654-696】
太政大臣。現在知られる天武天皇の皇子の中で最年長。壬申の乱では大いに活躍した。
祖父 舒明天皇・祖母 皇極天皇(斉明天皇)→舒明天皇〜斉明天皇の系図
父 天武天皇→天武天皇・持統天皇の系図
妻 御名部皇女(みなべ)
天智天皇(→天智天皇の系図)の皇女。
子 鈴鹿王(すずか)【?-745】
知太政官事。
子 山形女王(やまがた)【?-745】
子 河内女王(かわち)
長屋王(ながや)【684-729】
左大臣。藤原不比等没後に政権を担当し、三世一身法の施行などを行ったが、国家を傾けようとしていると密告され、自害に追い込まれた。
妻 吉備内親王(きび)【?-729】
草壁皇子(→文武天皇〜孝謙天皇・称徳天皇の系図)の皇女。長屋王の変の際には、子供とともに後を追った。
子 膳夫王(かしわで)【?-729】
子 葛木王(かつらぎ)【?-729】
子 鉤取王(かぎとり)【?-729】
妻 藤原長娥子(ながこ)
藤原不比等(→藤原不比等の系図)の娘。
子 安宿王(あすかべ)
橘奈良麿の変に連座し、佐渡に流された。
子 黄文王(きぶみ)【?-757】
橘奈良麿の変では太子に擁立されようとしたが、捕らえられて獄中で亡くなった。
子 藤原弟貞(おとさだ)/山背王(やましろ)【?-763】
参議。橘奈良麿が陰謀を企てていることを密告した。後に、母の姓の藤原を継いだ。
孫の夫 藤原巨勢麿→藤原巨勢麿の系図
曾孫 黒麿→藤原黒麿・春継の系図
子 教勝(きょうしょう)
子 賀茂女王(かも)
子 円方女王(まとかた)【?-774】
桑田王(くわた)【?-729】
磯部王(いそべ)
妻 安部内親王(あべ)
淳仁天皇(→舎人親王・淳仁天皇の系図)の皇女。斎宮。
石見王(いわみ)
子 高階峯緒・孫 茂範→高階峯緒~良臣の系図
高階峯緒~良臣の系図
高階峯緒(みねお)
祖父 磯部王・父 石見王→高市皇子~石見王の系図
高階茂範(しげのり)
高階師尚(もろひさ・もろなお)【866-?】
実は在原業平(→平城天皇の系図)の子。
高階良臣(よしおみ)【?-980】
子 成忠(なりただ)【923-998】
従二位。
孫 信順(のぶのり)【?-1001】
孫 積善(もりよし)
漢詩人。
孫 貴子→藤原道隆の系図
曾孫 藤原伊周→藤原伊周の系図
曾孫 藤原隆家→藤原隆家の系図
孫 光子(みつこ)
藤原道長らへの呪詛事件に関わって捕らえられた。
曾孫 信平(のぶひら)/俊平
歌人として活躍した。
曾孫 成順(なりのぶ)【?-1040】
曾孫の妻 伊勢大輔(いせのたゆう・いせのたいふ)
大中臣輔親(→大中臣輔親の系図)の娘。三十六歌仙の一人。藤原彰子に仕えた。『百人一首』に歌が収められている。
曾孫の子の夫 藤原経平→藤原経平の系図
曾孫の子の夫 源延信→清仁親王~源顕康の系図
曾孫の子の夫 源経宗→源経相~範基の系図
曾孫の妻 平維時の娘
曾孫の妻の父 平維時→平維将~時直の系図
曾孫の子 藤原永業〔養父:藤原永信〕→藤原永信・永業の系図
曾孫の子の夫 藤原惟経→藤原惟経~知信の系図
曾孫の子の夫 藤原令尹・藤原親信→藤原令尹・成尹の系図
曾孫 経重
曾孫の子 藤原経忠〔養父:藤原経任〕→藤原懐平の系図
曾孫の子の夫 藤原行房→藤原行房の系図
曾孫 藤原範康〔養父:藤原範能〕→藤原友実・能兼の系図
子 敏忠・孫 業遠→高階敏忠・業遠の系図
高階敏忠・業遠の系図
高階敏忠(としただ)
祖父 師尚・父 良臣→高階峯緒~良臣の系図
高階業遠(なりとお)【965-1010】
藤原道長に仕え、無双の臣と評された。
子 成章→高階成章の系図
子 成佐(なりすけ)
子の妻 源頼信の娘
子の妻の父 源頼信→源頼信の系図
孫 惟章(これあきら)
曾孫 惟頼→高階惟頼の系図
子 成経→高階成経の系図
孫 経成/経業
曾孫 経敏(つねとし)
曾孫の子 通憲→藤原実兼・通憲の系図
実は藤原実兼の子。
曾孫の夫 藤原盛実→藤原盛実の系図
曾孫の夫 源国信→源国信の系図
曾孫の子 信時→源信時・顕信の系図
孫 藤原業仲〔養父:藤原実範〕→藤原能通・実範の系図
孫の夫 藤原忠家→藤原長家・忠家の系図
曾孫 忠実→藤原顕良・忠実の系図
孫の夫 藤原行房→藤原行房の系図
孫の夫 藤原実家→藤原資業の系図
孫の夫 藤原実範→藤原能通・実範の系図
曾孫 季綱→藤原季綱の系図
曾孫 基実
曾孫の子の夫 藤原重兼→藤原兼隆の系図
曾孫の子の夫 藤原盛経→藤原永頼の系図
曾孫の子の夫 藤原仲隆→藤原仲実の系図
曾孫の子の夫 藤原尹通→藤原尹通の系図
孫の夫 菅原孝標→菅原高視~孝標の系図
系図について
本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。
系図はおおよそ次の方針で作成しています。
- 系図に描画する人物の範囲について
上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。 - 人物の表示の区別について
系図では、次の通り背景色を区別しています。
(オレンジ)……天皇
(緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
(黄)……江戸時代の将軍・藩主
(水色)……その他男性
(ピンク)……その他女性 - 養子・猶子について
両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。 - 正室・側室等について
これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。 - 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。