このページでは、仁明天皇から宇多天皇までの系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
仁明天皇の系図
第54代 仁明天皇(にんみょう)/正良親王(まさら)【810−850/在位:833−850】
恒貞親王を皇太子としたが、承和の変により、道康親王を皇太子とした。陵の地に因み、深草帝と称される。
女御 藤原順子(のぶこ・じゅんし)【809−871】
仏教に深く帰依し、安祥寺を建立した。五条后と称された。
女御の父 藤原冬嗣→藤原冬嗣の系図
子 文徳天皇→文徳天皇の系図
孫 清和天皇→清和天皇の系図
孫 源能有→源能有の系図
女御 藤原沢子(さわこ・たくし)【?−839】
突然の病で亡くなった。
女御の父 藤原総継→藤原総継の系図
子 宗康親王(むねやす)【828−868】
子 光孝天皇→光孝天皇の系図
孫 是忠親王→是忠親王の系図
孫 宇多天皇→宇多天皇の系図
孫 源近善→源近善~清敏の系図
孫 源貞恒・是茂・孫 是貞親王・源旧鑑・是恒・香泉・友貞→是貞親王・源旧鑑・是恒・貞恒・是茂・香泉・友貞の系図
孫 源国紀→源国紀・公忠の系図
子 人康親王→人康親王・本康親王・源光の系図
子 新子内親王(にいこ・しんし)【?−897】
女御 藤原貞子(ていし)【?−864】
女御の父 藤原三守→藤原三守の系図
子 親子内親王(ちかこ)【?−851】
子 成康親王(なりやす)【836−853】
天然痘で亡くなった。
子 平子内親王(たいらけいこ・へいし)【?−877】
女御 滋野縄子(ただこ・つなこ)
女御の父 滋野貞主(さだぬし)【785−852】
参議。儒者。『経国集』を編纂し、序を記した。仏教を信仰し、慈恩寺を創建した。娘に藤原吉備雄(→藤原真夏の系図)の妻がいる。
子 時子内親王(ときこ)【?−847】
斎院。
子 柔子内親王(やすこ・よしこ・じゅうし)【?−869】
子 本康親王(もとやす)→人康親王・本康親王・源光の系図
更衣 紀種子(たねこ)【?−869】
更衣の父 紀名虎(なとら)【?−847】
藤原氏との勢力争いに敗れ、公卿には昇れなかった。娘に藤原富士麿(→藤原村田・富士麿の系図)の妻、藤原有貞(→藤原有貞の系図)の妻がいる。
子 常康親王(つねやす)【?−869】
天皇の崩御を機に出家した。
子 真子内親王(さねこ・しんし)【?−870】
後宮 高宗女王(たかむね)
子 久子内親王(ひさこ)【?−876】
斎宮。
後宮 三国町
過失があったため、後宮を退いた。
子 貞登(のぼる)
後宮 藤原賀登子(かとこ)
後宮の父 藤原福当麿→藤原福当麿の系図
子 国康親王(くにやす)【?−898】
病弱のため出家した。
後宮 藤原小童子(わらわこ)
後宮の父 藤原道長→藤原是公の系図
子 重子内親王(しげこ)【?−865】
後宮 百済永慶(えいきょう)
子 高子内親王(たかいこ)【?−866】
斎院。
後宮 山口氏
子 源覚(さとる)【849−879】
後宮 百済王豊俊の娘
子 源多(まさる)【831−888】
右大臣。仁明天皇崩御後、一度は出家したが、間もなく復任した。
子 源光→人康親王・本康親王・源光の系図
子 源冷(すずし)【835−890】
参議。
子 源効(いたる)
人康親王・本康親王・源光の系図
人康親王(さねやす)【831−872】
祖父 嵯峨天皇→嵯峨天皇の系図
父 仁明天皇→仁明天皇の系図
祖父 藤原総継→藤原総継の系図
子 源興基(おきもと)【845-891】
参議。
孫 宜子→清和天皇の系図
子 源興範(おきのり)
子 源興扶(おきすけ)
子の夫 藤原基経→藤原良房・基経の系図
孫 時平→藤原時平の系図
孫 忠平→藤原忠平の系図
子の夫 平惟範→高棟王・平惟範の系図
孫 時望→平時望・真材の系図
本康親王(もとやす)【?−901】
香の調合にすぐれた。
子 雅望王(まさもち)
子の妻 藤原山蔭の娘
子の妻の父 藤原山蔭→藤原山蔭の系図
孫 平随時(よりとき)【890-953】
参議。
孫の妻 藤原定方の娘
孫の妻の父 藤原定方→藤原定方の系図
孫 平希世(まれよ)【?-930】
清涼殿で落雷に遭って亡くなった。
曾孫の夫 藤原助信→藤原助信の系図
子 廉子女王→藤原時平の系図
子 元子女王(もとこ・げんし)
斎宮。
孫 平在寛(ありひろ)
子 源由道
子の妻 藤原忠文の娘
子の妻の父 藤原忠文→藤原春津の系図
源光(ひかる)【846−913】
右大臣。藤原時平の没後は廟堂の首班となったが、狩猟の際に落馬して亡くなった。
子 賢(かしこし)
孫 敦(あつし)
孫の妻 源満仲の娘
孫の妻の父 源満仲→源満仲の系図
曾孫 渡辺綱→渡辺綱~安の系図
実は源宛(→源融~宛の系図)の子。
文徳天皇の系図
第55代 文徳天皇(もんとく)/道康親王(みちやす)【827-858/在位:850-858】
承和の変で皇太子恒貞親王が廃されたことにより立太子した。在位中は外戚の藤原良房が政治を主導した。
祖父 嵯峨天皇→嵯峨天皇の系図
父 仁明天皇→仁明天皇の系図
祖父 藤原冬嗣→藤原冬嗣の系図
女御 藤原明子(あきらけいこ・めいし)【828-900】
染殿后と称された。
女御の父 藤原良房→藤原良房・基経の系図
子 清和天皇→清和天皇の系図
孫 陽成天皇→陽成天皇の系図
孫 貞純親王→貞純親王・源経基の系図
子 儀子内親王(ぎし)【?-879】
斎院。
女御 藤原古子(ふるこ)
藤原順子の出家に従い、仏門に入った。
女御の父 藤原冬嗣→藤原冬嗣の系図
女御 東子女王(あづまこ・とうし)【?-865】
女御 藤原年子(としこ)
女御 藤原多可幾子(たかきこ)【?-858】
女御の父 藤原良相→藤原良相の系図
女御 藤原是子(これこ)
後宮 紀静子(しずこ)【?-866】
後宮の父 紀名虎→仁明天皇の系図
子 惟喬親王(これたか)【844-897】
第一皇子として天皇に鍾愛されたが、立太子は実現しなかった。
孫 兼覧王(かねみ)【?-932】
和歌に秀でた。
子 惟条親王(これえだ)【846-868】
孫 景式王(かげのり)
子 述子内親王(のぶこ・じゅつし)【?-897】
斎院。
子 珍子内親王(よしこ・ちんし)【?-877】
子 恬子内親王(やすこ・てんし)【?-913】
斎宮。
後宮 滋野岑子(みねこ)
子 源本有(もとあり)
子 源載有→惟彦親王・源定有・行有・載有の系図
子 源淵子(ふちこ)
後宮 滋野奥子(おくこ)
後宮の父 滋野貞主→仁明天皇の系図
子 惟彦親王→惟彦親王・源定有・行有・載有の系図
子 濃子内親王(あつこ・のうし)【?-903】
後宮 藤原今子(いまこ・こんし)
後宮の父 藤原貞守→藤原園主の系図
子 惟恒親王(これつね)【?-904】
子 礼子内親王(あやこ・れいし)【?-899】
子 掲子内親王(ながこ・けいし)【?-914】
母は紀静子とも。斎宮になったが、陽成天皇の退位により伊勢に下向しなかった。
後宮 藤原列子(れつし)
後宮の父 藤原是雄→藤原真夏の系図
子 晏子内親王(やすこ・あんし)【?-900】
斎宮。
子 慧子内親王(あきらけいこ・けいし)【?-881】
斎院。
後宮 橘忠子(ちゅうし)
後宮の父 橘氏公(うじきみ)【783-847】
右大臣。娘の時子は源明(→源常・明の系図)の妻になった。
後宮 橘房子(ふさこ)
後宮 伴氏
子 源能有→源能有の系図
孫 当時→源当時・相職の系図
孫 当年→源当年の系図
後宮 丹墀氏
子 源毎有(つねあり)
後宮 清原氏
子 源時有(ときあり)
後宮 菅野氏
子 源定有→惟彦親王・源定有・行有・載有の系図
後宮 菅原氏
子 源富子(とみこ)
後宮 布勢氏
子 源行有→惟彦親王・源定有・行有・載有の系図
子 源憑子(ひょうし)
子 源謙子(けんし)
子 源列子(れつし)
子 源済子→清和天皇の系図
子 源奥子(おくこ)
子 源脩子(ながこ)
清和天皇の系図
第56代 清和天皇(せいわ)/惟仁親王(これひと)【850-880/在位:858-876】
9歳で即位し、外祖父の藤原良房が人臣から初の摂政になった。
祖父 仁明天皇→仁明天皇の系図
父 文徳天皇→文徳天皇の系図
祖父 藤原良房→藤原良房・基経の系図
女御 藤原高子(たかいこ・こうし)【842-910】
入内前には在原業平と恋愛関係にあったとされる。
女御の父 藤原長良→藤原長良の系図
子 陽成天皇→陽成天皇の系図
子 貞保親王(さだやす)【870-924】
管絃に優れ、勅命で横笛や琵琶の伝授をした。
子 敦子内親王(あつこ)【?-930】
斎院。
女御 藤原佳珠子(かずこ)
女御の父 藤原基経→藤原良房・基経の系図
子 貞辰親王(さだとき)【874-929】
女御 藤原多美子(たみこ)【?-886】
天皇の寵愛を集めた。
女御の父 藤原良相→藤原良相の系図
女御 源済子(なりこ・さいし)
女御の父 文徳天皇→文徳天皇の系図
女御 源厳子(いずこ・げんし)【?-879】
女御の父 源能有→源能有の系図
女御 藤原頼子(よりこ)【?-936】
女御の父 藤原基経→藤原良房・基経の系図
女御 忠子内親王(ただこ)【?-904】
女御の父 光孝天皇→光孝天皇の系図
女御 嘉子女王(よしこ)
女御 兼子女王(けんし)
女御 平寛子(ひろこ)
女御 源暄子(けんし)
女御 源貞子(さだこ・ていし)【?-873】
女御 源宜子(ぎし)
女御の父 源興基→人康親王・本康親王・源光の系図
更衣 藤原良近の娘
更衣の父 藤原良近→藤原綱継・吉野の系図
子 貞平親王(さだひら)【?-913】
子 識子内親王(さとこ・しきし)【874-906】
斎宮。
更衣 在原文子(ぶんし)
更衣の父 在原行平→平城天皇の系図
子 貞数親王(さだかず)【875-916】
舞の名手として知られた。
孫 源為善(ためよし)
更衣 藤原諸藤の娘
更衣の父 藤原諸藤→藤原有統の系図
子 貞真親王(さだざね)【876-932】
詩文に優れた。
孫 源蕃基(しげもと)
孫 源蕃平(しげひら)
孫 源蕃固(しげかた)
孫 源元亮(もとすけ)
更衣 藤原真宗の娘
子 貞頼親王(さだより)【876-922】
更衣 佐伯子房の娘
子 源長鑑(ながみ)
子 源長頼(ながより)
更衣 橘休蔭(よしかげ)の娘【?-924】
子 貞固親王(さだかた)【?-930】
後宮 藤原仲統の娘
後宮の父 藤原仲統→藤原三守の系図
子 貞元親王(さだもと)【?-909】
子の妻 藤原基経の娘
子の妻の父 藤原基経→藤原良房・基経の系図
孫 源兼忠(かねただ)【901-958】〔養子:源重之〕
参議。
孫 源兼信(かねのぶ)
孫の夫 藤原忠房→藤原継彦の系図
後宮 棟貞王の娘
後宮の父 棟貞王→桓武天皇の系図
子 貞純親王・孫 源経基→貞純親王・源経基の系図
後宮 藤原諸葛の娘
後宮の父 藤原諸葛→藤原有統の系図
子 孟子内親王(もうし)【?-901】
後宮 賀茂峯雄の娘
子 源長猷(ながかず)【?-918】
子 源載子(さいし)
後宮 大野鷹取(たかとり)の娘
子 源長淵(ながふち)
陽成天皇の系図
第57代 陽成天皇(ようぜい)/貞明親王(さだあきら)【868-949/在位:876-884】
天皇の乱行により廃位になったとされる。『百人一首』に歌が収められている。
祖父 文徳天皇→文徳天皇の系図
父 清和天皇→清和天皇の系図
祖父 藤原長良→藤原長良の系図
後宮 姉子女王(あねこ)
子 元長親王(もとなが)【901-976】
子 元利親王(もととし)【?-964】
孫 平子女王(へいし)
孫 源忠時(ただとき)
子 長子内親王(ながこ)【?-922】
子 儼子内親王(げんし)
後宮 紀氏
子 源清蔭(きよかげ)【884-950】
大納言。
子の妻 韶子内親王(しょうし)【918-980】
斎院。
子の妻の父 醍醐天皇→醍醐天皇・朱雀天皇の系図
後宮 伴氏
子 源清鑑(きよみ)【?-936】
後宮 佐伯氏
子 源清遠(きよとお)【912-?】
後宮 藤原遠長の娘
子 元良親王(もとよし)【890-943】
和歌に秀で、『百人一首』に歌が収められたほか、元日奏賀の声に優れていた。
子の妻 誨子内親王(かいし)【?-952】
子の妻の父 宇多天皇→宇多天皇の系図
孫 源佐芸(さげい)
子の妻 修子内親王(のぶこ・しゅうし)【?-933】
子の妻の父 醍醐天皇→醍醐天皇・朱雀天皇の系図
孫 佐頼王(すけより)
子の妻 藤原邦隆の娘
子の妻の父 藤原邦隆→藤原山人~佐世・藤生・世嗣の系図
孫 佐時王(すけとき)
孫 佐兼王(すけかね)
孫 源佐平(すけひら)
孫 源佐親(すけちか)
子 元平親王(もとひら)【?-958】
娘に藤原兼通(→藤原兼通の系図)の妻がいる。
後宮 綏子内親王【?-925】
後宮の父 光孝天皇→光孝天皇の系図
光孝天皇の系図
第58代 光孝天皇(こうこう)/時康親王(ときやす)【830-887/在位:884-887】
陽成天皇を廃立した藤原基経により擁立された。『百人一首』に歌が収められている。
祖父 嵯峨天皇→嵯峨天皇の系図
父 仁明天皇→仁明天皇の系図
祖父 藤原総継→藤原総継の系図
女御 班子女王(なかこ・はんし)【833-900】
女御の父 仲野親王→葛原親王・万多親王・仲野親王の系図
子 源元長(もとなが)【?-883】
子 是忠親王→是忠親王の系図
孫 式瞻王・興我王・忠望王→式瞻王・興我王・忠望王の系図
孫 源清平→源清平の系図
子 是貞親王→是貞親王・源旧鑑・是恒・貞恒・是茂・香泉・友貞の系図
子 宇多天皇→宇多天皇の系図
孫 醍醐天皇→醍醐天皇・朱雀天皇の系図
孫 斉世親王・敦慶親王→斉世親王・敦慶親王の系図
孫 敦実親王→敦実親王の系図
子 忠子内親王→清和天皇の系図
子 簡子内親王(かんし)【?-914】
子 綏子内親王→陽成天皇の系図
子 為子内親王→醍醐天皇・朱雀天皇の系図
女御 藤原佳美子(かみこ)【?-898】
女御 平等子(ともこ)
女御の父 平好風→葛原親王・万多親王・仲野親王の系図
女御 藤原元善(もとよし)
女御の父 藤原山蔭→藤原山蔭の系図
後宮 桂心女王
後宮の父 正躬王→葛原親王・万多親王・仲野親王の系図
子 穆子内親王(ぼくし)【?-903】
斎院。
更衣 讃岐永直(ながなお)の娘
子 源旧鑑→是貞親王・源旧鑑・是恒・貞恒・是茂・香泉・友貞の系図
後宮 滋野直子
子 繁子内親王(しげこ・はんし)【?-916】
斎宮。
後宮 布勢氏
子 滋水清実(きよみ)
はじめは源姓を与えられたが、過失のため除籍された。その後、本康親王らのとりなしにより、滋水姓を与えられた。
後宮 藤原門宗の娘
後宮の父 藤原門宗→藤原浜雄~輔道の系図
子 源兼善(かねよし)【?-879】
子 源名実(かたざね)
子 源篤行(あつゆき)
子 源最善(いろよし)
子 源近善・孫 宗海→源近善~清敏の系図
子 源音恒(おとつね)
子 源貞恒・是茂・子 是恒・香泉・友貞→是貞親王・源旧鑑・是恒・貞恒・是茂・香泉・友貞の系図
子 源成蔭(なりかげ)
子 源国紀・孫 公忠→源国紀・公忠の系図
子 源緩子(かんし)
子 源麗子(れいし)
子 源奇子(きし)
子 源崇子(たかいこ)
子 源連子(れんし)
子 源礼子(れいし)
子の夫 藤原連永→藤原直道の系図
子 源最子(さいし)【?-886】
子 源偕子(かいし)
子 源黙子(もくし)
子 源並子(へいし)
子 源謙子(けんし)
子 源深子(しんし)
子 源周子(しゅうし)
子 源密子(みつこ)
子 源和子→醍醐天皇・朱雀天皇の系図
孫 常明親王・式明親王→常明親王・式明親王・兼明親王の系図
孫 有明親王→有明親王・源守清の系図
子 源快子(かいし)
子 源善子(ぜんし)
是忠親王の系図
是忠親王(これただ)【857-922】
はじめは源姓をあたえられ、中納言になった。
祖父 仁明天皇→仁明天皇の系図
父 光孝天皇→光孝天皇の系図
祖父 仲野親王→葛原親王・万多親王・仲野親王の系図
子 式順王(しきじゅん)
子 式瞻王・興我王・忠望王→式瞻王・興我王・忠望王の系図
子 英我王(えいが)
曾孫 康尚(こうじょう)/康成
仏師として藤原道長らに重用された。
子 源清平→源清平の系図
子 源正明(まさあきら)/斉明【893-958】
参議。
曾孫 為理
為理の子の夫 藤原永業→藤原永信・永業の系図
為理の孫 季永→藤原季永・清高の系図
為理の孫 仲実→藤原仲実の系図
為理の子の夫 藤原範基→藤原為雅・中清の系図
曾孫 忠理
忠理の子の夫 藤原親任→藤原助信の系図
正明孫 斎院中将(さいいんのちゅうじょう)
父は源忠理とも。歌人。選子内親王に仕えた。
子 源宗于(むねゆき)【?-939】
三十六歌仙の一人。『百人一首』に歌が収められている。
子 是忠親王の娘
父は元平親王(→陽成天皇の系図)とも。
宇多天皇の系図
第59代 宇多天皇(うだ)/定省親王(さだみ)【867-931/在位:887-897】
当初は臣籍に降り、光孝天皇崩御の際に親王に復した。藤原基経の死後は、寛平の治と称される親政にあたり、菅原道真らを登用した。
祖父 仁明天皇→仁明天皇の系図
父 光孝天皇→光孝天皇の系図
祖父 仲野親王→葛原親王・万多親王・仲野親王の系図
女御 藤原温子(よしこ・おんし)【872-907】
阿衡の紛議の収拾に関係して入内した。
女御の父 藤原基経→藤原良房・基経の系図
子 均子内親王→斉世親王・敦慶親王の系図
女御 藤原胤子(たねこ・いんし)【?-896】
女御の父 藤原高藤→藤原高藤の系図
子 醍醐天皇・孫 朱雀天皇→醍醐天皇・朱雀天皇の系図
孫 村上天皇→村上天皇の系図
孫 克明親王・重明親王→克明親王・重明親王の系図
孫 代明親王→代明親王の系図
孫 常明親王・式明親王・兼明親王→常明親王・式明親王・兼明親王の系図
孫 有明親王→有明親王・源守清の系図
孫 盛明親王→盛明親王~源道成の系図
孫 源高明→源高明の系図
子 敦慶親王→斉世親王・敦慶親王の系図
子 敦固親王(あつかた)【?-926】
琵琶の演奏を得意とした。
子の妻 慶子内親王(けいし)【903-923】
子の妻の父 醍醐天皇→醍醐天皇・朱雀天皇の系図
孫 源宗成(むねなり)
孫 寛忠(かんちゅう)【906-977】
祖父のもとで出家し、東寺長者などを務めた。
子 柔子内親王(やすこ・じゅうし)【?-959】
斎宮。
子 敦実親王→敦実親王の系図
孫 源雅信→源雅信の系図
孫 源重信→源重信の系図
女御 橘義子(よしこ)
女御の父 橘広相(ひろみ)【837-890】
参議。陽成天皇から宇多天皇まで侍読を務めた。阿衡の紛議では、責任者として罪に問われそうになった。
子 斉中親王(ときなか)【885-891】
子 斉世親王→斉世親王・敦慶親王の系図
子 斉邦親王(ときくに)
子 君子内親王(きみこ・くんし)【?-902】
斎院。
女御 菅原衍子(ひろこ・のぶこ・えんし)
菅原道真(→菅原古人~道真の系図)の娘。
子 源順子→藤原忠平の系図
孫 藤原実頼→藤原実頼の系図
女御 橘房子(ふさこ)【?-893】
更衣 源貞子(ていし)
更衣の父 源昇→源融~宛の系図
子 依子内親王(よりこ・いし)【895-936】
後宮 藤原褒子(よしこ)
後宮の父 藤原時平→藤原時平の系図
子 雅明親王(まさあきら)
子 載明親王(ことあきら)
子 行明親王(ゆきあきら)【926-948】
醍醐天皇の猶子になった。娘に源重光(→源重光の系図)の妻がいる。
子の妻 藤原顕忠の娘
子の妻の父 藤原顕忠→藤原顕忠の系図
後宮 徳姫女王
後宮の父 十世王→葛原親王・万多親王・仲野親王の系図
子 孚子内親王(さねこ・ふし)【?-958】
後宮 藤原有実の娘
後宮の父 藤原有実→藤原良仁の系図
子 誨子内親王→陽成天皇の系図
子 季子内親王(すえこ)
後宮 伊勢(いせ)
三十六歌仙の一人。藤原温子に出仕した。女流歌人として、『古今和歌集』に多くの歌が収められている。
後宮の父 藤原継蔭→藤原浜雄~輔道の系図
夫 敦慶親王→斉世親王・敦慶親王の系図
子 行中親王(ゆきなか)【897-909】
子 成子内親王(しげこ・せいし)【?-978】
子 源臣子(しんし)
斉世親王・敦慶親王の系図
斉世親王(ときよ)【886-927】
昌泰の変を機に出家した。
妻 菅原道真の娘
妻の父 菅原道真→菅原古人~道真の系図
子 源英明(ふさあきら)【?-939】
『慈覚大師伝』を完成させた。
子の妻 藤原道明の娘
子の妻の父 藤原道明→藤原高仁~道明の系図
孫 清時
孫の妻 藤原成国の娘
孫の妻の父 藤原成国→藤原直道の系図
孫の夫 藤原元名→藤原清経・元名の系図
曾孫 知章→藤原知章の系図
孫の夫 藤原助信→藤原助信の系図
曾孫の夫 源時通→源雅信の系図
妻 橘公廉の娘
子 源庶明(もろあきら)【903-955】
中納言。
孫 計子→村上天皇の系図
敦慶親王(あつよし)【887-930】
容姿端麗で玉光宮と称された。
祖父 藤原高藤→藤原高藤の系図
妻 均子内親王(ひろこ・きんし)【890-910】
妻の父 宇多天皇→宇多天皇の系図
妻 伊勢→宇多天皇の系図
子 中務(なかつかさ)
女流歌人。三十六歌仙の一人。
子 源後古(ここ)
子 源方古(ほこ)
系図について
本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。
系図はおおよそ次の方針で作成しています。
- 系図に描画する人物の範囲について
上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。 - 人物の表示の区別について
系図では、次の通り背景色を区別しています。
(オレンジ)……天皇
(緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
(黄)……江戸時代の将軍・藩主
(水色)……その他男性
(ピンク)……その他女性 - 養子・猶子について
両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。 - 正室・側室等について
これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。 - 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。