霊元天皇~孝明天皇の系図

系図のメモ帳
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 このページでは、霊元天皇から孝明天皇までの系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。

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霊元天皇の系図

霊元天皇の系図

第112代 霊元天皇(れいげん)/識仁親王(さとひと)【1654-1732/在位:1663-1687】
 大嘗祭などを再興した。40年以上院政を行い、たびたび幕府と対立した。文芸にも明るく、多くの和歌を遺した。追号は孝霊天皇・孝元天皇から1字ずつ取られた。

祖父 後陽成天皇後陽成天皇の系図
 後水尾天皇後水尾天皇~後光明天皇の系図
祖父 園基音園基富~基音の系図

皇后 鷹司房子(ふさこ)/新上西門院(しんじょうさいもんいん)【1653-1712】
 鷹司教平(→鷹司信房~教平の系図)の娘。
 栄子内親王二条昭実~綱平の系図
 二条吉忠二条吉忠~重良の系図

典侍 坊城房子(ふさこ)【1652-1676】
 坊城俊広(→坊城俊国~俊広の系図)の娘。
 憲子内親王近衛信尋~家煕の系図
 近衛家久近衛家久・内前の系図

典侍 中納言典侍局
 小倉実起(→小倉公種~実躬の系図)の娘。
 済深法親王(さいじん)/寛清親王【1671-1701】
 当初は出家を拒み、蟄居になった。のちに東大寺別当となり、大仏開眼の導師を務めた。

典侍 松木宗子(むねこ)/敬法門院(けいほうもんいん)【1657-1732】
 松木宗条(→松木宗満~宗条の系図)の娘。
 東山天皇東山天皇の系図
 中御門天皇中御門天皇~後桃園天皇の系図

 福子内親王→邦永親王の系図
 永秀女王(えいしゅう)【1677-1725】
 文仁親王→文仁親王の系図
 田鶴宮/梅宮【1681-1683】
 勝子内親王(かつこ)【1686-1716】
 清宮【1688-1693】

掌侍 愛宕福子(とみこ)
 愛宕通福(→愛宕通福~通致の系図)の娘。
 寛隆法親王(かんりゅう)/師永親王(もろなが)【1672-1707】
 綱宮【1675-1677】

掌侍 五条庸子(ようこ)【1660-1683】
 五条為庸(→五条為適~為房の系図)の娘。
 三宮【1675-1677】
 尭延法親王(ぎょうえん)/周慶親王(ちかよし)【1676-1718】
 天台座主。
 台嶺院【1679】

掌侍 東久世博子(ひろこ)【1672-1752】
 東久世通廉(→東久世通廉~通禧の系図)の娘。
 徳宮【1692-1693】
 力宮【1697】

後宮 多奈井小路局
 西洞院時良(→西洞院時直~時光の系図)の娘。
 智光院宮【1669】

後宮 五条経子(つねこ)【1673-?】
 五条為庸(→五条為適~為房の系図)の娘。
 作宮→作宮の系図
 性応法親王(しょうおう)/寛敦親王【1690-1712】
 文喜女王(ぶんき)【1693-1702】
 元秀女王(げんしゅう)【1696-1752】

後宮 松室仲子(なかこ)
 松室重仲の娘。
 尊胤法親王(そんいん)/栄貞親王(ひでさだ)【1715-1739】

後宮 藤式部局
 今城定淳(→中山冷泉為親~今城定国の系図)の娘。
 尊賞法親王(そんしょう)/庶賢親王(もろかた)【1699-1746】
 興福寺別当。
 永応女王(えいおう)/文応女王【1702-1754】

後宮 松室敦子(あつこ)【?-1746】
 松室重敦の娘。
 職仁親王→職仁親王の系図
 吉子内親王(よしこ)【1714-1758】
 徳川家継との婚約がなされたが、家継が早世したため入輿に至らなかった。
 尭恭法親王(ぎょうきょう)/久嘉親王(ひさよし)【1717-1764】
 天台座主。

後宮 中将局
 倉橋泰貞(→倉橋泰貞の系図)の娘。
 峯宮【1710-1714】

後宮 入江伊津子【?-1763】
 入江相尚(→入江相尚~為遂の系図)の娘。
 嘉智宮【1709-1713】
 留宮【1710-1712】

後宮 少将局
 南相忠の娘。
 八重宮【1721-1723】

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東山天皇の系図

東山天皇の系図

第113代 東山天皇(ひがしやま)/朝仁親王(あさひと)【1675-1709/在位:1687-1709】
 中絶していた立太子の儀や大嘗会を再興した。

祖父 後水尾天皇後水尾天皇~後光明天皇の系図
 霊元天皇霊元天皇の系図
祖父 松木宗条松木宗満~宗条の系図

皇后 幸子女王(ゆきこ)/承秋門院(しょうしゅうもんいん)【1681-1720】
 幸仁親王(→幸仁親王の系図)の娘。
 秋子内親王→貞建親王の系図

典侍 櫛笥賀子(よしこ)/慶子/新崇賢門院(しんすうけんもんいん)【1675-1709】
 櫛笥隆賀(→櫛笥隆胤~隆周の系図)の娘。
 一宮【1693-1694】
 二宮【1696-1698】
 寿宮【1700-1701】
 中御門天皇 桜町天皇中御門天皇~後桃園天皇の系図
 福宮【1703-1705】
 直仁親王→直仁親王の系図

典侍 下冷泉経子(つねこ)/兼子【1678-1755】〔養父:水無瀬兼豊(→水無瀬兼豊~経業の系図)〕
 下冷泉為経(→下冷泉為純~為経の系図)の娘。
 公寛法親王(こうかん)/有定親王【1697-1738】
 天台座主。

掌侍 菅内侍(かんのないし)
 高辻長量(→高辻遂長~長量の系図)の娘。
 光明定院宮【1707】
 聖祝女王(しょうしゅく)【1709-1721】

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中御門天皇~後桃園天皇の系図

中御門天皇~後桃園天皇の系図

中御門天皇

第114代 中御門天皇(なかみかど)/慶仁親王(やすひと)【1701-1737/在位:1709-1735】
 閑院宮家を創立させ、『公事部類』を著した。

祖父 霊元天皇霊元天皇の系図
 東山天皇東山天皇の系図
祖父 櫛笥隆賀櫛笥隆胤~隆周の系図

女御 近衛尚子(ひさこ)/新中和門院(しんちゅうわもんいん)【1702-1720】
 近衛家煕(→近衛信尋~家煕の系図)の娘。昭仁親王(桜町天皇)を産んで20日後に亡くなった。

典侍 清水谷石子(いわこ)【1703-1735】
 清水谷実業(→清水谷実業~公美の系図)の娘。
 公遵法親王(こうじゅん)/保良親王(やすのり)【1722-1788】
 天台座主。
 理秀女王(りしゅう)【1725-1764】
 尊乗女王(そんじょう)【1730-1788】
 周宮【1735】

典侍 園常子(つねこ)【?-1763】
 園基勝(→園基福~基香の系図)の娘。
 忠誉法親王(ちゅうよ)/忠篤親王(ただあつ)【1722-1788】
 園城寺長吏。
 清浄法院宮【1724-1725】

掌侍 久世夏子(なつこ)【?-1734】
 久世通夏(→久世通式~通晃の系図)の娘。
 妙智院宮【1723】
 成子内親王→典仁親王の系図
 永皎女王(えいこう)【1732-1808】
 大聖寺門跡。
 信宮【1734】

掌侍 五条寛子(ひろこ)【1718-?】
 五条為範(→五条為範~為定の系図)の娘。
 遵仁法親王(じゅんにん)/寛全親王【1736-1747】

後宮 錦小路頼庸の娘【1703-1770】〔養父:錦小路頼庸(→錦小路頼庸の系図)、石井行康(→石井行豊~行忠の系図)〕
 実は小森頼季(→小森頼季の系図)の子。
 聖珊女王(しょうさん)【1721-1759】
 慈仁法親王(じにん)/良視親王【1723-1735】

桜町天皇

第115代 桜町天皇(さくらまち)/昭仁親王(てるひと)【1720-1750/在位:1735-1747】
 新嘗祭などの多くの朝儀を再興した。また、和歌を好んだ。

女御 二条舎子(いえこ)/青綺門院(せいきもんいん)【1716-1790】
 二条吉忠(→二条吉忠~重良の系図)の娘。
 盛子内親王(もりこ)【1737-1746】

典侍 姉小路定子(さだこ)/開明門院(かいめいもんいん)【1717-1789】
 姉小路実武(→姉小路公景~実武の系図)の娘。

典侍 日野資子(すけこ)
 日野資時(→日野資時~資平の系図)の娘。

桃園天皇

第116代 桃園天皇(ももぞの)/遐仁親王(とおひと)【1741-1762/在位:1747-1762】
 垂加神道に傾倒した公家から『日本書紀』の進講を受け、宝暦事件に繋がった。

女御 一条富子(とみこ)/恭礼門院(きょうれいもんいん)【1743-1795】
 一条兼香(→一条教輔~道香の系図)の娘。
 貞行親王→貞行親王の系図

後桜町天皇

第117代 後桜町天皇(ごさくらまち)/智子内親王(としこ)【1740-1813/在位:1762-1770】
 女帝。幼少の英仁親王(後桃園天皇)が成長するまでの中継ぎとして皇位を継いだ。

後桃園天皇

第118代 後桃園天皇(ごももぞの)/英仁親王(ひでひと)【1758-1779/在位:1770-1779】
 誕生間もなく儲君となり、皇位を継いだが若くして亡くなった。
 
女御 近衛維子(これこ)
 近衛内前(→近衛家久・内前の系図)の娘。
 欣子内親王光格天皇~孝明天皇の系図

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光格天皇~孝明天皇の系図

光格天皇~孝明天皇の系図

光格天皇

第119代 光格天皇(こうかく)/師仁親王(もろひと)/兼仁親王(ともひと)【1771-1840/在位:1779-1817】
 元々は出家して聖護院門跡を継ぐ予定であったが、後桃園天皇の養子となって皇位を継いだ。父に尊号を贈ろうとしたが老中松平定信に阻止された。

祖父 直仁親王→直仁親王の系図
 典仁親王→典仁親王の系図

皇后 欣子内親王(よしこ)/新清和院(しんせいわいん)【1779-1846】
 後桃園天皇(→中御門天皇~後桃園天皇の系図)の皇女。
 温仁親王(ますひと)【1800】
 儲君となったが夭逝した。
 悦仁親王【1816-1821】

典侍 勧修寺婧子(ただこ)/東京極院(ひがしきょうごくいん)【1780-1843】
 勧修寺経逸(→勧修寺顕道~経逸の系図)の娘。
 多祉宮(たけ)【1808】
 娍宮(はる)【1817-1819】

典侍 姉小路聡子(さとこ)
 姉小路公聡(→姉小路公文~公知の系図)の娘。
 永潤女王(えいじゅん)【1820-1830】
 媛宮(つる)【1826-1827】
 嘉糯宮(かのめ)【1833-1835】

典侍 園正子(まさこ・おさこ)【1774-1846】〔養父:園基理(→園基衡~基祥の系図)〕
 高野保香(→高野保春~保建の系図)の娘。
 猗宮(なか)【1815-1819】

典侍 葉室頼子(よりこ)【1773-1846】
 葉室頼煕(→葉室頼煕~長邦の系図)の娘。
 礼仁親王(うやひと)【1790-1791】
 寿賀宮【1792-1793】
 俊宮(たか)【1793-1794】

掌侍 東坊城和子(かずこ)【1782-1811】
 東坊城益良(→東坊城恒長~夏長の系図)の娘。
 盛仁親王→盛仁親王の系図
 霊妙心院宮【1811】

掌侍 富小路明子(てるこ)【?-1828】
 富小路貞直(→富小路重直~敬直の系図)の娘。
 治宮(まさ)【1822】
 蓁子内親王(もりこ)【1824-1842】

仁孝天皇

第120代 仁孝天皇(にんこう)/恵仁親王(あやひと)【1800-1846/在位:1817-1846】
 長く絶えていた諡号を再興し、堂上子弟のための学習所の創設を計画した。

女御 鷹司繋子(つなこ)/新皇嘉門院(しんこうかもんいん)【1798-1823】
 鷹司政煕(→鷹司政煕の系図)の娘。
 安仁親王(しずひと)【1820-1821】
 慈悲心院宮【1823】

女御 鷹司祺子(やすこ)/新朔平門院(しんさくへいもんいん)【1811-1847】〔養父:鷹司政通(→鷹司政通~輔政の系図)〕
 鷹司政煕(→鷹司政煕の系図)の娘。
 女二宮【1829-1831】

典侍 正親町雅子(なおこ)/新待賢門院(しんたいけんもんいん)【1803-1856】
 正親町実光(→正親町公明~公董の系図)の娘。
 鎔宮(のり)【1825-1827】
 節仁親王→節仁親王の系図
 恭宮(ゆき)【1837-1838】

典侍 甘露寺妍子(きよこ)【1806-1851】
 甘露寺国長(→甘露寺国長~義長の系図)の娘。天皇の崩御後、剃髪した。
 成宮【1825-1826】
 淑子内親王→淑子内親王の系図
 三宮【1830-1831】
 総宮【1832-1833】
 経宮【1836】

典侍 中山績子(いさこ)/愛子【1795-1875】
 中山愛親(→中山愛親~忠愛の系図)の娘。日記は『中山績子日記』。
典侍 橋本経子(つねこ)【1826-1865】
 橋本実久(→橋本実理~実梁の系図)の娘。
 胤宮【1844-1845】
 親子内親王徳川家慶~慶喜の系図

掌侍 今城媋子(たつこ)/敏子【1809-1875】
 今城定成(→中山冷泉為親~今城定国の系図)の娘。天皇の崩御後、剃髪した。
 常寂光院宮【1832】

孝明天皇

第121代 孝明天皇(こうめい)/統仁親王(おさひと)【1831-1866/在位:1846-1866】
 幕末の激動の中、鎖国攘夷・公武合体の立場を取った。

女御 九条夙子(あさこ)/英照皇太后(えいしょう)【1833-1897】
 九条尚忠(→九条師孝~道孝の系図)の娘。明治天皇の嫡母。
 順子内親王(よりこ)【1850-1852】
 富貴宮【1858-1859】

典侍 中山慶子(よしこ)【1835-1907】
 中山忠能(→中山愛親~忠愛の系図)の娘。
 明治天皇(めいじ)/睦仁親王(むつひと)
 第122代天皇。
 大正天皇(たいしょう)/嘉仁親王(よしひと)
 第123代天皇。

典侍 坊城伸子(ただこ)【1830-1850】
 坊城俊明(→坊城俊明~俊章の系図)の娘。皇子を生んだが間もなく亡くなった。
 妙香華院宮【1850】

掌侍 堀河紀子(もとこ)/衛門内侍(えもんのないし)【1837-1910】
 堀河康親(→堀河康暁~康隆の系図)の娘。
 寿万宮(すま)【1859-1861】
 理宮【1861-1862】

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系図について

 本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
 あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。

 系図はおおよそ次の方針で作成しています。

  • 系図に描画する人物の範囲について
     上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
     下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。
  • 人物の表示の区別について
     系図では、次の通り背景色を区別しています。
     (オレンジ)……天皇
     (緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
     (黄)……江戸時代の将軍・藩主
     (水色)……その他男性
     (ピンク)……その他女性
  • 養子・猶子について
     両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
     養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
     一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
     なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。
  • 正室・側室等について
     これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。
  • 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
     『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。
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