このページでは、難波家(藤原氏北家・師実流)の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
難波家(羽林家)の略系図

1 忠教→難波忠教の系図
1-A1 忠基→難波忠基の系図
1-A2 教宗→難波教宗の系図
2 頼輔→難波頼輔~宗長の系図
5 宗教→難波宗教~宗量の系図
17 宗尚→難波宗尚~宗礼の系図
難波忠教の系図
難波忠教【1076-1141】〔養子:教縁(→源俊頼の系図)〕
大納言。難波家の祖。
祖父 頼通→藤原頼通の系図
父 師実→藤原師実の系図
祖父 藤原永業→藤原永信・永業の系図
妻 源季宗の娘
妻の父 源季宗→源季宗の系図
子 忠基→難波忠基の系図
孫 教宗→難波教宗の系図
妻 藤原清綱の娘
妻の父 藤原清綱→藤原清綱の系図
妻 源俊明の娘
妻の父 源俊明→源俊明の系図
子 教長(のりなが)【1109-?】
参議。崇徳天皇の近臣。保元の乱の際には常陸国に流された。
子の妻 藤原公信の娘
子の妻の父 藤原公信→藤原保実の系図
孫 覚慶/長慶
妻 賀茂成継の娘
子 頼輔・孫 頼経→難波頼輔~宗長の系図
子 教良/有教
孫の夫 西園寺実宗→西園寺実宗の系図
曾孫 清水谷公定→清水谷公定の系図
孫の夫 藤原泰通→藤原泰通の系図
孫の夫 堀河頼定→堀河頼定の系図
妻 藤原時経の娘
妻の父 藤原時経→藤原兼経の系図
妻 藤原為房の娘
妻の父 藤原為房→藤原為房の系図
子の夫 西園寺通季→西園寺通季の系図
孫 公通→西園寺公通の系図
難波忠基の系図
難波忠基【1101-1156】
権中納言。
祖父 師実→藤原師実の系図
父 忠教→難波忠教の系図
祖父 源季宗→源季宗の系図
妻 源有賢の娘
妻の父 源有賢→源有賢の系図
子 教宗→難波教宗の系図
妻 藤原有広の娘
子 高倉家通〔養父:高倉重通〕→高倉重通・家通の系図
妻 藤原為忠の娘
妻の父 藤原為忠→藤原為忠の系図
夫 藤原光房→藤原光房の系図
妻 藤原清隆の娘
妻の父 藤原清隆→藤原清隆の系図
子の夫 藤原公重→西園寺通季の系図
子の夫 藤原信行→藤原信輔の系図
難波教宗の系図
難波教宗
祖父 忠教→難波忠教の系図
父 忠基→難波忠基の系図
祖父 源有賢→源有賢の系図
妻 藤原為忠の娘
妻の父 藤原為忠→藤原為忠の系図
夫 藤原光房→藤原光房の系図
範保孫 兼子→西園寺公衡~公宗の系図
難波頼輔~宗長の系図
難波頼輔(よりすけ)/親忠【1112-1186】〔養子:難波宗長〕
従三位。蹴鞠をよくした。
難波頼経(よりつね)【?-1216】
妻 源顕雅の娘
妻の父 源顕雅→源顕房の系図
子 飛鳥井雅経・孫 教定→飛鳥井雅経~雅孝の系図
子 経長
父は難波頼輔とも。
子 厳海(ごんかい)【1173-1251】
東寺長者。九条頼経の帰依を受けた。
難波宗長(むねなが)【1164-1225】〔養父:難波頼輔〕
従三位。
子 宗教・孫 教継→難波宗教~宗量の系図
難波宗教~宗量の系図
難波宗教(むねのり)【1200-?】
従二位。北条時頼の蹴鞠の師となった。
祖父 頼経・父 宗長→難波頼輔~宗長の系図
孫 宗継〔養父:難波教継〕
難波宗継
実は藤原教俊の子。
子 宗有
従三位。
子 宗春/宗夏
宗春孫 宗富〔養父:難波宗興〕
難波宗緒【1288-?】
正三位。
子 宗秀
従三位。
孫 宗音
父は難波宗清とも。
子 宗久/宗秋
難波宗清【1318-1361】
従三位。
子 宗音
父は難波宗秀とも。
難波宗富
実は藤原宗衡の子。
難波宗勝/雅宣/雅胤→飛鳥井雅庸~雅豊の系図
実は飛鳥井雅庸の子。飛鳥井家を継いだ。
難波宗種【1610-1659】
権中納言。
難波宗量【1642-1704】(以下、『系図纂要』による。)
権中納言。実は飛鳥井雅章(→飛鳥井雅庸~雅豊の系図)の子。
妻 亀井鶴【1652-1676】
亀井茲政(→亀井茲政の系図)の娘。
子 宗尚・孫 宗建→難波宗尚~宗礼の系図
難波宗尚~宗礼の系図
難波宗尚/雅広【1668-1699】
従三位。実は飛鳥井雅章(→飛鳥井雅庸~雅豊の系図)の子。
祖父 宗種・父 宗量→難波宗教~宗量の系図
妻 本多重昭の娘
妻の父 本多重昭→本多重能~重賀の系図
難波宗建(むねたけ)【1697-1768】
権大納言。蹴鞠にすぐれ、徳川吉宗らの前でも披露した。日記は『宗建卿記』。
妻 鷲尾隆長の娘
妻の父 鷲尾隆長→鷲尾隆長~隆聚の系図
難波宗城(むねき)【1724-1805】
権大納言。
妻 宗方煕の娘
妻の父 宗方煕→宗義誠~義蕃の系図
子 宗董/宗量【1752-1776】
子の妻 藪保季の娘
子の妻の父 藪保季→藪保季~実方の系図
孫 宗董の娘(『難波家譜』による。)
子の夫 石山基陳→石山師香~基正の系図
難波宗功/宗享【1770-1808】
正三位。
妻 細川興文の娘
妻の父 細川興文→細川興文の系図
子の夫 野宮定祥→野宮定晴~定平の系図
難波宗職【1789-1844】
難波宗弘【1807-1868】
権大納言。
難波宗礼/宗徳【1832-1884】
妻 東坊城聡長の娘
妻の父 東坊城聡長→東坊城恒長~夏長の系図
系図について
本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。
系図はおおよそ次の方針で作成しています。
- 系図に描画する人物の範囲について
上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。 - 人物の表示の区別について
系図では、次の通り背景色を区別しています。
(オレンジ)……天皇
(緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
(黄)……江戸時代の将軍・藩主
(水色)……その他男性
(ピンク)……その他女性 - 養子・猶子について
両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。 - 正室・側室等について
これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。 - 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。