このページでは、板倉氏(清和源氏・義国流)・重宣流の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
板倉氏・重宣流(備中国庭瀬藩主)の略系図
1 重宣→板倉重宣~昌信の系図
4 勝興→板倉勝興・勝志の系図
6 勝喜→板倉勝喜~勝弘の系図
板倉重宣~昌信の系図
板倉重宣(しげのぶ)【1664-1684】
上総国高滝藩主。蟄居となっていた叔父の重種から2万石を継いだ。
祖父 重矩・父 重良→板倉重昌~重種の系図
祖父 池田恒元→池田利隆・恒元~恒行・輝興~清勝の系図
板倉重高(しげたか)【1666-1713】
高滝藩主・備中国庭瀬藩主。実は小出英知(→小出英知の系図)の子。
妻 山内豊定の娘
妻の父 山内豊定→山内豊定の系図
子 重高の娘(『華族系譜』による。)
妻 松平万
実は田村建顕(→田村建顕の系図)の娘。
妻の父 松平近栄→松平近栄~近朝の系図
子 熊太郎【1699-1705】
母は『寛政重修諸家譜』による。
子の夫 内藤正敬→内藤正敬~正誠の系図
妻 安田氏
子 鉄次郎(『寛政重修諸家譜』による。)
子 重高の娘【1703-1708】(『華族系譜』による。)
子 重高の娘【1708-1715】(『華族系譜』による。)
板倉昌信(しげのぶ・まさのぶ)【1700-1730】
庭瀬藩主。
妻 加藤泰恒の娘
妻の父 加藤泰恒→加藤泰恒の系図
夫 喜連川茂氏→喜連川義親~茂氏の系図
妻 宮本氏
子 勝興・孫 勝志→板倉勝興・勝志の系図
子の夫 堀直著→堀直著~之美の系図
子の夫 石川総恒→石川総乗~総武の系図
板倉勝興・勝志の系図
板倉勝興(かつおき)【1722-1796】
庭瀬藩主。
祖父 重高・父 昌信→板倉重宣~昌信の系図
妻 植村家敬の娘
妻の父 植村家敬→植村家貞~家包の系図
妻 大宮氏
子 勝紀(かつとし)【1749-1773】
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 巨勢至親〔養父:巨勢至忠〕→巨勢至親の系図
子 勝興の娘【1751-1772】
母は『寛政重修諸家譜』による。大久保教倫に嫁ぐ予定であった。
子の夫 永井直諒→永井直右~尚監の系図
妻 関氏
子 勝喜〔養父:板倉勝志〕→板倉勝喜~勝弘の系図
妻 西山氏
子の夫 板倉勝宦→板倉重直~勝宦の系図
子の夫 松平丹後守(『華族系譜』による。)
子 庄次郎(『華族系譜』による。)
子 勝興の娘【1763-1766】(『華族系譜』による。)
子 勝興の娘【1765-?】(『華族系譜』による。)
子 勝興の娘【?-1778】(『華族系譜』による。)
板倉勝志(かつゆき)【1745-1785】
庭瀬藩主。
妻 太田資俊の娘【?-1769】
妻の父 太田資俊→太田資俊~資順の系図
子 老之助【1769-1771】
母は『寛政重修諸家譜』による。
妻 板倉美喜【?-1782】
板倉勝武(→板倉勝澄~勝従の系図)の娘。
妻 志村氏
子の夫 本多康完→本多康完~康穣の系図
子 勝喜・孫 勝氐→板倉勝喜~勝弘の系図
板倉勝喜~勝弘の系図
板倉勝喜(かつよし)【1765-1842】
庭瀬藩主。実は板倉勝興(→板倉勝興・勝志の系図)の子。
祖父 勝興・父 勝志→板倉勝興・勝志の系図
子 勝並【1786-?】
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 峯之進
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 勝資〔養父:板倉勝氐〕
子 勝虎・亀之進(『華族系譜』による。)
子 勝貞〔養父:板倉勝資〕
板倉勝氐(かつもと)【1788-1804】
庭瀬藩主。母は『寛政重修諸家譜』による。
板倉勝資(かつすけ)【1789-1848】
庭瀬藩主。実は板倉勝喜の子。藩校誠意館を設立した。
妻 朽木澄【?-1826】
朽木倫綱(→朽木倫綱~為綱の系図)の娘。
子 勝義〔養父:板倉勝貞〕
母は『華族系譜』による。
子 慎次郎【1824-1825】(『華族系譜』による。)
板倉勝貞(かつさだ)【1801-1849】
庭瀬藩主。実は板倉勝喜の子。
子 勝義【1822-1845】
実は板倉勝資の子。
板倉勝成(かつしげ)【1821-1848】(以下、『華族系譜』による。)
庭瀬藩主。実は安藤信由(→安藤信義~信勇の系図)の子。家督を継いで3か月余りで亡くなった。
子 勝成の息子【1852】
子 勝成の娘【1843-?】〔養父:安藤信時〕
子 勝成の娘〔養父:安藤信正〕→安藤信義~信勇の系図
板倉勝全(かつまた・かつまさ)【1830-1858】
庭瀬藩主。実は酒井忠恒(→酒井忠寧~忠彰の系図)の子。
妻 永井尚典の娘
妻の父 永井尚典→永井直陳~尚服の系図
子 勝全の娘〔養父:酒井忠恒〕→酒井忠寧~忠彰の系図
板倉勝弘(かつひろ)【1838-1909】〔養父:花房正道〕
庭瀬藩主。実は板倉勝俊(→板倉勝矩~勝達の系図)の子。
妻 間部詮勝の娘
妻の父 間部詮勝→間部詮勝の系図
系図について
本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。
系図はおおよそ次の方針で作成しています。
- 系図に描画する人物の範囲について
上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。 - 人物の表示の区別について
系図では、次の通り背景色を区別しています。
(オレンジ)……天皇
(緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
(黄)……江戸時代の将軍・藩主
(水色)……その他男性
(ピンク)……その他女性 - 養子・猶子について
両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。 - 正室・側室等について
これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。 - 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。