このページでは、板倉氏(清和源氏・義国流)の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
板倉氏(備中国松山藩主)の略系図
1 頼重→板倉頼重・好重・忠政~勝尹の系図
3 勝重→板倉勝重の系図
3-A 重大→板倉重大~勝該の系図
4 重宗→板倉重宗の系図
5 重郷→板倉重郷~重治の系図
9 勝澄→板倉勝澄~勝従の系図
12 勝政→板倉勝政~勝弼の系図
板倉頼重・好重・忠政~勝尹の系図
板倉頼重(よりしげ)
祖父 義鏡・父 義尭→渋川義顕~義尭の系図
板倉好重(よししげ)【1466-1507】
妻 本多光次の娘
妻の父 本多光次→本多光次の系図
子 勝重→板倉勝重の系図
孫 重宗→板倉重宗の系図
孫 重昌→板倉重昌~重種の系図
孫 重大→板倉重大~勝該の系図
子 定重(さだしげ)【1554-1581】
孫 重信・利伊(『華族系譜』による。)
板倉忠政(ただまさ)(以下、『寛政重修諸家譜』による。)
板倉忠昭(ただてる)
板倉忠正(たださた)
板倉忠祐(ただすけ)
板倉忠尚(ただひさ)
子 重賢〔養父:板倉忠信〕
板倉忠信(ただのぶ)
板倉重賢(しげまさ)/忠義(ただよし)【1699-1767】
実は板倉忠尚の子。
子 勝尹〔養父:板倉勝徴〕
子 横屋栄乗〔養父:横屋保昌〕→横屋栄乗の系図
子の夫 美濃部茂賈→美濃部茂賈の系図
子の夫 内田正雅→内田正雅の系図
板倉勝徴(かつあきら)【1743-1773】
板倉勝尹(かつただ)【1746-?】
実は板倉重賢の子。
妻 美濃部茂勝の娘
妻の父 美濃部茂勝→美濃部茂勝の系図
夫 伊東祐中→伊東祐友~祐恭・祐政~祐栄の系図
板倉勝重の系図
板倉勝重(かつしげ)【1545-1624】
京都所司代として、畿内や朝廷・寺社における徳川氏の勢力浸透に尽力し、約1万6000石を領した。
祖父 頼重・父 好重→板倉頼重・好重・忠政~勝尹の系図
妻 粟生永勝の娘
夫 中島重次→中島重次の系図
子 重宗→板倉重宗の系図
孫 重郷→板倉重郷~重治の系図
孫 重形→板倉重形~勝清の系図
子 重昌・孫 重矩→板倉重昌~重種の系図
孫 重直→板倉重直~勝宦の系図
子の夫 戸田光正→戸田重元~重種・光正~長重の系図
子の夫 川村重久→川村重久の系図
子の夫 徳山直政→徳山直政の系図
子の夫 安藤重能→安藤重能・直政の系図
妻 横井氏
子 重大・孫 重浮→板倉重大~勝該の系図
子 中島重好→中島重好の系図
実は中島重次の子。
子 勝重の娘
実は中島重次(→中島重次の系図)の娘。槙小大夫に嫁いだ。
子の夫 伊東長昌→伊東長昌~長救の系図
板倉重大~勝該の系図
板倉重大(しげもと)【1618-1686】(以下、『寛政重修諸家譜』による。)
祖父 好重→板倉頼重・好重・忠政~勝尹の系図
父 勝重→板倉勝重の系図
妻 成瀬正虎の娘
妻の父 成瀬正虎→成瀬正虎の系図
妻 宇都宮義綱の娘
妻の父 宇都宮義綱→宇都宮義綱の系図
子 重冬〔養父:板倉重常〕→板倉重郷~重治の系図
子の夫 池田政周→池田利隆・恒元~恒行・輝興~清勝の系図
板倉重浮(しげゆき)/重武(しげたけ)【1677-1740】
実は堀田正休(→堀田正休の系図)の子。
妻 戸田光正の娘
妻の父 戸田光正→戸田光正~光陽の系図
夫 山口弘豊→山口弘豊の系図
子 勝該〔養父:板倉勝丘〕
板倉勝丘(かつたか)/重隆(しげたか)【1707-1746】
妻 板倉重同の娘
妻の父 板倉重同→板倉重形~勝清の系図
板倉勝該(かつかぬ)【?-1747】
実は板倉重浮の子。
妻 建部政民の娘
妻の父 建部政民→建部政周~政世の系図
板倉重宗の系図
板倉重宗(しげむね)/重統(しげむね)【1586-1656】
下総国関宿藩主。長く京都所司代として活躍した。
祖父 好重→板倉頼重・好重・忠政~勝尹の系図
父 勝重→板倉勝重の系図
妻 成瀬正成の娘
妻の父 成瀬正成→成瀬正成の系図
子 鍋→本多利長~助有の系図
子 坂→太田康資~資宗の系図
孫 太田資次→太田資次~資晴の系図
子 徳→遠藤慶利の系図
子 安→内藤清成~重頼の系図
妻 戸田氏鉄の娘
妻の父 戸田氏鉄→戸田氏輝~氏鉄の系図
子 重郷・孫 重常→板倉重郷~重治の系図
子 重形・孫 重同→板倉重形~勝清の系図
子 長福→森川重俊~俊胤の系図
子 久→戸田宜光~光重の系図
子 那珂→内藤忠重~忠勝・忠知~忠温の系図
子 慶・鶴→松平輝綱・信輝の系図
子 美井(『寛政重修諸家譜』による。)→市橋長利~直方の系図
子 与津→松平康信~信利の系図
子 重宗の娘(『寛政重修諸家譜』による。)
子 重宗の娘(『華族系譜』による。)
板倉重郷~重治の系図
板倉重郷(しげさと)【1619-1661】
関宿藩主。
祖父 勝重→板倉勝重の系図
父 重宗→板倉重宗の系図
祖父 戸田氏鉄→戸田氏輝~氏鉄の系図
妻 酒井忠吉の娘
妻の父 酒井忠吉→酒井忠吉・忠経の系図
子 亀
母は『寛政重修諸家譜』による。池田綱政に嫁ぐ予定であった。
子 隼→堀田正休の系図
子の夫 内藤忠次→内藤忠重~忠勝・忠知~忠温の系図
子の夫 中山信行→中山信治~信順の系図
板倉重常(しげつね)【1643-1688】
関宿藩主・伊勢国亀山藩主。
妻 戸田氏信の娘
妻の父 戸田氏信→戸田氏信・氏西・氏広~氏昌の系図
子 市→太田資次~資晴の系図
子 石→酒井忠吉・忠経の系図
子 久→松平信之~信将の系図・堀田正朝の系図
板倉重冬(しげふゆ)【1672-1709】
亀山藩主。実は板倉重大(→板倉重大~勝該の系図)の子。
妻 松浦鎮信の娘
妻の父 松浦鎮信→松浦鎮信・棟の系図
子 勝元(かつもと)/勝賢(かつかた)【1702-1725】
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 重冬の娘
母は『寛政重修諸家譜』による。戸田忠余に嫁ぐ予定であった。
子 岩→板倉重直~勝宦の系図
子 友→板倉重形~勝清の系図
板倉重治(しげはる)【1697-1724】
亀山藩主・志摩国鳥羽藩主。母は『寛政重修諸家譜』による。
子 勝澄・孫 勝武→板倉勝澄~勝従の系図
子 清→太田資俊~資順の系図
板倉勝澄~勝従の系図
板倉勝澄(かつずみ)【1719-1769】
亀山藩主・備中国松山藩主。
祖父 重冬・父 重治→板倉重郷~重治の系図
妻 戸田忠余の娘
妻の父 戸田忠余→戸田忠昌~忠盈の系図
夫 岩城隆恭→岩城隆恭の系図
妻 根津氏
子 勝従〔養父:板倉勝武〕
母は『寛政重修諸家譜』による。
妻 渡辺氏
子 亀→前田利尚~利昭の系図
子 秀→堀直尭・直教の系図
妻 磯
子 勝行〔養父:板倉勝任〕→板倉重寛~勝行の系図
母は『華族系譜』による。
子 吉之丞
母は『華族系譜』による。
妻 埴原氏
子 勝政〔養父:板倉勝従〕→板倉勝政~勝弼の系図
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 栄太郎
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 勝峯(かつみね)【?-1791】
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 伊奈忠尊〔養父:伊奈忠敬〕→伊奈忠尊の系図
母は『寛政重修諸家譜』による。
妻 佐々木氏
子 松之丞
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 勝房
母は『寛政重修諸家譜』による。
孫 酪〔養父:戸田筑前守〕(『華族系譜』による。)
子 清→巨勢利喬の系図
子 久→菅沼定前の系図
妻 杉原氏
子 吉→本多忠栄~忠鵬の系図
子 戸田光邦〔養父:戸田種辰〕→戸田重恒~光弘の系図
板倉勝武(かつたけ)【1735-1769】
松山藩主。
妻 脇坂嘉年
脇坂安興(→脇坂安興の系図)の娘。
妻 市場氏
子 熊一郎【?-1755】
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 牧→山内豊泰の系図
子 美喜→板倉勝興・勝志の系図
板倉勝従(かつより)【1750-1778】
松山藩主。実は板倉勝澄の子。
妻 奥平昌鹿の娘
実は奥平昌純(→奥平昌能~昌敦の系図)の娘。
妻の父 奥平昌鹿→奥平昌鹿・昌男の系図
子 勝政・孫 勝晙→板倉勝政~勝弼の系図
板倉勝政~勝弼の系図
板倉勝政(かつまさ)【1759-1821】
松山藩主。実は板倉勝澄(→板倉勝澄~勝従の系図)の子。藩校有終館を整備した。
祖父 勝武・父 勝従→板倉勝澄~勝従の系図
妻 戸田氏英の娘
妻の父 戸田氏英→戸田氏英・氏教の系図
子 悦(『華族系譜』による。)
妻 進藤氏
子 鉄五郎・春五郎・専次郎・子 勝政の娘(『華族系譜』による。)
妻 飯田氏
子 勝尚〔養父:板倉勝意〕→板倉勝暁~勝殷の系図
子 能→岩城隆喜の系図
子 驥一郎・子 常(『華族系譜』による。)
妻 多世
子 逸(『華族系譜』による。)
妻 小川氏
子 美寿→柳沢時睦~徳忠の系図
子 信(『華族系譜』による。)
妻 谷村氏
子 五郎三郎
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 勝昇〔養父:板倉勝宦(→板倉重直~勝宦の系図)〕
母は『華族系譜』による。
子 道之助(『華族系譜』による。)
妻 仲
子 衛之助(『華族系譜』による。)
妻 茂代
子 勝喬(以下、『華族系譜』による。)
孫 勝弼・孫 米〔養父:板倉勝静〕
子 要(『華族系譜』による。)
妻 神浦
子 勝潔〔養父:中島勝邦〕
母は『華族系譜』による。
子 正寛〔養父:芝山正鑑(→芝山正鑑の系図)〕
妻 千代浦
子 定
母は『華族系譜』による。
子 寿之進・運八郎(『華族系譜』による。)
妻 熊
子 勝平〔養父:土肥右近〕(『華族系譜』による。)
妻 露
子 大之進(『華族系譜』による。)
妻 類牟
子 朝〔養父:芝山正寛〕(『華族系譜』による。)
子 邦〔養父:諏訪〓(「亻」+「密」)格〕(『華族系譜』による。)
板倉勝晙(かつあき)/勝慶【1784-1804】
松山藩主。母は『華族系譜』による。
妻 大村純鎮の娘
妻の父 大村純鎮→大村純保~純煕の系図
板倉勝職(かつつね)【1803-1849】(以下、『華族系譜』による。)
松山藩主。
妻 戸田氏庸の娘
妻の父 戸田氏庸→戸田氏庸の系図
夫 細川利用→細川利寛~利永の系図
妻 本多クマ〔養父:本多正意(→本多正珍~正憲の系図)〕
実は黒田直方(→黒田直方~直養の系図)の娘。
夫 鍋島直孝→鍋島直孝の系図
板倉勝静(かつきよ)【1823-1889】〔養子:板倉米〕
老中・松山藩主。実は松平定永(→松平定永~定教の系図)の子。安政の大獄では、寛大な処分を求め、寺社奉行を罷免された。戊辰戦争では、五稜郭の戦い前に自首した。
板倉勝弼(かつすけ)【1846-1896】
松山藩主。実は板倉勝喬の子。2万石削られたが藩の存続を許された。藩名を高梁藩に改めた。
妻 太田清
太田資功(→太田資言~資美の系図)の娘。
系図について
本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。
系図はおおよそ次の方針で作成しています。
- 系図に描画する人物の範囲について
上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。 - 人物の表示の区別について
系図では、次の通り背景色を区別しています。
(オレンジ)……天皇
(緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
(黄)……江戸時代の将軍・藩主
(水色)……その他男性
(ピンク)……その他女性 - 養子・猶子について
両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。 - 正室・側室等について
これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。 - 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。