このページでは、亀井氏(宇多源氏・扶義流)の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
亀井氏(石見国津和野藩主)の略系図

1 頼清→湯頼清~亀井政矩の系図
15-A 経矩→亀井経矩~茲求の系図
16 茲政→亀井茲政の系図
17 茲親→亀井茲親~茲胤の系図
21 矩貞→亀井矩貞~茲監の系図
湯頼清~亀井政矩の系図
湯頼清(よりきよ)
出雲国に住み、湯を号した。
祖父 義清・父 泰清→出雲義清の系図
湯泰信(やすのぶ)
湯公清(きんきよ)
湯義綱(よしつな)(以下、『系図纂要』による。)
湯政道(まさみち)
湯宗清(むねきよ)
湯誠勝(のぶかつ)
湯浄光(きよみつ)
湯高忠(たかただ)
湯泰重(やすしげ)
湯泰敏(やすとし)
湯惟宗(これむね)
湯永綱(ながつな)【?-1604】
妻 多胡辰敬の娘【?-1606】
子の夫 小原宗勝(『亀井家譜(石見津和野)』による。)
亀井茲矩(これのり)/真矩(さねのり)【1557-1612】
因幡国鹿野藩主。母は『寛政重修諸家譜』による。
妻 山中幸盛の娘【?-1640】
子 鬼丸
母は『寛政重修諸家譜』による。7歳で亡くなった。
妻 多胡重盛の娘【?-1666】
子の夫 松平忠清→松平忠清の系図
亀井政矩(まさのり)【1590-1619】
鹿野藩主・石見国津和野藩主。
妻 松平仙/林【?-1649】
松平康重(→松平康重の系図)の娘。
子 茲政→亀井茲政の系図
孫 茲親→亀井茲親~茲胤の系図
子 経矩・孫 茲恒→亀井経矩~茲求の系図
子 政矩の娘【1616-1700】
亀井経矩~茲求の系図
亀井経矩(つねのり)【1614-1677】(以下、『寛政重修諸家譜』による。)
祖父 茲矩・父 政矩→湯頼清~亀井政矩の系図
妻 堀田正吉の娘
妻の父 堀田正吉→堀田正吉の系図
子の夫 林忠和→林吉忠~忠勝の系図
子の夫 内田守政→内田守政の系図
孫の夫 上野景承→上野景承の系図
亀井茲恒(これつね)【1664-1729】
子の夫 高林利要→高林利要の系図
子の夫 高林利久→高林利久の系図
亀井茲堅(これかた)【1685-1729】
妻 亀井美典【?-1768】
実は広瀬将英の娘。
妻の父 亀井茲親→亀井茲親~茲胤の系図
子の夫 依田恒信→依田恒信の系図
子の夫 石谷真清→石谷真清の系図
子の夫 小出英好→小出英好の系図
亀井茲補(これます)【1714-1759】
妻 永井直丘の娘
妻の父 永井直丘→永井直丘の系図
子 五十嵐永恵〔養父:五十嵐盛邦〕→五十嵐永恵の系図
子 茲義〔養父:亀井矩致(→亀井茲政の系図)〕
亀井茲峯(これたか)【1736-1781】
子 真祺〔養父:多胡真博〕
子の夫 片桐祐賢→片桐祐賢の系図
子の夫 永井直観→永井直澄~直観の系図
子の夫 岡部亮矩→岡部亮矩の系図
亀井茲求(これもと)【1766-?】
亀井茲政の系図
亀井茲政(これまさ)【1617-1680】
津和野藩主。
祖父 茲矩・父 政矩→湯頼清~亀井政矩の系図
祖父 松平康重→松平康重の系図
妻 金森重頼の娘
妻の父 金森重頼→金森重頼の系図
子 政直(まさなお)/茲朝(これとも)【1645-1679】
母は『寛政重修諸家譜』による。
子の妻 山内千代【?-1663】
実は山内忠直(→山内忠直~豊成の系図)の娘。
子の妻の父 山内忠豊→山内忠義~豊房の系図
子の妻 酒井忠直の娘【?-1671】
実は酒井忠朝(→酒井忠朝~忠盈の系図)の娘。
子の妻の父 酒井忠直→酒井忠直の系図
子 茲次(これつぐ)【?-1682】
子 国松【?-1641】(『亀井家譜(石見津和野)』による。)
子 政相(まさすけ)【1668-1693】〔養父:加藤正忠〕
子 茲親・孫 茲満→亀井茲親~茲胤の系図
子 新八郎【?-1671】〔養父:加藤重俊〕
子 宗清【1676-1722】〔養父:要清〕
子 多胡真純(さねずみ)【1674-1701】〔養父:多胡真武、養子:亀井矩致〕
子の妻 亀井紋
亀井茲親(→亀井茲親~茲胤の系図)の娘。
子の妻の夫 松平康豊→松平康映~康福の系図
子 仙之助【?-1679】
子 矩致(のりむね)【1681-1725】〔養父:多胡真純、養子:亀井茲延(→亀井茲親~茲胤の系図)、亀井茲義(→亀井経矩~茲求の系図)〕
孫 美津→松平頼雄~頼多の系図
孫の夫 松平康豊→松平康映~康福の系図
子 薫→島津忠高の系図
子 鶴→難波宗教~宗量の系図
子 睦【1654-1710】
子 林→松平康重の系図
子 梅→森川重俊~俊胤の系図
子 薫→板倉重寛~勝行の系図
子 竹→柳生俊方~俊郎の系図
亀井茲親~茲胤の系図
亀井茲親(これちか)【1669-1731】
津和野藩主。母は『寛政重修諸家譜』による。
祖父 政矩→湯頼清~亀井政矩の系図
父 茲政→亀井茲政の系図
妻 宗睦【?-1728】
宗義真(→宗義真~義方の系図)の娘。
子 茲長(これなが)【1688-1726】
母は『寛政重修諸家譜』による。
子の妻 水野忠周の娘
子の妻の父 水野忠周→水野忠直~忠恒・忠照~忠紹の系図
子の妻の夫 土屋陳直→土屋陳直~泰直の系図
孫 茲長の娘【1716】
母は『亀井家譜(石見津和野)』による。
孫 茲延〔養父:亀井茲満、亀井矩致〕
孫 満博(みつひろ)【1722-1739】〔養父:亀井茲延〕
孫 良子〔養父:亀井茲親〕
子 菅沼定好〔養父:菅沼定辰〕→菅沼定好の系図
子 伊織【1696-1699】
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 采女【1698-1700】
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 万吉【1711-1719】
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 留宇【1690-1704】
母は『寛政重修諸家譜』による。永井直達に嫁ぐ予定であった。
子 典宇【1692-1693】
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 万【1700-1710】
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 亀【1704-1705】
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 〓【1708-1711】
〓は「糸」+「系」。母は『寛政重修諸家譜』による。
子 笳之助【?-1696】(『亀井家譜(石見津和野)』による。)
子 美典→亀井経矩~茲求の系図
子 紋→松平康映~康福の系図・亀井茲政の系図
子 良子→鳥居忠意・忠見の系図
亀井茲満(これみつ)【1713-1736】
津和野藩主。
妻 板倉美知
板倉重泰(→板倉重寛~勝行の系図)の娘。
夫 小出英持→小出英持の系図
子 松五郎【1734】(『亀井家譜(石見津和野)』による。)
子 千之助【1735-1741】
亀井茲延(これのぶ)/真昌/満高【1722-1756】〔養父:亀井矩致(→亀井茲政の系図)〕
津和野藩主。実は亀井茲長の子。
妻 有馬安/嘉代【1718-1741】
有馬則維(→有馬則維・頼徸の系図)の娘。初めは稲葉董通に嫁ぐ予定であった。
亀井茲胤(これたね)【1726-1752】
津和野藩主。実は松平頼明(→松平頼隆~頼明の系図)の子。
妻 亀井冨【?-1769】
菅沼定好(→菅沼定好の系図)の娘。
子 矩貞・孫 矩賢→亀井矩貞~茲監の系図
子 茲休〔養父:亀井矩貞〕→亀井矩貞~茲監の系図
子 利勢【1744-1750】
子 邦/美喜【1749-1750】
子 美津→松平頼雄~頼多の系図
亀井矩貞~茲監の系図
亀井矩貞(のりさだ)【1739-1814】(以下、『亀井家譜(石見津和野)』による。)
津和野藩主。実は菅沼定好(→菅沼定好の系図)の子。
祖父 茲延・父 茲胤→亀井茲親~茲胤の系図
妻 伊東八代/美恵/照【1746-1771】
伊東祐隆(→伊東祐隆~祐帰の系図)の娘。
子 茲休(これやす)【1750-1766】
実は亀井茲胤(→亀井茲親~茲胤の系図)の子。
子 茲益(これます)【1768-1802】〔養父:亀井茲義〕
子 栄之助【1775-1776】
子 茲尚〔養父:亀井矩賢〕
子 祐三郎【1789-1790】
子 豊次郎【1800】
子 茲邑/茲迪【1803-1855】〔養父:亀井茲明〕
子 清→秋月種茂~種殷の系図
子 八重【1764-1768】
子 遊喜/登代【1776-1777】
子 政【1779-1789】
亀井茲求に嫁ぐ予定であった。
子 孝【1790】
子 充・囿・位〔養父:亀井矩賢〕
亀井矩賢(のりかた)【1766-1821】
津和野藩主。藩校養老館を創設した。
妻 松平千重子/千恵【1769-1803】
松平忠啓(→松平忠雅~忠功の系図)の娘。
子 秩五郎【1797-1809】
子 京【1800】
子 吉三郎【1787】
子 運【1790-1791】
子 律→大村純保~純煕の系図
子 載→間部詮茂~詮道の系図
子 禎【1796-1852】
子 令→相良長寛~頼基の系図
子 充/叔【1815-1857】
実は亀井矩貞の娘。
子 囿→松平清良の系図
子 位→片桐貞信の系図
亀井茲尚(これなお)【1786-1830】
津和野藩主。実は亀井矩貞の子。
妻 阿部明/潔【1793-1864】
実は阿部正識(→阿部正敏~正篤の系図)の娘。
妻の父 阿部正由→阿部正敏~正篤の系図
子 阿部正身〔養父:阿部正暠〕→阿部正簡~正恒の系図
子 愛【1813-1814】
子 皆【1816-1817】
子 延→毛利高丘~高謙の系図
子 波【1823-1824】
子 茲温【1805-1826】〔養父:亀井茲清〕
子 哲五郎【1810】
子 言/恭【1807-1824】〔養父:菅沼定候〕
亀井茲方(これかた)【1817-1846】
津和野藩主。
妻 松平達【1820-?】
実は松平康任(→松平康定~康載の系図)の娘。
子 区/結【1837】
子 安【1836-1837】
亀井茲監(これみ)【1825-1885】
津和野藩主。実は有馬頼徳(→有馬頼徳~頼咸の系図)の子。
妻 松平貢【1829-1873】
実は松平頼恕(→松平頼恕~頼聡の系図)の娘。
系図について
本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。
系図はおおよそ次の方針で作成しています。
- 系図に描画する人物の範囲について
上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。 - 人物の表示の区別について
系図では、次の通り背景色を区別しています。
(オレンジ)……天皇
(緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
(黄)……江戸時代の将軍・藩主
(水色)……その他男性
(ピンク)……その他女性 - 養子・猶子について
両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。 - 正室・側室等について
これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。 - 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。