藤原氏北家・利基流の系図

系図のメモ帳
スポンサーリンク

 このページでは、藤原氏北家・利基流の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。

スポンサーリンク

藤原氏北家・利基流の略系図

藤原氏北家・利基流の略系図

1 利基藤原利基・兼輔の系図
2-A1 守正藤原守正~資国の系図
2-A2 国仲藤原国仲の系図

3 雅正藤原雅正の系図
3-A1 為長藤原為長~頼綱の系図
3-A2 義経藤原義経の系図
3-B1 為時藤原為時~盛綱の系図
3-B2 盛国藤原盛国の系図

4 為頼藤原為頼・伊祐の系図
5-A1 頼祐藤原頼祐の系図
5-A2 実範藤原実範の系図
5-A3 公輔藤原公輔の系図
5-A4 有信近藤有信の系図

6 頼成藤原頼成の系図
7 清綱藤原清綱の系図
7-A 忠清藤原忠清の系図

8 隆時藤原隆時の系図
9 清隆藤原清隆の系図
10 光隆壬生光隆の系図

スポンサーリンク

藤原利基・兼輔の系図

藤原利基・兼輔の系図

  藤原利基(としもと)

祖父 冬嗣藤原冬嗣の系図
 良門藤原良門の系図

 当麻松盛の娘
 兼茂
 参議。


  藤原兼輔(かねすけ)【877-933】
 中納言。三十六歌仙の一人で、紀貫之や凡河内躬恒らを庇護した。『百人一首』に歌が収められている。

 藤原定方の娘
妻の父 藤原定方藤原定方の系図

 雅正藤原雅正の系図
 為頼藤原為頼・伊祐の系図
 為長藤原為長~頼綱の系図
 為時藤原為時~盛綱の系図

 清正(きよただ)【?-958】
 三十六歌仙の一人。
孫の夫 源守清有明親王・源守清の系図
曾孫 高雅源高雅の系図

曾孫 光遠
 父は藤原清正とも。

 守正 善理藤原守正~資国の系図
 庶正【?-947】
子の妻 藤原定方の娘
子の妻の父 藤原定方藤原定方の系図

 柔子醍醐天皇・朱雀天皇の系図

藤原守正~資国の系図

藤原守正~資国の系図

  藤原守正

祖父 利基 兼輔藤原利基・兼輔の系図

 明豪【?-1002】


  藤原善理/義理
 遠理
子の妻 橘敏通の娘
子の妻の父 橘敏通→橘敏通の系図

 為資【978-1065】
 章俊
 実は藤原邦光(→藤原邦昌の系図)の子。
 永相〔養父:藤原資国〕


  藤原資国
 義貞/義資〔養父:為方〕
 永相
 実は藤原為資の子。
子の妻 大江公資の娘
子の妻の父 大江公資大江千古~成衡の系図

孫の夫 藤原忠清藤原忠清の系図

 国仲藤原国仲の系図

藤原国仲の系図

藤原国仲の系図

  藤原国仲
 実は平以康(→平以康の系図)の子。

祖父 善理 資国藤原守正~資国の系図

 盛重→藤原盛重の系図
子の夫 藤原基頼藤原基頼・通基の系図

 資政/昌季

スポンサーリンク

藤原雅正の系図

藤原雅正の系図

  藤原雅正

祖父 利基 兼輔藤原利基・兼輔の系図

 藤原定方の娘
妻の父 藤原定方藤原定方の系図
 為頼 伊祐藤原為頼・伊祐の系図
 為長 頼経藤原為長~頼綱の系図
 為時 惟規藤原為時~盛綱の系図

子の夫 藤原理兼藤原定方の系図
子の夫 平維将平維将~時直の系図

藤原為長~頼綱の系図

藤原為長~頼綱の系図

  藤原為長

祖父 兼輔藤原利基・兼輔の系図
 雅正藤原雅正の系図
祖父 藤原定方藤原定方の系図

 源忠幹の娘
妻の父 源忠幹是貞親王・源旧鑑・是恒・貞恒・是茂・香泉・友貞の系図

孫の夫 藤原朝元藤原朝元の系図
曾孫 定成藤原定成の系図


  藤原頼経
 藤原済家の娘
妻の父 藤原済家藤原清通の系図

孫の夫 源邦家源経相~範基の系図
孫の夫 源広綱源広綱の系図


  藤原頼綱〔養父:藤原頼業(→藤原方正・方隆の系図)〕
 父は藤原頼経とも。
 義経藤原義経の系図

藤原義経の系図

藤原義経の系図

  藤原義経
 父は善積忠隆(→善積忠隆・斉頼の系図)とも。

祖父 泰経 頼綱藤原為長~頼綱の系図

 義保
 乃津冠者と号した。
 仲頼
子の妻 源雅行の娘
子の妻の父 源雅行源顕行・行賢の系図

曾孫 行頼
 父は仲経とも。
曾孫の夫 源有教源師時の系図

 頼尋
 父は藤原仲頼とも。
仲正孫 頼猷
 父は頼乗とも。

藤原為時~盛綱の系図

藤原為時~盛綱の系図

  藤原為時(ためとき)
 漢詩人として名を馳せたが、官途には恵まれなかった。

祖父 兼輔藤原利基・兼輔の系図
 雅正藤原雅正の系図
祖父 藤原定方藤原定方の系図

 藤原為信の娘
妻の父 藤原為信藤原文範の系図
 紫式部藤原宣孝の系図

孫の夫 藤原元範藤原文範の系図


  藤原惟規(のぶのり)【?-1011】
 藤原貞仲の娘
妻の父 藤原貞仲藤原為忠の系図


  藤原貞職/経名
 平貞衡の娘
妻の父 平貞衡→平貞衡の系図

 長田致経の娘
妻の父 長田致経長田致頼~重広の系図

子の夫 藤原隆時藤原隆時の系図
 清隆藤原清隆の系図


  藤原盛綱
 源頼国の娘
妻の父 源頼国源頼国の系図
 盛国藤原盛国の系図

子の夫 藤原隆重藤原清綱の系図

藤原盛国の系図

藤原盛国の系図

  藤原盛国
 母は頼盛の娘とも。

祖父 貞職 盛綱藤原為時~盛綱の系図
祖父 源頼国源頼国の系図

 藤原公長の娘
妻の父 藤原公長藤原俊忠の系図
 邦綱(くにつな)【1122-1181】〔養子:藤原隆綱(→藤原清隆の系図)〕
 権大納言。藤原忠通の信頼を得て昇進を重ねた。後に平氏との結びつきを強めた。五条大納言と号した。

子の妻 増仁の娘
子の妻の父 増仁藤原隆佐の系図

子の妻 徳大寺公能の娘
子の妻の父 徳大寺公能徳大寺公能の系図
 清邦(きよくに)〔養父:平清盛(→平清盛の系図)〕
 基能/基行/邦門【1180-1221】〔養父:持明院基家(→持明院基家の系図)〕
 従三位。
曾孫 基邦/基国
曾孫の夫 藤原実世姉小路公宣~実広の系図

子の妻 藤原公俊の娘
子の妻の父 藤原公俊藤原公輔の系図
 成子藤原顕頼の系図
 邦子(くにこ)
 六条天皇・高倉天皇の乳母。別当三位と号した。
 輔子平清盛の系図

 泰季
 実は高階仲親の子。
曾孫 資兼〔養父:藤原資重(→藤原資仲~資重の系図)〕→藤原資兼の系図

 綱子
 建礼門院の乳母。
孫の夫 藤原宗隆藤原孝清~実隆の系図
孫の夫 小笠原長清小笠原長清の系図
曾孫 長経小笠原長経の系図
曾孫 伴野時長伴野時長の系図
曾孫 藤崎行長藤崎行長の系図

スポンサーリンク

藤原為頼・伊祐の系図

藤原為頼・伊祐の系図

  藤原為頼(ためより)【?-998】
 歌人。歌集は『為頼集』。

祖父 兼輔藤原利基・兼輔の系図
 雅正藤原雅正の系図
祖父 藤原定方藤原定方の系図


  藤原伊祐/伊輔
 佐伯公行の娘
 頼祐藤原頼祐の系図
 実範藤原実範の系図
 公輔藤原公輔の系図
 近藤有信近藤有信の系図

 頼成藤原頼成の系図
 清綱藤原清綱の系図

藤原頼祐の系図

藤原頼祐の系図

  藤原頼祐/頼輔

祖父 為頼 伊祐藤原為頼・伊祐の系図

 令宗利業の娘
 実範藤原実範の系図

 公輔藤原公輔の系図
 近藤有信近藤有信の系図
子の夫 平行親平行義の系図

藤原実範の系図

藤原実範の系図

  藤原実範

祖父 伊祐藤原為頼・伊祐の系図
 頼祐藤原頼祐の系図

 橘義通の娘
妻の父 橘義通→橘義通の系図

孫の夫 源顕房源顕房の系図
曾孫 信雅源信雅・雅仲の系図

孫の夫 藤原国資藤原有俊の系図

 行綱〔養子:藤原行盛(→藤原行家の系図)〕

藤原公輔の系図

藤原公輔の系図

  藤原公輔

祖父 伊祐藤原為頼・伊祐の系図
 頼祐藤原頼祐の系図

 公俊
 父は藤原公長、藤原公任とも。
曾孫の夫 藤原隆親藤原清隆の系図
曾孫の夫 藤原邦綱藤原盛国の系図

 周光
 父は藤原敦基(→藤原敦基の系図)とも。

近藤有信の系図

近藤有信の系図

  近藤有信

祖父 伊祐藤原為頼・伊祐の系図
 頼祐藤原頼祐の系図

光重孫 光広【?-1311】
光広の子の夫 五辻俊雅五辻雅継の系図
光広の子の夫 藤原師村→藤原師村の系図

光重孫 広直【?-1331】
光重孫 広成【?-1326】

光重孫 有高【?-1338】
光重孫 清高【?-1336】

スポンサーリンク

藤原頼成の系図

藤原頼成の系図

  藤原頼成
 実は具平親王(→具平親王の系図)の子。

祖父 為頼 伊祐藤原為頼・伊祐の系図

 藤原惟憲の娘
妻の父 藤原惟憲藤原惟憲の系図
 泰綱
 父は藤原惟経(→藤原泰通の系図)とも。

泰綱孫 定季〔養父:源季長〕
泰綱孫 雅清
 父は藤原敦親とも。
泰綱孫 俊定
 父は藤原基定(→藤原資憲~快成の系図)とも。

 清綱藤原清綱の系図
 隆時藤原隆時の系図
 忠清藤原忠清の系図

 実俊
孫の妻 中原師平の娘
孫の妻の父 中原師平→中原師平の系図
曾孫 成俊〔養父:源顕房(→源顕房の系図)〕

 惟子源顕房の系図
曾孫 源雅兼源雅兼の系図

孫の夫 藤原仲実藤原仲実の系図
孫の夫 藤原定兼藤原兼隆の系図
孫の夫 藤原家実藤原隆方の系図

 祇子藤原頼通の系図
 藤原師実藤原師実の系図

スポンサーリンク

藤原清綱の系図

藤原清綱の系図

  藤原清綱

祖父 伊祐藤原為頼・伊祐の系図
 頼成藤原頼成の系図
祖父 藤原惟憲藤原惟憲の系図

 平貞盛の娘
 隆時藤原隆時の系図
 清隆藤原清隆の系図

 高階為行の娘
 隆能藤原清隆の系図
 父は藤原清隆とも。
 忠清藤原忠清の系図
 隆重
子の妻 藤原盛綱の娘
子の妻の父 藤原盛綱藤原為時~盛綱の系図
 忠重〔養父:平忠盛〕→平正盛・忠盛の系図

子の妻 源家宗の娘
子の妻の父 源家宗→源家宗の系図
 清重〔養子:宇野基親(→宇野基親の系図)〕

 基重→源基重の系図
 実は源親弘の子。
孫の夫 藤原通憲藤原実兼・通憲の系図

 清仁
 父は藤原隆時(→藤原隆時の系図)とも。
子の夫 難波忠教難波忠教の系図

 尊澄/尊隆
 父は清仁、藤原隆重とも。

藤原忠清の系図

藤原忠清の系図

  藤原忠清【1068-?】

祖父 頼成藤原頼成の系図
 清綱藤原清綱の系図

 藤原永相の娘
妻の父 藤原永相藤原守正~資国の系図

孫の夫 源師行源師時の系図

 行俊
子の妻 橘清信の娘
子の妻の父 橘清信→橘清信の系図

子の夫 源為義源為義の系図
 義朝源義朝の系図

スポンサーリンク

藤原隆時の系図

藤原隆時の系図

  藤原隆時(たかとき)
 白河院の近臣。

祖父 頼成藤原頼成の系図
 清綱藤原清綱の系図

 藤原貞職の娘
妻の父 藤原貞職藤原為時~盛綱の系図
 清隆藤原清隆の系図
 壬生光隆壬生光隆の系図

孫の夫 源顕兼源雅綱の系図

スポンサーリンク

藤原清隆の系図

藤原清隆の系図

  藤原清隆【1091-1162】
 権中納言。

祖父 清綱藤原清綱の系図
 隆時藤原隆時の系図
祖父 藤原貞職藤原為時~盛綱の系図

 高階為行の娘
 隆能
 父は藤原清綱(→藤原清綱の系図)とも。
 隆親/隆成
孫の妻 藤原公俊の娘
孫の妻の父 藤原公俊藤原公輔の系図

 平正盛の娘
妻の父 平正盛平正盛・忠盛の系図

 隆綱〔養父:藤原邦綱(→藤原盛国の系図)〕

 藤原家子
 藤原家政(→藤原家政の系図)の娘。近衛天皇の乳母。
 壬生光隆壬生光隆の系図
 清成
子の妻 藤原顕憲の娘
子の妻の父 藤原顕憲藤原顕憲の系図

 覚隆〔養父:藤原清隆〕
 父は壬生光隆とも。

 頼季【?-1186】
 従三位。
子の妻 藤原親弘の娘
子の妻の父 藤原親弘藤原親賢の系図

 定隆【1134-1170】
 従三位。
子の妻 源盛邦の娘
 俊隆/時綱
 隆子大炊御門頼実の系図

孫の夫 藤原親雅藤原親雅の系図
曾孫 親房藤原親房の系図

 通成〔養父:大炊御門経宗(→大炊御門経宗の系図)〕

 小因幡
 待賢門院の女房。
 時房〔養父:徳大寺公能(→徳大寺公能の系図)〕

 藤原顕憲の娘
妻の父 藤原顕憲藤原顕憲の系図

 藤原顕隆の娘
妻の父 藤原顕隆藤原顕隆の系図
 藤原朝隆藤原朝隆の系図
子の夫 平範家平実親・範家の系図
 行範棟範平行範・棟範の系図

 覚隆
 実は藤原清成、壬生光隆(→壬生光隆の系図)の子。
 隆雅
 実は藤原顕憲(→藤原顕憲の系図)の子。
孫の夫 藤原親綱藤原親綱~師平の系図

子の夫 三条公教三条公教の系図
 実房三条実房の系図

子の夫 藤原長輔藤原長輔の系図
子の夫 大炊御門経宗大炊御門経宗の系図
 頼実大炊御門頼実の系図

子の夫 藤原重方藤原顕能の系図
子の夫 難波忠基難波忠基の系図

スポンサーリンク

壬生光隆の系図

壬生光隆の系図

  壬生光隆(みつたか)【1127-1201】
 権中納言。平治の乱では、藤原信頼に加担して解官された。

祖父 隆時藤原隆時の系図
 清隆藤原清隆の系図
祖父 藤原家政藤原家政の系図

 藤原信通の娘
妻の父 藤原信通藤原信通・季通の系図
 雅隆(まさたか)【1147-1224】
 正三位。
 長隆
 父は壬生光隆とも。
孫の夫 松殿忠房松殿忠房の系図

曾孫 雅綱/茂清

 家隆(いえたか)【1158-1237】
 従二位。母は藤原実兼の娘とも。歌人として『新古今和歌集』の撰者の一人になった。『百人一首』にも歌が収められている。
子の妻 藤原雅隆の娘
 隆祐(たかすけ)
 歌人として活躍した。

 土御門院小宰相(つちみかどいんのこざいしょう)
 歌人。土御門天皇や承明門院に仕えた。

子の夫 山科実教山科実教の系図
子の夫 平範国平親宗・範国の系図
 有親平惟忠・平有親の系図

スポンサーリンク

系図について

 本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
 あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。

 系図はおおよそ次の方針で作成しています。

  • 系図に描画する人物の範囲について
     上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
     下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。
  • 人物の表示の区別について
     系図では、次の通り背景色を区別しています。
     (オレンジ)……天皇
     (緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
     (黄)……江戸時代の将軍・藩主
     (水色)……その他男性
     (ピンク)……その他女性
  • 養子・猶子について
     両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
     養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
     一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
     なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。
  • 正室・側室等について
     これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。
  • 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
     『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。
タイトルとURLをコピーしました