このページでは、西洞院家(桓武平氏・高棟流)の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
西洞院家(半家)の略系図

1 行時→西洞院行時~時慶の系図
10 時直→西洞院時直~時光の系図
15 範篤→西洞院範篤~信愛の系図
西洞院行時~時慶の系図
西洞院行時(ゆきとき)【1324-1369】
参議。西洞院家の祖。
祖父 仲高・父 行高→平時高~行高の系図
子 親長
従三位。
西洞院時兼【?-1468】
従二位。
西洞院時顕/時定【1434-1493】
参議。
西洞院時長【1491-?】
参議。
西洞院時当/時秀【1531-1566】
従三位。
妻 中川重清の娘
妻の父 中川重清→中川重清~久盛の系図
西洞院時慶(ときよし)/公緒/公虎/時通【1552-1639】〔養父:飛鳥井雅春(→飛鳥井雅綱~雅敦の系図)、一条季富(→一条実村~河鰭基秀の系図)〕(以下、『系図纂要』による。)
参議。実は覚澄(→飛鳥井雅綱~雅敦の系図)の子。当初、飛鳥井雅春の猶子となって河鰭家を継いだ後、西洞院家を継いだ。歌人としても活躍した。日記は『時慶卿記』。
子 時直・孫 時良→西洞院時直~時光の系図
子 平松時庸・孫 時量→平松時庸~時春の系図
子 長谷忠康・孫 時茂→長谷忠康~信成の系図
子 交野時貞・孫 時久→交野時貞~時万の系図
子 河鰭基秀→一条実村~河鰭基秀の系図
子 時子→後陽成天皇の系図
子 石井行子〔養子:石井行豊(→石井行豊~行忠の系図)〕
東福門院に仕えた。後水尾法皇・東福門院により、一家創立を許され、養子にとった行豊が石井家を創立した。
子 万〔養父:南部信濃守〕
子の夫 姉小路公景→姉小路公景~実武の系図
孫 風早実種→風早実種~公紀の系図
西洞院時直~時光の系図
西洞院時直/時康【1584-1636】
参議。
祖父 時当・父 時慶→西洞院行時~時慶の系図
妻 川勝秀氏の娘
妻の父 川勝秀氏→川勝秀氏の系図
子の夫 一条昭良→一条冬良~昭良の系図
孫 教輔→一条教輔~道香の系図
子の夫 本多政重→本多正信~正勝・政重・忠純~犬千代の系図
子の夫 藤堂嘉正→藤堂嘉正~良英の系図
子の夫 千秋武季→千秋武季の系図
西洞院時良【1609-1653】
従三位。
子 交野時久〔養父:交野時貞〕→交野時貞~時万の系図
子 多奈井小路局→霊元天皇の系図
子 時良の娘(『西洞院家譜』による。)
西洞院時成【1645-1724】
権大納言。『西洞院家譜』が掲げる子には、西洞院時良の子が混在している。
子 時光〔養父:西洞院時国〕
子 長谷範量〔養父:長谷忠能〕→長谷忠康~信成の系図
子 範篤〔養父:西洞院時光〕→西洞院範篤~信愛の系図
子 長谷範昌→長谷忠康~信成の系図
子 葛野勝成(『西洞院家譜』による。)
子の夫 倉橋泰章→倉橋泰章の系図
子の夫 櫛笥隆賀→櫛笥隆胤~隆周の系図
孫 八条隆英→八条隆英~隆声の系図
子の夫 松平勝以→松平勝以~勝慈の系図
子の夫 千秋季寿→千秋季寿の系図
西洞院時国【1671-1684】
『西洞院家譜』が掲げる子には、西洞院時成の子が混在している。
子 時国の娘(『西洞院家譜』による。)
西洞院時光【1674-1709】
従三位。実は西洞院時成の子。『西洞院家譜』が掲げる子には、西洞院時成の子が混在している。
子 範篤・孫 時名→西洞院範篤~信愛の系図
子 了珠・子 幾(『西洞院家譜』による。)
子 長谷範量(『西洞院家譜』による。)→長谷忠康~信成の系図
子 時光の娘(『西洞院家譜』による。)
実は長谷忠能(→長谷忠康~信成の系図)の娘。
子 時光の息子(2人)・子 時光の娘(『西洞院家譜』による。)
子の夫 和田貞信(『西洞院家譜』による。)
子の夫 八条隆英(『西洞院家譜』による。)→八条隆英~隆声の系図
西洞院範篤~信愛の系図
西洞院範篤【1704-1738】〔養父:長谷範量(→長谷忠康~信成の系図)〕
正三位。実は西洞院時成(→西洞院時直~時光の系図)の子。
祖父 時国・父 時光→西洞院時直~時光の系図
妻 桜井兼供の娘
妻の父 桜井兼供→桜井兼里・兼供の系図
子 万知→高倉永重~永秀の系図
孫 高倉永範→高倉永範~永祜の系図
子 寿子・範子・範篤の娘(2人)(『西洞院家譜』による。)
子の夫 桜井氏福→桜井氏敦・氏福の系図
孫 供敦→桜井供敦~供愛の系図
西洞院時名(ときな)【1730-1778】
宝暦事件に坐し、永蟄居となった。『西洞院家譜』が掲げる子には、西洞院範篤の子が混在している。
妻 安藤次由の娘
妻の父 安藤次由→安藤次由~次猷の系図
子 信庸〔養父:西洞院時義〕
子 長谷信昌→長谷忠康~信成の系図
子 時種・子 長子・篤子(『西洞院家譜』による。)
子の夫 桜井氏福→桜井氏敦・氏福の系図
子の夫 足利義根→足利義稙の系図
西洞院時義【1756-1767】
『西洞院家譜』が掲げる子には、西洞院時名の子が混在している。
子 茂丸・乙丸・子 庸子(『西洞院家譜』による。)
父は西洞院時名か。
西洞院信庸【1758-1800】
参議。実は西洞院時名の子。
妻 久我信通の娘
妻の父 久我信通→久我信通~通久の系図
子 八千→櫛笥隆望~隆韶の系図
子 寿→石井行文~行知の系図
子 三代→倉橋泰行の系図
子 迹子〔養父:西洞院信順、倉橋泰行(→倉橋泰行の系図)〕→油小路隆基~隆董の系図
西洞院信順【1787-1821】
従三位。
子 迹子→油小路隆基~隆董の系図
西洞院信堅【1804-1891】
権中納言。
子 美子→唐橋在家~在光の系図
子 千賀・寿賀・綱(『西洞院家譜』による。)
西洞院信愛(のぶなる)【1846-1904】
母は『西洞院家譜』による。
妻 石井張子
石井行弘(→石井行文~行知の系図)の娘。
系図について
本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。
系図はおおよそ次の方針で作成しています。
- 系図に描画する人物の範囲について
上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。 - 人物の表示の区別について
系図では、次の通り背景色を区別しています。
(オレンジ)……天皇
(緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
(黄)……江戸時代の将軍・藩主
(水色)……その他男性
(ピンク)……その他女性 - 養子・猶子について
両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。 - 正室・側室等について
これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。 - 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。