このページでは、毛利氏(大江氏)・元清流の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
毛利氏・元清流(長門国長府藩主)の略系図
1 元清→毛利元清・秀元の系図
2-A 光広→毛利光広~元矩の系図
3 元知→毛利元知~師就の系図
6 匡敬→毛利吉元~重就の系図
7 匡満→毛利匡満・匡芳の系図
9 元義→毛利元義~元敏の系図
毛利元清・秀元の系図
毛利元清(もときよ)【1551-1597】
祖父 幸松丸→毛利豊元~幸松丸の系図
父 元就→毛利元就の系図
妻 村上通康の娘
妻の父 村上通康→村上通康~来島長親の系図
子の夫 熊谷直貞→熊谷直貞の系図
子の夫 毛利元信→毛利元就の系図
子の夫 宍戸広匡→宍戸広匡の系図
毛利秀元(ひでもと)【1579-1650】〔養父:毛利輝元(→毛利隆元・輝元の系図)〕
長門国長府藩主。朝鮮出兵に出陣した。茶人としても活躍した。
妻 豊臣秀吉の娘【1588-1609】
実は豊臣秀長(→豊臣秀長の系図)の娘。
妻の父 豊臣秀吉→豊臣秀吉の系図
妻 徳川家康の娘【?-1653】〔養父:徳川秀忠(→徳川秀忠の系図)〕
実は松平康元(→松平康元の系図)の娘。
妻の父 徳川家康→徳川家康の系図
夫 中村忠一→中村忠一の系図
子 宮松丸【?-1612】
妻 小上臈【?-1675】
妻 織田シユク【1590-1682】
子 光広・孫 綱元→毛利光広~元矩の系図
子 万菊→稲葉正則の系図
孫 稲葉正往→稲葉正往~正恒の系図
孫 稲葉正倚・正辰・正直→稲葉正倚・正辰~正芳・正直・通周~通義の系図
孫 稲葉正員→稲葉正員~正善の系図
妻 滝ヤヤ【1595-1677】
子 千菊→山崎家盛~義方・俊家・治頼の系図
妻 長沼カヤ【1615-1685】
子 元知・孫 匡広→毛利元知~師就の系図
妻 フキ【1609-1694】
子 ミヤ【?-1619】
子 竹千代→土井利長~利信の系図
妻 ヤス【?-1643】
子 松菊→毛利就隆・元賢の系図
子 長菊→永井尚征の系図
子 イマ【?-1622】
子 ツマ【?-1635】
毛利光広~元矩の系図
毛利光広(みつひろ)【1616-1653】
長府藩主。
祖父 元清・父 秀元→毛利元清・秀元の系図
妻 本多忠義の娘【1627-1674】
妻の父 本多忠義→本多忠義・忠以の系図
子 熊→南部行信の系図
子 勝→稲葉正倚・正辰~正芳・正直・通周~通義の系図
毛利綱元(つなもと)【1650-1709】
長府藩主。叔父の元知に1万石を分与した。
妻 池田光政の娘【1657-1686】
妻の父 池田光政→池田光政の系図
子 本多忠次〔養父:本多忠利〕→本多忠利~忠慎の系図
子 匡以(まさより)【1683-1703】
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 元→森長成の系図・南部信恩・利幹の系図
妻 貞性院
子 元矩〔養父:毛利元朝〕
母は『毛利家譜(長門豊浦)』による。
子 清【1709-1710】
母は『毛利家譜(長門豊浦)』による。
毛利吉元→毛利吉元~重就の系図
宗家の萩藩を継いだ。
毛利元朝(もとあさ)【1703-1721】
長府藩主。
毛利元矩(もとのり)【1704-1718】
長府藩主。実は毛利綱元の子。若くして亡くなり、長府藩は一旦断絶した。
毛利元知~師就の系図
毛利元知(もととも)【1631-1683】
長門国清末藩主。
祖父 元清・父 秀元→毛利元清・秀元の系図
妻 青木利長の娘
実は七沢清宗の娘。
妻の父 青木利長→青木利長~増山正任・正元~正富の系図
子 元武(もとたけ)【1658-1677】
母は『寛政重修諸家譜』による。
妻 船越氏
子 稲葉正方〔養父:稲葉正員〕→稲葉正員~正善の系図
子 少輔之助【1682-1687】
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 元知の娘(『華族系譜』による。)
毛利匡広(まさひろ)/元平(もとひら)【1675-1729】
清末藩主・長府藩主。母は『寛政重修諸家譜』による。長府藩を再興したため、清末藩は一度断絶した。
妻 毛利綱広の娘【1683-1701】
妻の父 毛利綱広→毛利秀就~吉広の系図
子の夫 有馬一準→有馬清純~孝純の系図
妻 多喜氏
子 吉太郎・豊熊・権三郎・岩千代・万之助・子 匡広の娘(3人)(『寛政重修諸家譜』による。)
妻 下村氏
子 匡広の娘(『寛政重修諸家譜』による。)
増山正武に嫁ぐ予定であった。
子 匡広の娘(『寛政重修諸家譜』による。)
妻 飯田氏
子 政苗・孫 匡邦→毛利政苗~元純の系図
子 広胖(ひろやす)/匡逵(まさみち)【?-1769】〔養父:毛利広信〕
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 稲葉隼人〔養父:稲葉正方〕→稲葉正員~正善の系図
子 匡敬/重就〔養父:毛利宗広、毛利師就〕→毛利吉元~重就の系図
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 増山正贇〔養父:増山正武〕→増山正武・正贇の系図
子 匡広の娘【?-1727】
母は『寛政重修諸家譜』による。
子の夫 松平定蔵→松平定蔵の系図
毛利師就(もろなり)/親就【1706-1735】
長府藩主。弟の政苗に1万石を分与した。
妻 毛利吉元の娘【1715-1757】
妻の父 毛利吉元→毛利吉元~重就の系図
妻 林氏
子 教逵(のりみち)【1727-1744】
母は『毛利家譜(長門豊浦)』による。
子 匡敬→毛利吉元~重就の系図
孫 匡満→毛利匡満・匡芳の系図
毛利匡敬の系図
毛利匡敬/重就→毛利吉元~重就の系図
長府藩主。後に宗家の萩藩を継いだ。
毛利匡満・匡芳の系図
毛利匡満(まさみつ)【1748-1769】
長府藩主。
祖父 師就→毛利元知~師就の系図
父 匡敬→毛利吉元~重就の系図
妻 溝口直温の娘【?-1769】
妻の父 溝口直温→溝口直温の系図
毛利匡芳(まさよし)/匡豊(まさとよ)【1761-1792】
長府藩主。実は毛利匡敬(→毛利吉元~重就の系図)の子。城主格を認められた。藩校敬業館を創設した。
妻 西園寺賞季の娘【1761-1790】
妻の父 西園寺賞季→西園寺公晃~公望の系図
子 元義・孫 元運→毛利元義~元敏の系図
子 万喜【1781-1796】
有馬頼端に嫁ぐ予定であった。
妻 西園寺賞季の娘【?-1836】
妻 吉浦
子 数【1792-1793】(『毛利家譜(長門豊浦)』による。)
毛利元義~元敏の系図
毛利元義(もとよし)/元敬(もとたか)【1785-1843】(以下、『毛利家譜(長門豊浦)』による。)〔養子:毛利匡邦の娘(→毛利政苗~元純の系図)〕
長府藩主。
祖父 匡満・父 匡芳→毛利匡満・匡芳の系図
妻 細川利庸の娘【1789-1815】
妻の父 細川利庸→細川利寛~利永の系図
子 元義の娘【1815】
妻 仙閨院
子 元寛【1803-1827】
子の妻 溝口直候の娘【1802-1825】
子の妻の父 溝口直候→溝口直候の系図
孫 文【1823-1840】
子の妻 勝浦
孫 鋭之助【1826-1827】
孫 元周〔養父:毛利元運〕
妻 岩子
子 孝【1808-1813】
妻 益子
子 直吉【1810-1811】
妻 林香院
子 熊之助【1820】
子 芳之助【1823-1825】
子 時之進【1825-1826】
子 徹五郎【1827-1828】
子 穠【1814】
子 照/亮【1816-1856】
子 親→脇坂安宅の系図
妻 水野氏
子 清丸【1827-1828】
子 織之助【1830-1832】
子 牛之助【1830-1833】
子 元承〔養父:毛利元世〕→毛利政苗~元純の系図
妻 浅子
子 祥【1833-1839】
毛利元運(もとゆき)【1817-1852】
長府藩主。
妻 土屋欽
土屋彦直(→土屋英直~挙直の系図)の娘。
子 国丸【1836-1837】
子 石之丞【1840】
子 富吉【1841-1842】
子 銑松【1847-1848】
子 元敏〔養父:毛利元周〕
子 元功〔養父:毛利元蕃(→毛利広寛~元蕃の系図)〕
子 銀→毛利治親~元徳の系図
妻 喜久子
子 長之進【1849-1851】
子 峯之助【1838-1839】
子 捨/鏻【1840-?】
毛利元周(もとちか)【1827-1868】
長府藩主。実は毛利元寛の子。
妻 加藤泰幹の娘【?-1870】
妻の父 加藤泰幹→加藤泰幹の系図
毛利元敏(もととし)【1849-1908】
長府藩主。実は毛利元運の子。藩名を豊浦藩に改めた。
妻 毛利保
実は正親町三条実愛(→正親町三条公積~公平の系図)の娘。
妻の父 毛利敬親→毛利治親~元徳の系図
系図について
本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。
系図はおおよそ次の方針で作成しています。
- 系図に描画する人物の範囲について
上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。 - 人物の表示の区別について
系図では、次の通り背景色を区別しています。
(オレンジ)……天皇
(緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
(黄)……江戸時代の将軍・藩主
(水色)……その他男性
(ピンク)……その他女性 - 養子・猶子について
両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。 - 正室・側室等について
これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。 - 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。