このページでは、葉室家(藤原氏北家・高藤流)の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
藤原顕隆の系図
藤原顕隆(あきたか)【1072-1129】
権中納言。葉室家の祖。白河院の近臣として活躍し、「よるの関白」と称された。
祖父 隆方→藤原隆方の系図
父 為房→藤原為房の系図
祖父 源頼国→源頼国の系図
妻 藤原悦子(えつし)【?-1115】
藤原季綱(→藤原季綱の系図)の娘。鳥羽天皇の乳母。
子 顕頼→藤原顕頼の系図
孫 光頼→藤原光頼~葉室資頼の系図
孫 惟方→藤原惟方の系図
子 顕能→藤原顕能の系図
妻 源顕房の娘
妻の父 源顕房→源顕房の系図
子 顕長→藤原顕長の系図
孫 長方→藤原長方の系図
子 栄子→藤原基隆の系図
子の夫 藤原家政→藤原家政の系図
孫 雅教→藤原雅教・雅長の系図
子の夫 藤原俊忠→藤原俊忠の系図
子の夫 徳大寺実能→徳大寺実能の系図
孫 公能→徳大寺公能の系図
子の夫 藤原清隆→藤原清隆の系図
子の夫 藤原憲方→藤原憲方の系図
子の夫 徳大寺実定→徳大寺実定・公継の系図
藤原顕能の系図
藤原顕能【1107-1139】
祖父 為房→藤原為房の系図
父 顕隆→藤原顕隆の系図
祖父 藤原季綱→藤原季綱の系図
妻 源師頼の娘
妻の父 源師頼→源師頼の系図
子 顕任
7歳で亡くなった。
子 顕方/隆憲〔養父:藤原重隆(→藤原為房の系図)、藤原顕長(→藤原顕長の系図)〕
孫 顕朝〔養父:藤原顕長(→藤原顕長の系図)〕
孫 有定〔養父:藤原成頼〕→藤原顕頼の系図
子の夫 藤原雅教→藤原雅教・雅長の系図
妻 源遠仲の娘
妻の父 源遠仲→源奉職・政職の系図
子 重方【1123-?】〔養子:藤原惟頼〕
子の妻 藤原清隆の娘
子の妻の父 藤原清隆→藤原清隆の系図
孫 重頼
孫の妻 馬場頼政の娘
孫の妻の父 馬場頼政→馬場頼政の系図
曾孫 重光〔養父:藤原光雅(→藤原光雅の系図)〕
子の妻 藤原顕頼の娘
子の妻の父 藤原顕頼→藤原顕頼の系図
孫の夫 藤原光雅→藤原光雅の系図
曾孫 光時〔養父:藤原光親(→藤原光親の系図)〕
光時孫 光方
父は藤原光時とも。
曾孫の夫 藤原顕俊→藤原顕俊の系図
曾孫 定俊〔養父:藤原顕俊(→藤原顕俊の系図)〕
父は藤原忠方、藤原能頼とも。
定俊孫 成俊→平成俊の系図
実は平棟基の子。
曾孫の夫 平棟基→平棟基の系図
子 頼佐/説方
子の妻 藤原基明の娘
子の妻の父 藤原基明→藤原俊家の系図
孫 惟頼〔養父:藤原重方〕
曾孫の夫 源有長→源有長の系図
妻 藤原為隆の娘
妻の父 藤原為隆→藤原為隆の系図
子 顕真(けんしん)【1131-1192】
天台座主。法然と大原問答を行った。
妻 源能俊の娘
妻の父 源能俊→源俊明の系図
子 観性(かんしょう)
三鈷寺を再興した。
子 行昭/行助
藤原顕長の系図
藤原顕長(あきなが)/頼教/顕教【1118-1167】〔養子:藤原顕方・藤原顕朝(→藤原顕能の系図)〕
権中納言。八条中納言と号した。
祖父 為房→藤原為房の系図
父 顕隆→藤原顕隆の系図
祖父 源顕房→源顕房の系図
妻 藤原俊子
藤原俊忠(→藤原俊忠の系図)の娘。
子 長方→藤原長方の系図
妻 藤原顕頼の娘
妻の父 藤原顕頼→藤原顕頼の系図
子の夫 徳大寺実定→徳大寺実定・公継の系図
子の夫 藤原雅長→藤原雅教・雅長の系図
藤原長方の系図
藤原長方(ながかた)/憲頼【1139-1191】
権中納言。能吏として活躍した。おもねることなく平氏政権を批判したとされる。
祖父 顕隆→藤原顕隆の系図
父 顕長→藤原顕長の系図
祖父 藤原俊忠→藤原俊忠の系図
妻 藤原通憲の娘
妻の父 藤原通憲→藤原実兼・通憲の系図
子 宗隆→藤原宗隆の系図
子 長兼/頼房〔養子:長恵(→澄憲の系図)〕
権中納言。家司として九条家に仕えた。日記は『三長記』。
子の妻 藤原雅長の娘
子の妻の父 藤原雅長→藤原雅教・雅長の系図
子の妻の夫 藤原公俊→三条実行の系図
孫 長朝【1197-1251】
参議。
曾孫の夫 花山院師継→花山院師継の系図
孫の夫 中院通方→中院通方の系図
孫の夫 久我通基→久我通基の系図
子 兼高/兼隆【1179-1239】
参議。
子の妻 藤原信定の娘
子の妻の父 藤原信定→藤原朝憲の系図
孫 顕嗣
従三位。
曾孫 兼頼
曾孫の子の夫 洞院実泰→洞院実泰の系図
曾孫 顕経
父と同時に出家した。
曾孫 藤原顕嗣の娘〔養父:藤原兼高〕
曾孫の夫 正親町実明→正親町実明の系図
孫 資邦/資朝
実は季隆の子。
孫 藤原兼高の娘
実は藤原顕嗣の子。
孫の夫 藤原定頼→藤原定頼の系図
子 乗願/宗源(そうげん)【1168-1251】
法然の弟子となった。竹谷上人と号した。
藤原顕頼の系図
藤原顕頼(あきより)【1094-1148】〔養子:藤原俊成(→藤原俊成の系図)〕
権中納言。鳥羽院の近臣として活躍した。
祖父 為房→藤原為房の系図
父 顕隆→藤原顕隆の系図
祖父 藤原季綱→藤原季綱の系図
妻 藤原俊子
藤原俊忠(→藤原俊忠の系図)の娘。
子 光頼・孫 葉室宗頼→藤原光頼~葉室資頼の系図
子 惟方→藤原惟方の系図
子 成頼(なりより)【1136-1202】〔養父:藤原光頼(→藤原光頼~葉室資頼の系図)、養子:葉室宗頼(→藤原光頼~葉室資頼の系図)〕
参議。出家して高野山に入り、高野宰相入道と称された。
子の妻 藤原尹通の娘
子の妻の父 藤原尹通→藤原尹通の系図
子の妻 藤原成子
藤原邦綱(→藤原盛国の系図)の娘。
孫 親頼〔養父:源雅通(→源雅通の系図)〕
孫 有定
実は藤原顕方(→藤原顕能の系図)の子。
孫 明禅(みょうぜん)【1167-1242】
妻 源雅職の娘
妻の父 源雅職→源清実の系図
子 円仙/良顕
孫 定誉
実は定勝の子。
曾孫 定顕
父は顕正とも。
定顕孫 宗顕
宗顕の子の夫 北畠師親→北畠師親の系図
定顕孫 定縁
父は定顕とも。
曾孫 定俊〔養父:藤原光俊(→藤原光俊の系図)〕
曾孫 定誉〔養父:顕恵〕
曾孫 治部卿局→土御門天皇の系図
子 雅宝(がほう)【1131-1190】
子 祐子→平時信の系図
子の夫 藤原季成→藤原実隆・季成の系図
子の夫 藤原忠隆・藤原信頼→藤原基隆の系図
子の夫 藤原家明→藤原家成の系図
子の夫 藤原師長→藤原頼長の系図
子の夫 藤原朝隆→藤原朝隆の系図
子の夫 藤原顕長→藤原顕長の系図
子の夫 藤原俊憲→藤原俊憲の系図
子の夫 藤原重方→藤原顕能の系図
藤原惟方の系図
藤原惟方(これかた)【1125-?】〔養子:藤原頼憲(→藤原憲方の系図)〕
参議。二条天皇の側近。後白河院の反感を買い、長門に流されて出家した。粟田口別当入道と号した。
祖父 顕隆→藤原顕隆の系図
父 顕頼→藤原顕頼の系図
祖父 藤原俊忠→藤原俊忠の系図
妻 藤原信輔の娘
妻の父 藤原信輔→藤原信輔の系図
子 惟定/惟雅
妻 藤原知通の娘
妻の父 藤原知通→藤原尹通の系図
子 為頼
子の妻 藤原師綱の娘
子の妻の父 藤原師綱→藤原師綱の系図
孫 仲房
孫の妻 藤原行雅の娘
孫の妻の父 藤原行雅→花山院忠雅・兼雅の系図
光資孫 資能〔養父:葉室資頼(→藤原光頼~葉室資頼の系図)〕
光資孫 宣方
従三位。
光資孫 忠性〔養父:藤原成経〕
父は藤原仲房とも。
光資孫 円誉〔養父:藤原成経〕
曾孫 忠性〔養父:藤原成経〕
実は藤原光資、藤原仲房の子。
曾孫 円誉
実は藤原光資の子。
曾孫 房全/房仙
父は藤原仲房、藤原経長とも。
子 惟基【?-1182】
孫 宗忠/宗源
妻 源師経の娘
子 成宝(せいほう)【1159-1227】
東寺長者。
子 頼子→藤原光頼~葉室資頼の系図
子の夫 藤原信説→藤原基隆の系図
子の夫 源清信→源清信の系図
曾孫 寛愉/頼愉
曾孫 隆恵〔養父:飛鳥井雅有(→飛鳥井雅経~雅孝の系図)〕
藤原光頼~葉室資頼の系図
藤原光頼(みつより)【1124-1173】〔養子:藤原成頼(→藤原顕頼の系図)〕
権大納言。平治の乱では、二条天皇を内裏から脱出させた。家名となった葛野郡葉室の地に別業を営んだ。葉室大納言入道・桂大納言と号した。
祖父 顕隆→藤原顕隆の系図
父 顕頼→藤原顕頼の系図
祖父 藤原俊忠→藤原俊忠の系図
妻 藤原朝隆の娘
妻の父 藤原朝隆→藤原朝隆の系図
子 光方/経頼
妻 藤原親隆の娘
妻の父 藤原親隆→藤原親隆の系図
子 光雅→藤原光雅の系図
子の夫 中御門宗家→中御門宗家~宗雅の系図
葉室宗頼(むねより)【1154-1203】〔養父:藤原成頼(→藤原顕頼の系図)、養子:藤原顕俊(→藤原顕俊の系図)、葉室資頼、藤原行光(→藤原行隆の系図)、宗聖〕
権大納言。
妻 藤原頼子
藤原惟方(→藤原惟方の系図)の娘。
妻 藤原光忠の娘
妻の父 藤原光忠→大炊御門経実の系図
妻 藤原兼子→大炊御門頼実の系図
藤原範兼(→藤原範兼の系図)の娘。
子の夫 久我通光→久我通光の系図
孫 覚源〔養父:藤原為家(→藤原為家の系図)〕
葉室宗方
妻 九条光長の娘
妻の父 九条光長→九条光長・長房の系図
子 宗嗣〔養父:藤原行光〕→藤原行隆の系図
子 宗聖〔養父:葉室宗頼〕
子の夫 滋野井実宣→滋野井実国~実宣の系図
葉室資頼(すけより)【1194-1255】〔養父:葉室宗頼、養子:藤原資能(→藤原惟方の系図)、藤原定頼(→藤原定頼の系図)、藤原光朝(→藤原光朝の系図)、葉室頼親(→葉室頼親の系図)、葉室季頼の娘(→花山院定雅の系図)〕
中納言。
妻 藤原光親の娘
妻の父 藤原光親→藤原光親の系図
子 季頼→葉室季頼の系図
妻 藤原季経の娘
妻の父 藤原季経→六条顕輔の系図
子の夫 九条忠高→九条忠高の系図