このページでは、葉室家(藤原氏北家・高藤流)の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
葉室家(名家)の略系図
1 顕隆→藤原顕隆の系図
1-A 顕能→藤原顕能の系図
1-B1 顕長→藤原顕長の系図
1-B2 長方→藤原長方の系図
1-B3 宗隆→藤原宗隆の系図
3 光頼→藤原光頼~葉室資頼の系図
3-A1 光雅→藤原光雅の系図
3-A2 光親→藤原光親の系図
3-A3 光俊→藤原光俊の系図
7 季頼→葉室季頼~頼藤の系図
10 長隆→葉室長隆~頼継の系図
17 頼房→葉室頼房~頼隆の系図
21 頼業→葉室頼業~頼要の系図
26 頼煕→葉室頼煕~長邦の系図
藤原顕隆の系図
藤原顕隆(あきたか)【1072-1129】
権中納言。葉室家の祖。白河院の近臣として活躍し、「よるの関白」と称された。
祖父 隆方→藤原隆方の系図
父 為房→藤原為房の系図
祖父 源頼国→源頼国の系図
妻 藤原悦子(えつし)【?-1115】
藤原季綱(→藤原季綱の系図)の娘。鳥羽天皇の乳母。
子 顕頼→藤原顕頼の系図
孫 光頼→藤原光頼~葉室資頼の系図
孫 惟方→藤原惟方の系図
子 顕能→藤原顕能の系図
妻 源顕房の娘
妻の父 源顕房→源顕房の系図
子 顕長→藤原顕長の系図
孫 長方→藤原長方の系図
子 栄子→藤原基隆の系図
子の夫 藤原家政→藤原家政の系図
孫 雅教→藤原雅教・雅長の系図
子の夫 藤原俊忠→藤原俊忠の系図
子の夫 徳大寺実能→徳大寺実能の系図
孫 公能→徳大寺公能の系図
子の夫 藤原清隆→藤原清隆の系図
子の夫 藤原憲方→藤原憲方の系図
子の夫 徳大寺実定→徳大寺実定・公継の系図
藤原顕能の系図
藤原顕能【1107-1139】
祖父 為房→藤原為房の系図
父 顕隆→藤原顕隆の系図
祖父 藤原季綱→藤原季綱の系図
妻 源師頼の娘
妻の父 源師頼→源師頼の系図
子 顕任
7歳で亡くなった。
子 顕方/隆憲〔養父:藤原重隆(→藤原為房の系図)、藤原顕長(→藤原顕長の系図)〕
孫 顕朝〔養父:藤原顕長(→藤原顕長の系図)〕
孫 有定〔養父:藤原成頼〕→藤原顕頼の系図
子の夫 藤原雅教→藤原雅教・雅長の系図
妻 源遠仲の娘
妻の父 源遠仲→源奉職・政職の系図
子 重方【1123-?】〔養子:藤原惟頼〕
子の妻 藤原清隆の娘
子の妻の父 藤原清隆→藤原清隆の系図
孫 重頼
孫の妻 馬場頼政の娘
孫の妻の父 馬場頼政→馬場頼政~宗仲の系図
曾孫 重光〔養父:藤原光雅(→藤原光雅の系図)〕
子の妻 藤原顕頼の娘
子の妻の父 藤原顕頼→藤原顕頼の系図
孫の夫 藤原光雅→藤原光雅の系図
曾孫 光親→藤原光親の系図
曾孫 光時〔養父:藤原光親(→藤原光親の系図)〕
光時孫 光方
父は藤原光時とも。
曾孫の夫 藤原顕俊→藤原光雅の系図
曾孫 定俊〔養父:藤原顕俊(→藤原光雅の系図)〕
父は藤原忠方、藤原能頼とも。
定俊孫 成俊→平行範・棟範の系図
実は平棟基の子。
曾孫の夫 平棟基→平行範・棟範の系図
子 頼佐/説方
子の妻 藤原基明の娘
子の妻の父 藤原基明→藤原俊家の系図
孫 惟頼〔養父:藤原重方〕
曾孫の夫 源有長→源有長の系図
妻 藤原為隆の娘
妻の父 藤原為隆→藤原為隆の系図
子 顕真(けんしん)【1131-1192】
天台座主。法然と大原問答を行った。
妻 源能俊の娘
妻の父 源能俊→源俊明の系図
子 観性(かんしょう)
三鈷寺を再興した。
子 行昭/行助
藤原顕長の系図
藤原顕長(あきなが)/頼教/顕教【1118-1167】〔養子:藤原顕方・藤原顕朝(→藤原顕能の系図)〕
権中納言。八条中納言と号した。
祖父 為房→藤原為房の系図
父 顕隆→藤原顕隆の系図
祖父 源顕房→源顕房の系図
妻 藤原俊子
藤原俊忠(→藤原俊忠の系図)の娘。
子 長方→藤原長方の系図
孫 宗隆→藤原宗隆の系図
妻 藤原顕頼の娘
妻の父 藤原顕頼→藤原顕頼の系図
子の夫 徳大寺実定→徳大寺実定・公継の系図
子の夫 藤原雅長→藤原雅教・雅長の系図
藤原長方の系図
藤原長方(ながかた)/憲頼【1139-1191】
権中納言。能吏として活躍した。おもねることなく平氏政権を批判したとされる。
祖父 顕隆→藤原顕隆の系図
父 顕長→藤原顕長の系図
祖父 藤原俊忠→藤原俊忠の系図
妻 藤原通憲の娘
妻の父 藤原通憲→藤原実兼・通憲の系図
子 宗隆→藤原宗隆の系図
子 長兼/頼房〔養子:長恵(→澄憲の系図)〕
権中納言。家司として九条家に仕えた。日記は『三長記』。
子の妻 藤原雅長の娘
子の妻の父 藤原雅長→藤原雅教・雅長の系図
子の妻の夫 藤原公俊→三条実行の系図
孫 長朝【1197-1251】
参議。
曾孫の夫 花山院師継→花山院師継~師資の系図
孫の夫 中院通方→中院通方の系図
孫の夫 久我通基→久我通忠~通雄の系図
子 兼高/兼隆【1179-1239】
参議。
子の妻 藤原信定の娘
子の妻の父 藤原信定→藤原朝憲の系図
孫 顕嗣
従三位。
曾孫 兼頼
曾孫の子の夫 洞院実泰→洞院実泰の系図
曾孫の孫 公泰→洞院公敏・公泰の系図
曾孫 顕経
父と同時に出家した。
曾孫 藤原顕嗣の娘〔養父:藤原兼高〕
曾孫の夫 正親町実明→正親町実明~実綱の系図
孫 資邦/資朝
実は季隆の子。
孫 藤原兼高の娘
実は藤原顕嗣の子。
孫の夫 藤原定頼→藤原宗隆の系図
子 乗願/宗源(そうげん)【1168-1251】
法然の弟子となった。竹谷上人と号した。
藤原宗隆の系図
藤原宗隆(むねたか)【1166-1205】
権中納言。梅小路中納言と号した。
祖父 顕長→藤原顕長の系図
父 長方→藤原長方の系図
祖父 藤原通憲→藤原実兼・通憲の系図
妻 平業房の娘
妻の父 平業房→平維盛の系図
子 宗房【1189-1230】
参議。
子の妻 藤原清長の娘
子の妻の父 藤原清長→藤原定長の系図
孫 姉小路顕朝【1212-1266】
権大納言。
孫の妻 九条定高の娘
孫の妻の父 九条定高→九条定高の系図
曾孫 忠方【1241-1282】
権中納言。母は藤原信説(→藤原為説の系図)の娘とも。
曾孫の子の夫 四条隆顕→四条隆親~隆宗の系図
曾孫の子の夫 葉室頼親→葉室季頼~頼藤の系図
曾孫の夫 久我通基→久我通忠~通雄の系図
曾孫の夫 源資平→源清信の系図
曾孫の夫 中院通頼→中院通成~通冬の系図
曾孫の夫 三条長顕→三条成定の系図
曾孫の夫 藤原高雅→藤原光俊の系図
曾孫の夫 四条隆行→藤原隆衡の系図
顕兼孫 忠顕〔養父:姉小路忠方〕
忠方孫 忠顕
実は藤原顕兼の子。
孫 定宗/為宗/忠頼
曾孫 定親〔養父:藤原定頼、藤原定輔(→水無瀬親信の系図)〕
孫の夫 藤原良忠→九条良経の系図
子 長宗/宗長
孫 定頼【?-1251】〔養父:葉室資頼(→藤原光頼~葉室資頼の系図)、養子:藤原定親〕
従三位。
孫の妻 藤原兼高の娘
孫の妻の父 藤原兼高→藤原長方の系図
曾孫 定顕〔養子:親円〕
定頼孫 為任/顕藤
定頼孫 親円〔養父:藤原定顕〕
孫の夫 大炊御門冬忠→大炊御門師経~冬忠の系図
曾孫 信嗣→大炊御門信嗣~冬信の系図
妻 山科実教の娘
妻の父 山科実教→山科実教の系図
藤原顕頼の系図
藤原顕頼(あきより)【1094-1148】〔養子:藤原俊成(→藤原俊成の系図)〕
権中納言。鳥羽院の近臣として活躍した。
祖父 為房→藤原為房の系図
父 顕隆→藤原顕隆の系図
祖父 藤原季綱→藤原季綱の系図
妻 藤原俊子
藤原俊忠(→藤原俊忠の系図)の娘。
子 光頼・孫 葉室宗頼→藤原光頼~葉室資頼の系図
孫 光雅→藤原光雅の系図
子 惟方→藤原惟方の系図
子 成頼(なりより)【1136-1202】〔養父:藤原光頼(→藤原光頼~葉室資頼の系図)、養子:葉室宗頼(→藤原光頼~葉室資頼の系図)〕
参議。出家して高野山に入り、高野宰相入道と称された。
子の妻 藤原尹通の娘
子の妻の父 藤原尹通→藤原尹通の系図
子の妻 藤原成子
藤原邦綱(→藤原盛国の系図)の娘。
孫 親頼〔養父:源雅通(→源雅通の系図)〕
孫 有定
実は藤原顕方(→藤原顕能の系図)の子。
孫 明禅(みょうぜん)【1167-1242】
妻 源雅職の娘
妻の父 源雅職→源清実の系図
子 円仙/良顕
孫 定誉
実は定勝の子。
曾孫 定顕
父は顕正とも。
定顕孫 宗顕
宗顕の子の夫 北畠師親→北畠師親の系図
定顕孫 定縁
父は定顕とも。
曾孫 定俊〔養父:藤原光俊(→藤原光俊の系図)〕
曾孫 定誉〔養父:顕恵〕
曾孫 治部卿局→土御門天皇の系図
子 雅宝(がほう)【1131-1190】
子 祐子→平時信の系図
子の夫 藤原季成→藤原実隆・季成の系図
子の夫 藤原忠隆・藤原信頼→藤原基隆の系図
子の夫 藤原家明→藤原家成の系図
子の夫 藤原師長→藤原頼長の系図
子の夫 藤原朝隆→藤原朝隆の系図
子の夫 藤原顕長→藤原顕長の系図
子の夫 藤原俊憲→藤原俊憲の系図
子の夫 藤原重方→藤原顕能の系図
藤原惟方の系図
藤原惟方(これかた)【1125-?】〔養子:藤原頼憲(→藤原憲方の系図)〕
参議。二条天皇の側近。後白河院の反感を買い、長門に流されて出家した。粟田口別当入道と号した。
祖父 顕隆→藤原顕隆の系図
父 顕頼→藤原顕頼の系図
祖父 藤原俊忠→藤原俊忠の系図
妻 藤原信輔の娘
妻の父 藤原信輔→藤原信輔の系図
子 惟定/惟雅
妻 藤原知通の娘
妻の父 藤原知通→藤原尹通の系図
子 為頼
子の妻 藤原師綱の娘
子の妻の父 藤原師綱→藤原師綱の系図
孫 仲房
孫の妻 藤原行雅の娘
孫の妻の父 藤原行雅→花山院忠雅・兼雅の系図
光資孫 資能〔養父:葉室資頼(→藤原光頼~葉室資頼の系図)〕
光資孫 宣方
従三位。
光資孫 忠性〔養父:藤原成経〕
父は藤原仲房とも。
光資孫 円誉〔養父:藤原成経〕
曾孫 忠性〔養父:藤原成経〕
実は藤原光資、藤原仲房の子。
曾孫 円誉
実は藤原光資の子。
曾孫 房全/房仙
父は藤原仲房、藤原経長とも。
子 惟基【?-1182】
孫 宗忠/宗源
妻 源師経の娘
子 成宝(せいほう)【1159-1227】
東寺長者。
子 頼子→藤原光頼~葉室資頼の系図
子の夫 藤原信説→藤原基隆の系図
子の夫 源清信→源清信の系図
曾孫 寛愉/頼愉
曾孫 隆恵〔養父:飛鳥井雅有(→飛鳥井雅経~雅孝の系図)〕
藤原光頼~葉室資頼の系図
藤原光頼(みつより)【1124-1173】〔養子:藤原成頼(→藤原顕頼の系図)〕
権大納言。平治の乱では、二条天皇を内裏から脱出させた。家名となった葛野郡葉室の地に別業を営んだ。葉室大納言入道・桂大納言と号した。
祖父 顕隆→藤原顕隆の系図
父 顕頼→藤原顕頼の系図
祖父 藤原俊忠→藤原俊忠の系図
妻 藤原朝隆の娘
妻の父 藤原朝隆→藤原朝隆の系図
子 光方/経頼
妻 藤原親隆の娘
妻の父 藤原親隆→藤原親隆の系図
子 光雅→藤原光雅の系図
孫 光親→藤原光親の系図
子の夫 中御門宗家→中御門宗家~宗雅の系図
葉室宗頼(むねより)【1154-1203】〔養父:藤原成頼(→藤原顕頼の系図)、養子:藤原顕俊(→藤原光雅の系図)、葉室資頼、藤原行光(→藤原行隆の系図)、宗聖〕
権大納言。
妻 藤原頼子
藤原惟方(→藤原惟方の系図)の娘。
妻 藤原光忠の娘
妻の父 藤原光忠→大炊御門経実の系図
妻 藤原兼子→大炊御門頼実の系図
藤原範兼(→藤原範兼の系図)の娘。
子の夫 久我通光→久我通光の系図
孫 覚源〔養父:藤原為家(→藤原為家の系図)〕
葉室宗方
妻 九条光長の娘
妻の父 九条光長→九条光長・長房の系図
子 宗嗣〔養父:藤原行光〕→藤原行隆の系図
子 宗聖〔養父:葉室宗頼〕
子の夫 滋野井実宣→滋野井実国~実宣の系図
葉室資頼(すけより)【1194-1255】〔養父:葉室宗頼、養子:藤原資能(→藤原惟方の系図)、藤原定頼(→藤原宗隆の系図)、藤原光朝(→藤原光俊の系図)、葉室頼親(→葉室季頼~頼藤の系図)、葉室季頼の娘(→花山院忠経・定雅の系図)〕
中納言。
妻 藤原光親の娘
妻の父 藤原光親→藤原光親の系図
子 季頼・孫 頼親→葉室季頼~頼藤の系図
妻 藤原季経の娘
妻の父 藤原季経→六条顕輔の系図
子の夫 九条忠高→九条定高の系図
藤原光雅の系図
藤原光雅(みつまさ)【1149-1200】〔養子:藤原重光(→藤原顕能の系図)〕
権中納言。源頼朝追討の院宣を奉じた。堀河中納言と号した。
祖父 顕頼→藤原顕頼の系図
父 光頼→藤原光頼~葉室資頼の系図
祖父 藤原親隆→藤原親隆の系図
妻 藤原重方の娘
妻の父 藤原重方→藤原顕能の系図
子 光親→藤原光親の系図
孫 光俊→藤原光俊の系図
子 顕俊/光成【1182-1229】〔養父:葉室宗頼(→藤原光頼~葉室資頼の系図)、養子:藤原定俊(→藤原顕能の系図)〕
権中納言。
子の妻 藤原能頼の娘
子の妻の父 藤原能頼→藤原顕能の系図
孫 頼隆(よりたか)/光宗【1202-?】
参議。
曾孫 頼俊
父は藤原顕俊とも。
曾孫の夫 大中臣隆世→大中臣隆世の系図
子の妻 川原実家の娘
子の妻の父 川原実家→川原実家・公国の系図
孫 親俊【1207-1258】
権中納言。母は藤原実守(→藤原実守・実印・実快の系図)の娘とも。
孫の妻 祝部成茂の娘
曾孫 親頼【1225-1298】
権中納言。
曾孫の妻 棟清の娘
曾孫の妻の父 棟清→棟清の系図
曾孫の妻の夫 御子左為氏→御子左為氏の系図
親頼孫 顕家(あきいえ)【?-1306】
参議。
親頼孫 房高/顕親
従三位。
親頼孫 顕任/顕経
父は藤原親成とも。
孫の妻 吉田資経の娘
孫の妻の父 吉田資経→吉田資経の系図
曾孫 親成
曾孫の子の夫 一条家経→一条実経~内経の系図
親成孫 顕任
父は藤原親頼とも。
曾孫 親朝【1236-1281】
参議。
曾孫の子の夫 五辻経氏→五辻雅継の系図
親朝孫 藤朝
参議。
曾孫の夫 源顕方→中院通方の系図
子 光宝(こうほう)【1177-1239】
醍醐寺座主。のちに関東で教えを広めた。
子の夫 大炊御門師経→大炊御門師経~冬忠の系図
子の夫 藤原隆房→藤原隆房の系図
子の夫 長範→九条光長・長房の系図
藤原光親の系図
藤原光親(みつちか)【1176-1221】〔養子:藤原光時(→藤原顕能の系図)〕
権中納言。近衛家実などの家司を務めた。承久の乱後に捕らえられて殺された。
祖父 光頼→藤原光頼~葉室資頼の系図
父 光雅→藤原光雅の系図
祖父 藤原重方→藤原顕能の系図
妻 吉田経子
吉田定経(→吉田経房・定経の系図)の娘。順徳天皇の乳母。
子 光俊→藤原光俊の系図
子 葉室定嗣(さだつぐ)/光嗣/高嗣【1208-1272】〔養子:藤原高雅(→藤原光俊の系図)〕
権中納言。後嵯峨天皇の側近として活躍した。日記は『葉黄記』。
子の妻 大中臣時継の娘
孫 定藤/為雄【?-1315】
参議。
孫の妻 大仏時親の娘
孫の妻の父 大仏時親→北条時房の系図
曾孫 光定【1274-1305】
参議。
定嗣孫 光顕【?-1336】
参議。出羽国で斬首された。
定嗣孫 光暁〔養父:広橋仲光〕→広橋兼綱~兼宣の系図
子の妻 藤原親輔の娘
子の妻の父 藤原親輔→藤原信隆の系図
子の妻 藤原信時の娘
子の妻の父 藤原信時→藤原親綱~師平の系図
孫の夫 葉室頼親→葉室季頼~頼藤の系図
孫の夫 土御門定実→土御門定実の系図
孫の夫 吉田経長→吉田経長の系図
曾孫 甘露寺隆長→甘露寺隆長~兼長の系図
妻 成清の娘
妻の父 成清→成清の系図
子 光氏
子の妻 北条時盛の娘
子の妻の父 北条時盛→北条時盛の系図
孫 円俊【1242-1310】
孫の夫 法性寺雅平→法性寺雅平の系図
子の夫 土御門定通→土御門定通・顕定の系図
子の夫 源通平→久我通光の系図
子の夫 藤原高実→九条兼実の系図
子の夫 藤原公賢→滋野井実国~実宣の系図
子の夫 葉室資頼→藤原光頼~葉室資頼の系図
藤原光俊の系図
藤原光俊(みつとし)【1203-1276】〔養子:定俊(→藤原顕頼の系図)〕
歌人。宗尊親王の歌道の師や『続古今和歌集』の撰者を務めた。
祖父 光雅→藤原光雅の系図
父 光親→藤原光親の系図
祖父 吉田定経→吉田経房・定経の系図
妻 藤原盛季の娘
妻の父 藤原盛季→藤原季家の系図
子 高雅/高定【1233-1280】〔養父:葉室定嗣(→藤原光親の系図)〕
権中納言。
子の妻 姉小路顕朝の娘
子の妻の父 姉小路顕朝→藤原宗隆の系図
孫 顕世【1252-1309】〔養父:中御門経任(→中御門経任の系図)〕
権中納言。
曾孫 光藤【?-1325】
権中納言。
孫 光世/光性
妻 平時兼の娘
妻の父 平時兼→平信国・信実の系図
子 光朝【1241-1273】〔養父:葉室資頼(→藤原光頼~葉室資頼の系図)〕
子の妻 藤原惟清の娘
子の妻の父 藤原惟清→藤原実清の系図
孫 光泰【1254-1305】
参議。
曾孫 光継(みつつぐ)【?-1338】
権中納言。後醍醐天皇に従って京都を脱出し、のちに北朝と戦って亡くなった。
光朝孫 光季
父は藤原光教とも。
子 俊嗣/俊継
孫 親方【?-1317】
従三位。
子 親子(しんし)【1221-?】
歌人。後嵯峨院に仕えた。
葉室季頼~頼藤の系図
葉室季頼【1213-1293】
従三位。
祖父 宗方・父 資頼→藤原光頼~葉室資頼の系図
祖父 藤原光親→藤原光親の系図
妻 藤原家時の娘
妻の父 藤原家時→持明院保家の系図
子の夫 花山院定雅→花山院忠経・定雅の系図
妻 藤原親綱の娘
妻の父 藤原親綱→藤原親綱~師平の系図
葉室頼親/時頼【1236-1306】〔養父:葉室資頼(→藤原光頼~葉室資頼の系図)〕
権大納言。
妻 九条忠高の娘
妻の父 九条忠高→九条定高の系図
妻 姉小路忠方の娘
妻の父 姉小路忠方→藤原宗隆の系図
妻 葉室定嗣の娘
妻の父 葉室定嗣→藤原光親の系図
夫 土御門定実→土御門定実の系図
子 頼房
従三位。
孫 頼教【?-1352】
参議。
子 頼任
従三位。
孫 頼子→伏見天皇・花園天皇の系図
子 頼乗
父は葉室頼藤とも。
葉室頼藤【1254-1336】
権大納言。
子 長隆・孫 長光→葉室長隆~頼継の系図
子 頼乗
父は葉室頼親とも。
子 成隆【1289-1330】
参議。
葉室長隆~頼継の系図
葉室長隆(ながたか)【1286-1344】
権大納言。
祖父 頼親・父 頼藤→葉室季頼~頼藤の系図
子 長顕【1321-1390】
権大納言。
孫 宗顕
権大納言。
曾孫 定顕/長親【?-1414】
参議。
長顕孫 宗豊/頼時
権大納言。
長顕孫 顕任(『系図纂要』による。)
子 長藤
参議。
子の夫 資清王→業資王~顕邦王の系図
子の夫 久我通相→久我長通~清通の系図
葉室長光【1309-1365】
権大納言。
葉室長宗
参議。
葉室長忠
権大納言。
葉室教忠【1423-1494】
権大納言。実は長忠の孫。
葉室光忠(みつただ)【1441-1493】
権大納言。足利義稙に重用された。のちに河内正覚寺で殺された。
妻 阿野季遠の娘
妻の父 阿野季遠→阿野季継~実顕の系図
葉室頼継【1492-1529】
参議。
妻 中御門宣秀の娘
妻の父 中御門宣秀→中御門宣胤~宣政の系図
子 頼房・孫 定藤→葉室頼房~頼隆の系図
子の夫 朽木稙綱→朽木義綱~元綱の系図
子の夫 山科言継→山科顕言~言総の系図
葉室頼房~頼隆の系図
葉室頼房【1527-1576】
権中納言。
祖父 光忠・父 頼継→葉室長隆~頼継の系図
祖父 中御門宣秀→中御門宣胤~宣政の系図
子 頼宣〔養父:葉室定藤〕
子 豊隆【1554-1556】(『葉室家譜』による。)
子 宣盛【1575-?】〔養父:宣教〕(『葉室家譜』による。)
子の夫 五辻之仲(『系図纂要』による。)→五辻諸仲~済仲の系図
葉室定藤/長教【1558-1580】(以下、『系図纂要』による。)
子 定藤の娘(『葉室家譜』による。)
葉室頼宣/経家【1571-1610】
権中納言。実は葉室頼房の子。
子 坊城俊完〔養父:坊城俊昌〕→坊城俊国~俊広の系図
子 宣子→後陽成天皇の系図
子 頼宣の娘【1608-1628】
子の夫 立花宗茂→立花宗茂の系図
葉室頼隆【1606-1617】
実は滋野井季吉(→滋野井季吉~実光の系図)の子。
子 頼業・孫 頼孝→葉室頼業~頼要の系図
葉室頼業~頼要の系図
葉室頼業【1615-1675】
権大納言。実は万里小路孝房(→万里小路輔房~綱房の系図)の子。
祖父 頼宣・父 頼隆→葉室頼房~頼隆の系図
妻 橋本実村の娘
妻の父 橋本実村→橋本公夏~実村の系図
子 公綱〔養父:橋本季村〕→橋本季村~実文の系図
妻 日野光慶の娘
妻の父 日野光慶→日野輝資~光慶の系図
子の夫 屋代忠興(『葉室家譜』による。)→屋代忠興の系図
子 下冷泉為経〔養父:下冷泉為元〕→下冷泉為純~為経の系図
葉室頼孝【1644-1709】〔養子:葉室頼胤〕
権大納言。
妻 毛利就隆の娘【1639-?】
妻の父 毛利就隆→毛利就隆・元賢の系図
子 実松〔養父:橋本公綱〕→橋本季村~実文の系図
葉室頼重【1669-1705】
権中納言。
妻 樋口久
樋口信康(→樋口信孝~康煕の系図)の娘。
葉室頼胤/久俊【1697-1708】〔養父:葉室頼孝〕
准大臣。実は橋本実松(→橋本季村~実文の系図)の子。
葉室頼要【1715-1794】
権大納言。実は坊城俊清(→坊城俊清~俊親の系図)の子。
妻 日野資時の娘
妻の父 日野資時→日野資時~資平の系図
子 頼煕・孫 頼寿→葉室頼煕~長邦の系図
葉室頼煕~長邦の系図
葉室頼煕/栄行【1750-1804】
権大納言。実は堤代長(→中川貞長~堤功長の系図)の子。
祖父 頼胤・父 頼要→葉室頼業~頼要の系図
祖父 日野資時→日野資時~資平の系図
妻 勧修寺顕道の娘
妻の父 勧修寺顕道→勧修寺顕道~経逸の系図
子 煕子→広橋胤定の系図
孫 広橋光成→広橋光成~胤光の系図
子 頼子→光格天皇~孝明天皇の系図
子 頼煕の息子・子 頼煕の娘(『葉室家譜』による。)
葉室頼寿【1777-1805】
参議。
子 頼寿の息子(3人)(『葉室家譜』による。)
子の夫 庭田重能→庭田重煕~重胤の系図
葉室顕孝【1796-1858】
権大納言。
妻 山科忠言の娘
妻の父 山科忠言→山科頼言~忠言の系図
子 顕胤【1814-1817】
子 顕煕【1819-1820】
妻 山科言知の娘
妻の父 山科言知→山科言知~言縄の系図
子の夫 松木宗有→松木宗顕~宗有の系図
子 粟田口定孝・顕孝の息子・子 顕孝の娘(『葉室家譜』による。)
子の夫 石井行光→石井行文~行知の系図
子の夫 三室戸雄光→三室戸誠光~和光の系図
子の夫 松岡寺・伊東直記(『葉室家譜』による。)
葉室長順【1820-1879】
権大納言。
妻 広橋康子
広橋光成(→広橋光成~胤光の系図)の娘。
子 長順の娘【?-1873】(『葉室家譜』による。)
子 俊顕・子 長順の娘(2人)(『葉室家譜』による。)
葉室長邦【1839-1899】
妻 勧修寺経子【1847-1921】
勧修寺経理(→勧修寺良顕~経理の系図)の娘。
系図について
本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。
系図はおおよそ次の方針で作成しています。
- 系図に描画する人物の範囲について
上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。 - 人物の表示の区別について
系図では、次の通り背景色を区別しています。
(オレンジ)……天皇
(緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
(黄)……江戸時代の将軍・藩主
(水色)……その他男性
(ピンク)……その他女性 - 養子・猶子について
両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。 - 正室・側室等について
これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。 - 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。