坊城家(藤原氏北家・高藤流)の系図

系図のメモ帳
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 このページでは、坊城家(藤原氏北家・高藤流)の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。

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坊城家(名家)の略系図

坊城家の略系図

1 経俊坊城経俊・俊定の系図
3 定資坊城定資~俊継の系図
8 俊国坊城俊国~俊広の系図
15 俊清坊城俊清~俊親の系図
19 俊明坊城俊明~俊章の系図

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坊城経俊・俊定の系図

坊城経俊・俊定の系図

  坊城経俊(つねとし)【1214-1276】
 中納言。日記は『経俊卿記』。坊城の他、勧修寺と号した。

祖父 定経吉田経房・定経の系図
 資経吉田資経の系図
祖父 藤原親綱藤原親綱~師平の系図

 平業光の娘
 中御門経継 経宣中御門経継~宣豊の系図
 経世
子の妻 大炊御門信嗣の娘
子の妻の父 大炊御門信嗣大炊御門信嗣~冬信の系図
 俊顕/俊幹【?-1391】
曾孫 資顕【?-1391】
 従三位。
曾孫の夫 二条資兼二条資家の系図

 経円
 父は万里小路資通(→万里小路資通~冬房の系図)とも。
子の夫 藤原経藤吉田為経の系図
子の夫 堀川具守堀川具守の系図
子の夫 藤原実平西園寺実氏の系図
子の夫 藤原忠雄藤原資綱の系図
子の夫 三条実仲正親町三条公貫~公秀の系図


  坊城俊定【1252-1310】
 権大納言。母は敦経の娘とも。坊城大納言入道と号した。

 定資 俊実坊城定資~俊継の系図
 勧修寺経顕勧修寺経顕~教秀の系図

 吉田国房【1277-1330】
 参議。
 国俊【1308-?】
 権中納言。
曾孫 増俊(『系図纂要』による。)

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坊城定資~俊継の系図

坊城定資~俊継の系図

  坊城定資(さだすけ)/俊隆【1275-1330】
 権中納言。

祖父 経俊 俊定坊城経俊・俊定の系図

 藤原隆康の娘
妻の父 藤原隆康藤原隆衡の系図
 勧修寺経顕 経重勧修寺経顕~教秀の系図

 町経量【1316-1380】〔養子:町経秀〕
 従三位。
曾孫 経秀〔養父:町経量〕
経量孫 顕郷【?-1479】
 正三位。
顕郷の子の夫 一条兼良一条経通~兼良の系図
顕郷の孫 冬良一条冬良~昭良の系図

経量孫 顕基
 従三位。
経量孫 顕量〔養子:町顕古〕
 実は勧修寺政顕(→勧修寺政顕~尹豊の系図)の子。

経量孫 顕冬
顕冬の妻 一条房家の娘
顕冬の妻の父 一条房家一条教房の系図
経量孫 顕古〔養父:町顕量〕


  坊城俊実(としざね)【1296-1350】
 権中納言。母は藤原隆氏の娘、隆定の娘とも。六波羅探題滅亡後、光厳天皇に供奉して京都を脱出したが、近江国番場宿で北条仲時らが討たれたため、出家した。
 甘露寺隆長の娘
妻の父 甘露寺隆長甘露寺隆長~兼長の系図


  坊城俊冬【1319-1367】
 権中納言。


  坊城俊任【1346-?】
 権大納言。


  坊城俊継【?-1412】
 俊国 俊秀坊城俊国~俊広の系図

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坊城俊国~俊広の系図

坊城俊国~俊広の系図

  坊城俊国【?-1426】

祖父 俊任 俊継坊城定資~俊継の系図


  坊城俊秀【1423-1465】
 権大納言。
 卜部兼尚の娘
妻の父 卜部兼尚→卜部兼尚の系図


  坊城俊顕【1443-1471】
 権中納言。


  坊城俊名【1463-1540】
 権中納言。実は勧修寺経茂(→勧修寺経顕~教秀の系図)の子。


  坊城俊昌/俊房【1582-1609】(以下、『系図纂要』による。)
 参議。実は勧修寺晴豊(→勧修寺晴秀・晴豊の系図)の子。55年間中絶していた坊城家を再興した。
 松倉重政の娘
妻の父 松倉重政→松倉重政の系図
 勧修寺経広〔養父:勧修寺教豊〕→勧修寺光豊~経敬の系図

子の夫 小堀正春→小堀正春の系図


  坊城俊完/頼豊【1609-1662】〔養父:葉室頼宣(→葉室頼房~頼隆の系図)〕
 権大納言。初めは葉室家を継いだ。
 岩倉具尭の娘
妻の父 岩倉具尭岩倉具尭~乗具の系図

 織田尚長の娘
妻の父 織田尚長→織田尚長の系図


  坊城俊広【1626-1702】
 権大納言。
 飛鳥井雅章の娘
妻の父 飛鳥井雅章飛鳥井雅庸~雅豊の系図
 房子霊元天皇の系図

 俊方【1662-?】
 参議。
 俊清 俊将坊城俊清~俊親の系図
子の夫 中御門宣顕中御門宣顕~宣猷の系図

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坊城俊清~俊親の系図

坊城俊清~俊親の系図

  坊城俊清/俊安【1667-1743】
 権大納言。

祖父 俊完 俊広坊城俊国~俊広の系図

 葉室頼要〔養父:葉室頼胤〕→葉室頼業~頼要の系図
 堤代長〔養父:堤晴長〕→中川貞長~堤功長の系図
子の夫 武者小路公野武者小路公種~公香の系図


  坊城俊将/忠康【1699-1749】
 権大納言。実は勧修寺尹隆(→勧修寺尹隆・高顕の系図)の子。
 坊城俊清の娘
 中御門俊臣〔養父:中御門宣時〕→中御門宣顕~宣猷の系図


  坊城俊逸(としはや)【1727-1773】
 権中納言。宝暦事件に連座し、永蟄居となった。
 町尻栄姫〔養父:町尻説久(→町尻説久・説望の系図)〕
 実は上村大隅の子。


  坊城俊親【1757-1800】
 権大納言。
 俊明 俊克坊城俊明~俊章の系図

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坊城俊明~俊章の系図

坊城俊明~俊章の系図

  坊城俊明【1782-1860】
 権大納言。

祖父 俊逸 俊親坊城俊清~俊親の系図

 勧修寺経逸の娘
妻の父 勧修寺経逸勧修寺顕道~経逸の系図
 俊迪【1808-1810】

 勧修寺顕彰〔養父:勧修寺経則〕→勧修寺良顕~経理の系図
 中御門経之〔養父:中御門資文〕→中御門宣顕~宣猷の系図
 俊政〔養父:坊城俊克〕
 波多野広善〔養子:坊城俊政の息子〕(『坊城家譜』による。)
 伸子光格天皇~孝明天皇の系図
 照子梅渓通仲~通治の系図
 昌子芝山宣豊~弘豊の系図
 初子高倉永範~永祜の系図
 穂穙俊弘 (『坊城家譜』による。)


  坊城俊克【1802-1865】
 権大納言。
 総子阿野公縄~実允の系図
 益子文子(『坊城家譜』による。)


  坊城俊政【1826-1881】
 参議。実は坊城俊明の子。
 俊政の息子〔養父:波多野広善〕(『坊城家譜』による。)
  式子恒子鎮子光子(『坊城家譜』による。)
子の夫 中御門経明(『坊城家譜』による。)→中御門宣顕~宣猷の系図


  坊城俊章(としあや)【1847-1906】

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系図について

 本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』及び東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
 あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。

 系図はおおよそ次の方針で作成しています。

  • 系図に描画する人物の範囲について
     上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
     下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。
  • 人物の表示の区別について
     系図では、次の通り背景色を区別しています。
     (オレンジ)……天皇
     (緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
     (黄)……江戸時代の将軍・藩主
     (水色)……その他男性
     (ピンク)……その他女性
  • 養子・猶子について
     両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
     養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
     一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
     なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。
  • 正室・側室等について
     これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。
  • 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
     『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。
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