このページでは、大給松平家(清和源氏・義国流)・真次流の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
大給松平家・真次流(信濃国田野口藩主)の略系図
1 真次→松平真次~盈乗の系図
1-A 乗真→松平乗真~乗輪の系図
6 乗穏→松平乗穏~乗謨の系図
松平真次~盈乗の系図
松平真次(さねつぐ)【1577-1646】
祖父 親乗・父 真乗→松平乗元~真乗の系図
祖父 戸田忠重→戸田宜光~光重の系図
子・子の夫 乗真・孫 乗親→松平乗真~乗輪の系図
子 真次の娘(2人)(『寛政重修諸家譜』による。)
子の夫 畠山義里→畠山義里の系図
松平乗次(のりつぐ)【1632-1687】
三河国大給藩主。
妻 本多正直の娘
妻の父 本多正直→本多正直~正矩の系図
子 貞乗(さだのり)【?-1685】
母は『寛政重修諸家譜』による。
子の夫 赤井忠広→赤井忠広の系図
子の夫 桑山元稠→桑山元稠の系図
子の夫 酒井忠英→酒井忠正~忠求の系図
子の夫 本多正種→本多正綱~正恭の系図
子の夫 天方致通→天方致通の系図
松平乗成(のりしげ)【1658-1703】
大給藩主。
妻 松平正信の娘
妻の父 松平正信→松平正信・正基~正賢の系図
松平乗真(のりざね)/正宣(まさのぶ)/乗宣(のりのぶ)【1686-1716】
大給藩主・三河国奥殿藩主。実は本多正種(→本多正綱~正恭の系図)の子。
妻 青木多計/政【1702-1728】
青木重矩(→青木重矩~一新の系図)の娘。
夫 行快→酒井忠稠の系図
妻 畠山義寧の娘
妻の父 畠山義寧→畠山義寧の系図
夫 今川範高→今川氏睦~範叙の系図
子 乗真の娘(『寛政重修諸家譜』による。)
子の夫 平野長英→平野長英の系図
松平盈乗(みつのり)/乗盈(のりみつ)【1716-1742】
奥殿藩主。
妻 松平長子
松平乗賢(→松平乗賢~乗命の系図)の娘。
妻 松平乗種の娘
妻の父 松平乗種→松平乗久・乗春・好乗~影乗の系図
子 乗穏・孫 乗友→松平乗穏~乗謨の系図
松平乗真~乗輪の系図
松平乗真(のりざね)【1610-1677】(以下、『寛政重修諸家譜』による。)
実は内藤信広(→内藤信成・信広~信盛の系図)の子。
祖父 真乗→松平乗元~真乗の系図
父 真次→松平真次~盈乗の系図
妻 松平真次の娘
妻の父 松平真次→松平真次~盈乗の系図
松平乗親(のりちか)/乗明(のりあき)【1642-1688】
妻 松平乗寿の娘
妻の父 松平乗寿→松平家乗・乗寿の系図
夫 小笠原長宣→小笠原忠真の系図
子の夫 安藤次行→安藤正頼~次好の系図
松平乗包(のりかね)【1680-1716】
妻 松平乗久の娘
妻の父 松平乗久→松平乗久・乗春・好乗~影乗の系図
松平乗貞(のりさだ)【1704-1751】
松平乗幹(のりもと)【1736-1754】
松平乗展(のりのぶ)【1737-1820】
実は松平乗南(→松平乗延~乗冬の系図)の子。
妻 鍋島直弼の娘
妻の父 鍋島直弼→鍋島直弼の系図
子 展隆/展和
子 乗展の娘〔養父:有田則剛〕→有田則剛の系図
子の夫 鍋島直賢→鍋島直賢の系図
子の夫 水野忠朋→水野忠久~忠朋の系図
子の夫 内藤正器→内藤政次~正友・正直~正器の系図
松平乗輪(のりとも)【1759-?】
妻 松平乗季の娘
妻の父 松平乗季→松平乗延~乗冬の系図
松平乗穏~乗謨の系図
松平乗穏(のりやす)/乗穀(のりよし)/乗祇(のりやす)【1739-1783】
奥殿藩主。
祖父 乗真・父 盈乗→松平真次~盈乗の系図
妻 太田資俊の娘
実は太田資晴(→太田資次~資晴の系図)の娘。
妻の父 太田資俊→太田資俊~資順の系図
子 乗統(のりむね)【1759-1776】
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 乗穏の娘
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 渡辺綱光〔養父:渡辺綱通〕→渡辺重綱の系図
子 乗尹〔養父:松平乗友〕
子の夫 青山幸賢→青山幸正~幸宣の系図
子の夫 倉橋久幾→倉橋久幾の系図
子の夫 筑紫孝門→筑紫孝門の系図
松平乗友(のりとも)【1760-1824】
奥殿藩主。
妻 戸沢銀/登志/常/暁【1761-1796】
戸沢正諶(→戸沢正庸~正良の系図)の娘。
夫 戸田忠喬→戸田忠位~忠行の系図
子 乗羨〔養父:松平乗尹〕
子 渡辺規綱〔養父:渡辺綱光〕→渡辺重綱の系図
子 永増〔養父:藤掛永定〕
子 精中宗室【1810-1877】
裏千家11代家元。利休250回忌を営んだ。
子 経行〔養父:高階経当〕(『大給家譜(信濃竜岡)』による。)
子 乗友の息子〔養父:下門大進〕(『大給家譜(信濃竜岡)』による。)
子 乗友の娘〔養父:太田資順〕→太田資順の系図
太田資寧に嫁いだ。
子 乗友の娘〔養父:筧正陽〕→筧正陽の系図
子 乗友の息子(2人)・子 乗友の娘(『大給家譜(信濃竜岡)』による。)
子の夫 畠山国祥→畠山国祥の系図
子の夫 瓦林良賢(『大給家譜(信濃竜岡)』による。)
松平乗尹(のりただ)【1777-1818】
奥殿藩主。実は松平乗穏の子。
妻 松平近儔の娘
妻の父 松平近儔→松平近形~近説の系図
子 永井尚志(なおむね)【1816-1891】〔養父:永井尚徳〕
外国奉行・軍艦奉行などを務めた。
子 乗尹の娘(『大給家譜(信濃竜岡)』による。)
子の夫 松平信汎(『大給家譜(信濃竜岡)』による。)
松平乗羨(のりよし)【1790-1827】
奥殿藩主。実は松平乗友の子。
妻 池田政恭の娘
実は池田長恵(→池田友政~長義の系図)の娘。
妻の父 池田政恭→池田政弼~政礼の系図
子 観次郎
母は『華族系譜』による。
子 媛→有馬頼次~氏弘の系図
子 勝通〔養父:水野勝紀〕
松平乗利(のりとし)【1811-1854】(以下、『華族系譜』による。)
奥殿藩主。藩校明徳館を設立した。
妻 松平乗全の娘
妻の父 松平乗全→松平乗完~乗秩の系図
子の夫 有馬氏郁→有馬頼次~氏弘の系図
子の夫 水野勝任→水野勝前~勝寛の系図
松平乗謨(のりかた)/恒(ゆずる)【1839-1910】
奥殿藩主・信濃国田野口(竜岡)藩主。維新後、佐野常民とともに博愛社を設立した。
妻 石川充子
石川総貨(→石川総候~総管の系図)の娘。
系図について
本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。
系図はおおよそ次の方針で作成しています。
- 系図に描画する人物の範囲について
上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。 - 人物の表示の区別について
系図では、次の通り背景色を区別しています。
(オレンジ)……天皇
(緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
(黄)……江戸時代の将軍・藩主
(水色)……その他男性
(ピンク)……その他女性 - 養子・猶子について
両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。 - 正室・側室等について
これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。 - 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。