奥平氏(村上源氏・雅兼流)の系図

系図のメモ帳
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 このページでは、奥平氏(村上源氏・雅兼流)の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。

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奥平氏(豊前国中津藩主)の略系図

奥平氏の略系図

1 貞俊奥平貞俊~貞勝の系図
5 貞能奥平貞能~忠昌の系図
9 昌能奥平昌能~昌敦の系図
13 昌鹿奥平昌鹿・昌男の系図
15 昌高奥平昌高~昌邁の系図

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奥平貞俊~貞勝の系図

奥平貞俊~貞勝の系図

  奥平貞俊(さだとし)【?-1433】

祖父 定政 定家小幡氏行~重昌の系図

 定武(『奥平家譜(豊前中津)』による。)


  奥平貞久(さだひさ)【1395-1475】


  奥平貞昌(さだまさ)【1451-1535】
 貞友
子の妻 奥平貞能の娘
子の妻の父 奥平貞能奥平貞能~忠昌の系図
子の妻の夫 本多重純本多正吉~忠利の系図

 貞友の娘【?-1573】
孫の夫 松平定勝松平定勝の系図
曾孫 定行松平定行・定頼の系図
曾孫 定綱松平定綱・定良の系図
曾孫 定実松平定実の系図
曾孫 定房松平定房・定時の系図
曾孫 定政松平定政~定節の系図

子の夫 松平康定松平忠定・好景の系図


  奥平貞勝(さだかつ)【1512-1595】
 母は『寛政重修諸家譜』による。
 水野清忠の娘
妻の父 水野清忠小河重房~水野清忠の系図
 貞能 信昌奥平貞能~忠昌の系図

 菅沼定広の娘
妻の父 菅沼定広→菅沼定広の系図
 明智定明土岐頼基~明智定明の系図

子の夫 松平康次→松平康次の系図
子の夫 鵜殿長忠→鵜殿長忠の系図

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奥平貞能~忠昌の系図

奥平貞能~忠昌の系図

  奥平貞能(さだよし)/定能(さだよし)【1537-1598】
 母は『寛政重修諸家譜』による。長篠の戦いで功を挙げた。

祖父 貞昌 貞勝奥平貞俊~貞勝の系図
祖父 水野清忠小河重房~水野清忠の系図

 仙丸【1560-1573】
 昌勝(まさかつ)【1573-1597】
子の夫 本多重純本多正吉~忠利の系図
子の夫 奥平貞友奥平貞俊~貞勝の系図


  奥平信昌(のぶまさ)/定昌(さだまさ)【1555-1615】
 上野国小幡藩主・美濃国加納藩主。徳川家康に仕えた。長篠の戦いでは、長篠城を守り抜いた。
 徳川亀姫(かめひめ)【1560-1625】
 徳川家康(→徳川家康の系図)の娘。
 松平家治(いえはる)【1579-1592】
 松平忠政〔養父:菅沼定利〕→松平忠政の系図
 松平忠明松平忠明の系図
 忠弘松平忠弘の系図

子の夫 大久保忠常→大久保忠常の系図


  奥平家昌(いえまさ)/家綱(いえつな)【1577-1614】
 下野国宇都宮藩主。関ケ原の戦いでは、徳川家忠に従って上田城を攻めた。
 本多忠勝の娘
妻の父 本多忠勝本多忠勝・忠朝~勝行の系図
子の夫 堀尾忠晴→堀尾忠晴の系図


  奥平忠昌(ただまさ)【1608-1668】
 宇都宮藩主・下総国古河藩主。
 鳥居香久子
 鳥居忠政(→鳥居忠政の系図)の娘。
 昌能 昌章奥平昌能~昌敦の系図
子の夫 内藤信良内藤信良~信輝の系図
子の夫 最上義智→最上義智の系図
子の夫 由良頼繁→由良頼繁の系図

 村山氏
子の夫 五島盛勝→五島盛勝の系図
子の夫 立花種明→立花種明の系図

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奥平昌能~昌敦の系図

奥平昌能~昌敦の系図

  奥平昌能(まさよし)【1633-1672】
 宇都宮藩主・出羽国山形藩主。

祖父 家昌 忠昌奥平貞能~忠昌の系図
祖父 鳥居忠政→鳥居忠政の系図

 千福 昌能の娘
 母は『寛政重修諸家譜』による。
子の夫 松平乗春松平乗久・乗春・好乗~影乗の系図
 乗邑松平乗邑の系図
 乗興松平乗興~乗譲の系図


  奥平昌章(まさあきら)【1668-1695】
 山形藩主・宇都宮藩主。実は五島盛勝(→五島盛勝の系図)の子。
 奥平昌能の娘
子の夫 秋元喬房→秋元喬房の系図

 岡見氏
 次郎吉
 母は『寛政重修諸家譜』による。

 昌章の娘(『寛政重修諸家譜』による。)


  奥平昌成(まさしげ)/昌春(まさはる)【1694-1746】
 宇都宮藩主・丹後国宮津藩主・豊前国中津藩主。母は『寛政重修諸家譜』による。
 阿部正喬の娘
妻の父 阿部正喬阿部正武~正允・正明~正章の系図

 沢渡氏
 豊太郎
 母は『寛政重修諸家譜』による。
 昌純(まさずみ)【1728-1755】
孫の夫 板倉勝従板倉勝澄~勝従の系図

 昌成の娘
 母は『寛政重修諸家譜』による。建部長教に嫁ぐ予定であった。
子の夫 内藤信興内藤信興~信美の系図

 松平義峯〔養父:松平義著〕→松平義峯の系図
 昌成の息子(『寛政重修諸家譜』による。)
子の夫 土屋篤直→土屋篤直の系図
子の夫 堀田正邦→堀田正邦の系図


  奥平昌敦(まさあつ)【1724-1758】
 中津藩主。母は『寛政重修諸家譜』による。
 牧野貞通の娘
妻の父 牧野貞通→牧野貞通の系図
 昌鹿 昌男奥平昌鹿・昌男の系図
 池田喜生〔養父:池田喜以〕→池田政森~徳潤の系図
 山野辺義風〔養父:山野辺義胤〕

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奥平昌鹿・昌男の系図

奥平昌鹿・昌男の系図

  奥平昌鹿(まさか)/昌邦(まさくに)【1744-1780】
 中津藩主。賀茂真淵に国学を学び、和歌をよくした。前野良沢を保護し、蘭学研究を助けた。

祖父 昌成 昌敦奥平昌能~昌敦の系図
祖父 牧野貞通→牧野貞通の系図

 阿部正允の娘
妻の父 阿部正允阿部正武~正允・正明~正章の系図
 昌鹿の娘
 母は『寛政重修諸家譜』による。池田斉政に嫁ぐ予定であった。

 唐木田氏
 昌鹿の娘(『寛政重修諸家譜』による。)

子の夫 板倉勝従板倉勝澄~勝従の系図
子の夫 酒井忠進酒井忠与~忠氏の系図


  奥平昌男(まさお)【1763-1786】
 中津藩主。母は『寛政重修諸家譜』による。
子の夫 昌高 昌暢奥平昌高~昌邁の系図

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奥平昌高~昌邁の系図

奥平昌高~昌邁の系図

  奥平昌高(まさたか)【1781-1855】(以下、『奥平家譜(豊前中津)』による。)
 中津藩主。実は島津重豪(→島津重豪の系図)の子。藩校進脩館を設立し、蘭学を奨励した。

祖父 昌鹿 昌男奥平昌鹿・昌男の系図

 奥平昌男の娘
妻の父 奥平昌男奥平昌鹿・昌男の系図

 昌猷〔養父:奥平昌暢〕
 生駒親愛〔養父:生駒親孝〕→生駒親愛の系図
 牧野忠直〔養父:牧野忠衛〕→牧野忠直の系図
 池田慶政〔養父:池田斉敏〕→池田斉政~章政の系図
 生駒親道〔養父:生駒親愛〕→生駒親道の系図
 青木一咸〔養父:青木一興〕→青木一咸の系図
 松平直周~直致の系図
子の夫 松平頼縄松平頼永~頼策の系図
子の夫 加藤泰理→加藤泰理の系図
子の夫 永井尚典永井直陳~尚服の系図
子の夫 酒井忠方酒井忠礼~忠匡の系図
子の夫 成瀬正住→成瀬正住の系図
子の夫 稲葉幾通→稲葉幾通の系図
子の夫 堀田正誠→堀田正誠の系図
子の夫 島津忠寛→島津忠寛の系図
子の夫 池田喜通池田政森~徳潤の系図
子の夫 四条隆謌四条隆重~隆平の系図
子の夫 内藤頼愛内藤清枚~頼直の系図


  奥平昌暢(まさのぶ)【1809-1832】
 中津藩主。
 一橋栄姫
 一橋斉敦(→一橋斉敦~茂栄の系図)の娘。

 昌服〔養父:奥平昌猷〕
 松平忠和~忠敬の系図
子の夫 松平慶倫松平康乂~慶倫の系図


  奥平昌猷(まさみち)【1813-1842】
 中津藩主。実は奥平昌高の子。


  奥平昌服(まさもと)【1830-1901】(以下、『華族系譜』による。)
 中津藩主。実は奥平昌暢の子。


  奥平昌邁(まさゆき)【1855-1884】
 中津藩主。実は伊達宗城(→伊達宗城の系図)の子。
 水野静
 水野忠精(→水野忠邦~忠弘の系図)の娘。

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系図について

 本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
 あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。

 系図はおおよそ次の方針で作成しています。

  • 系図に描画する人物の範囲について
     上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
     下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。
  • 人物の表示の区別について
     系図では、次の通り背景色を区別しています。
     (オレンジ)……天皇
     (緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
     (黄)……江戸時代の将軍・藩主
     (水色)……その他男性
     (ピンク)……その他女性
  • 養子・猶子について
     両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
     養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
     一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
     なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。
  • 正室・側室等について
     これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。
  • 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
     『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。
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