細川氏(清和源氏・義国流)・立孝流の系図

系図のメモ帳
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 このページでは、細川氏(清和源氏・義国流)・立孝流の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。

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細川氏・立孝流(肥後国宇土藩主)の略系図

細川氏・立孝流の略系図

1 立孝細川立孝~興里の系図
6 興文細川興文の系図
7 立礼細川宣紀~治年の系図
8 立之細川立之~行真の系図

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細川立孝~興里の系図

細川立孝~興里の系図

  細川立孝(たつたか)【1615-1645】
 母は『寛政重修諸家譜』による。

祖父 輝経 忠興細川頼貞~忠興の系図

 五条為適の娘
妻の父 五条為適五条為適~為房の系図
子の夫 大炊御門経光大炊御門経敦~経音の系図

 斎藤氏
 亀松
 母は『寛政重修諸家譜』による。


  細川行孝(ゆきたか)【1637-1690】
 肥後国宇土藩主。母は『寛政重修諸家譜』による。
 宮松三之助 行孝の娘
 母は『寛政重修諸家譜』による。
 行孝の娘
 母は『寛政重修諸家譜』による。小出重興に嫁ぐ予定であった。
 行孝の娘(2人)(『寛政重修諸家譜』による。)


  細川有孝(ありたか)/治孝(はるたか)【1676-1733】
 宇土藩主。母は『寛政重修諸家譜』による。
 細川利重の娘
妻の父 細川利重細川利重~利恭の系図

子の夫 織田長亮→織田長亮の系図


  細川興生(おきなり)/直清(ありきよ)/興寿(おきひさ)/寿孝(ひさたか)【1699-1737】
 宇土藩主。母は『寛政重修諸家譜』による。
 松平璵米姫
 松平頼貞(→松平頼元・頼貞の系図)の娘。
子の夫 京極高永京極高栄~高厚の系図

 竹間氏
 興文〔養父:細川興里〕→細川興文の系図
子の夫 柳沢保卓柳沢経隆~光邦の系図


  細川興里(おきさと)【1722-1745】
 宇土藩主。母は『寛政重修諸家譜』による。
 細川軌子(のりこ)【1725-1794】
 細川宣紀(→細川宣紀~治年の系図)の娘。歌人として活躍した。

 興文細川興文の系図
 立礼細川斉茲~護久の系図

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細川興文の系図

細川興文の系図

  細川興文(おきのり)/興周(おきちか)【1723-1785】
 宇土藩主。実は細川興生(→細川立孝~興里の系図)の子。轟泉水道を改修するなどの藩政改革を行い、藩校温知館を設立した。

祖父 興生 興里細川立孝~興里の系図

 八条隆英の娘
妻の父 八条隆英八条隆英~隆声の系図
 興武 興文の娘
 母は『寛政重修諸家譜』による。

 雨森氏
 松三郎
 母は『寛政重修諸家譜』による。
 興文の娘(『寛政重修諸家譜』による。)

 薗氏
 立礼細川斉茲~護久の系図
 立之細川立之~行真の系図
 孝応(以下、『細川家譜(肥後宇土)』による。)
 母は『寛政重修諸家譜』による。
曾孫 喜連川宜氏〔養父:喜連川煕氏〕→喜連川氏連~足利聡氏の系図
曾孫 孝典/長典〔養父:小笠原長光〕

 石川総彬〔養父:石川総相〕→大久保忠明~石川総集の系図
 冬菊〔養父:朽木昭恒〕
 母は『寛政重修諸家譜』による。
子の夫 細川治年細川宣紀~治年の系図
子の夫 丹羽氏福→丹羽氏福の系図
子の夫 難波宗功難波宗尚~宗礼の系図

 興章(以下、『細川家譜(肥後宇土)』による。)
曾孫 重晴〔養父:井門文三郎〕

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細川立礼の系図

  細川立礼/斉茲→細川斉茲~護久の系図
 宇土藩主。後に宗家を継いだ。

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細川立之~行真の系図

細川立之~行真の系図

  細川立之(たつゆき)【1784-1818】(以下、『細川家譜(肥後宇土)』による。)
 宇土藩主。

祖父 興文細川興文の系図
 立礼細川斉茲~護久の系図
祖父 岩城隆恭→岩城隆恭の系図

 土井利厚の娘
妻の父 土井利厚土井利厚~利与の系図

 行芬〔養父:細川立政〕
子の夫 渡辺潔綱渡辺豪綱~章綱の系図


  細川立政/斉護→細川斉茲~護久の系図
 宇土藩主。後に宗家を継いだ。


  細川行芬(ゆきか)/之寿【1810-1876】
 宇土藩主。実は細川立之の子。
 毛利高翰の娘
妻の父 毛利高翰毛利高丘~高謙の系図

 織田信敬〔養父:織田信貞〕→織田信敬の系図
 行真〔養父:細川立則〕
 →山崎治正の系図
 稲子板倉勝矩~勝達の系図
子の夫 細川興貫細川興虎~興貫の系図
子の夫 松平信謹松平信友~信謹の系図


  細川立則(たつのり)【1832-1888】
 宇土藩主。
 細川興建の娘
妻の父 細川興建細川興虎~興貫の系図
子の夫 毛利高謙毛利高丘~高謙の系図


  細川行真(ゆきざね)【1842-1902】
 宇土藩主。実は細川行芬の子。藩校樹徳斎を設立した。
 中川栄
 中川久昭(→中川久貞~久成の系図)の娘。

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系図について

 本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
 あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。

 系図はおおよそ次の方針で作成しています。

  • 系図に描画する人物の範囲について
     上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
     下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。
  • 人物の表示の区別について
     系図では、次の通り背景色を区別しています。
     (オレンジ)……天皇
     (緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
     (黄)……江戸時代の将軍・藩主
     (水色)……その他男性
     (ピンク)……その他女性
  • 養子・猶子について
     両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
     養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
     一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
     なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。
  • 正室・側室等について
     これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。
  • 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
     『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。
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